読書な日々

読書をはじめとする日々の雑感

津軽三味線

2006年07月01日 | 評論
佐藤貞樹『高橋竹山に聴く―津軽から世界へ』(集英社新書、2000年)

津軽三味線の高橋竹山のコンサートなどの世話をしてきた佐藤という人が書いた、竹山の人と音楽というような内容のエッセイである。

私が竹山の三味線を聴いたのは、1980年代の中頃だったと思う。LPを買ってきて聴いたのだが、それまで三味線というのは映画なんかで江戸時代とか明治時代の場面で、チトテントンシャンとか言いながらどこかのお上さんが優雅に三味線をひいているというような情景しか知らなかったので、津軽三味線のバシンバシンというような力強い箇所があるかと思えば、あれはなんという技法か知らないが、アルペジオにも似たような弾き方で、装飾音をつけていく華麗な演奏の箇所もあるというようなダイナミックな演奏を初めて聴いて、鳥肌が立ったのを覚えている。江戸三味線の軽やかさが爛熟した町民文化から生まれた粋で洒落た音楽だとすれば、津軽三味線のダイナミックさはちょっとやそっとじゃ三味線弾きに注目してくれない、門付けに注意を払ってわずかでも心づけをくれたりするようなことのない閉鎖的な社会のなかで注意をひきつけるための力強さから生まれた音楽かもしれない。苦労した人間だからこそ、苦労している人間の苦しみ辛さがよく分かって、心優しく接してくれたということが何度も話のなかに出てくるが、それだって本当に心の優しい人でなければそんなことはしないものだろう。

その頃、私は、きっと津軽三味線の背景に情緒的にひきつけられていたのかもしれない。だから津軽の暗さが津軽三味線の骨太さにつながっていると短絡的に考えていたのかもしれないし、初めて竹山の三味線を聴いたときに、彼の半生の苛酷さを思いながら聴いていたのだろう。

最近は、また違っている。最近は、沖縄の三味線がまた心をくすぐる。『ナビィーの恋』が、生活のなかにたえず歌と三味線と踊りのある人たちの生活への憧れを植え付けた。暇さえあれば三味線を抱えて歌い、人々が集まれば踊る沖縄の人たち。貧しさなんか関係ない、自然の恵だけで生きていける世界の幸せがここにはある。

これはどう考えてみても、風土の違いだろう。沖縄は、少なくとも離島は、海と陸の自然の恵みで日々を暮らしていくことができるのにたいして、冬は雪に閉ざされ、ヤマセによって米ができない年がなんどもあるように、けっして自然の恵みは十分でなく、場合によっては飢え死にしなければならないようなこともある津軽は、おなじ音楽が生まれようがないし、おなじ三味線でもどちらかといえば、血が滾るような思いで三味線をつかむことになるだろう。つねに金持ちの遊びと暇つぶしと結びついていた江戸三味線はこれらともまったく違うのは当然だろう。

いまは、生活のなかに三味線が溶け込んでいる沖縄の文化が、うらやましい。

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