読書な日々

読書をはじめとする日々の雑感

「沼地のある森を抜けて」

2006年07月03日 | 作家ナ行
梨木香歩『沼地のある森を抜けて』(新潮社、2005年)

作者についても作品についてもまったく何も知らないで読んだ。なんだか不思議な小説だな。ある研究所で食品とかの成分分析をしている上淵久美という、結婚適齢期をすぎてしまった独身女性の叔母が心臓発作で突然死する。独身だった彼女の意志もあって、久美は叔母が住んでいたマンションに移り住み、それと同時に彼女が世話していた糠床も受け継ぐことになり、そこから奇妙な出来事が起こるようになる。久美が子どもだった頃によく遊んだクリオの友人となった光彦が糠床から現れる。また「カッサンドラ」と名乗る見知らぬ和服姿の女性が現れ、三味線を弾く。生前の叔母の様子を聞くために連絡をとった風野さんというボーイッシュな女性に見える男性と仲良くなる。彼は粘菌にタモツくんとかアヤノちゃんとか名前をつけて世話している酵母の専門家。叔母が残していた日記を読んで、この糠床がどういうものかおぼろげながら分かってきた久美はそれに興味を持った風野さんとともに、久美の先祖が住んでいたという島に向かう。そこに糠床を戻そうというわけ。その島の沼地―糠床はそこの土をもってきたものらしい―に海水がもどってくるのに遭遇して...

なんだかうまくまとめられない。上に書いたようなあらすじのあいだの章に「かつて風に靡く白銀の草原があったシマの話」だとか「時子叔母の日記」だとか「安世文書」など幻想的な物語やら資料的な意味合いのものなどが挿入されている。

ずいぶん昔、私が学生の頃だったと思うが、『ルーツ』という小説が流行った。アメリカの黒人が自分のルーツを辿ってアフリカまで渡るというような話で、私は読んだことがないけれども、ルーツ探しが流行ったことがある。私はどちらかというと天邪鬼なところがあるので、流行っていると言われると、ソッポを向くたちで、ルーツ探しなんてことは興味がないというような顔をしていたが、自分のルーツに興味がないことはなかった。ただ特別にそのために何かをするということはなかったが、田舎に帰った折など、ちょっとした会話の端々から、どうもうちの父親方の祖父は広島の地方の城主の次男坊だったとかということを耳にはさんだりもした。私の祖父は明治34年生まれだから、これから考えて、祖父の親が若かりし頃に明治維新が起こったことになる。家系図があると私の父が言っていたことがあるが、実物を見たわけでもないし、本当にあるのなら、死ぬ前に私にくれたってよさそうなものだが、死ぬ前にそんな話をしたこともないので、たぶんなかったのだと思う。城主の末裔かどうかは別としても、広島の田舎の侍であったのはたしかかもしれない。ただ祖父は次男坊であったために養子にだされたみたいで、一時期は別の姓を名乗っていたらしいが、大人になってからもとの姓にもどして、祖母とは、例の原爆記念館で知り合ったのだった。もちろん原爆が落とされる以前の話で、あの建物のなかに県の物産店があって、祖母はそこで働いていた。祖父は何をしていたのか知らないが、そこで知り合い、宮島に新婚旅行に行った。そのときの写真が残っている。ところが山陰地方の山間部にある祖母の実家で病弱な叔母(私の祖母の叔母)の世話をする人がないということで、二人してこちらにやって来た。祖父は自分の出身である広島を孫である私に見せておきたいと思ったのか、私が中学生になると私だけをつれて広島のあちこちを旅行したことがある。岡山まで各駅停車で行き、山陽線に乗り換え、三原から船にのって耕三寺へお参りし、三原に戻って河内の親戚で一泊し、広島へいき、原爆記念館とかを見学して、宮島参拝して、どこか知らない家に泊まり、帰ってきた。そのとき、祖父のルーツがここにあるということだけしか教わらず、どういう関係の家なのかもあまり説明してもらったような記憶がないのだが、この旅行で自分のルーツはこのあたりにあるのだぞということがよく分かったような気がしたものだ。

この小説も、このようなルーツ探しの旅を描いたとも読むことができるんじゃないかな、というか、私はそのような読み方しかできなかった。なんとも不思議な小説だ。

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