読書な日々

読書をはじめとする日々の雑感

「東京物語」

2006年07月18日 | 作家ア行
奥田英朗『東京物語』(集英社、2001年)

青春の甘酸っぱい日々が思い出される連作小説集。「小説すばる」に連載された順番で本書にも収められているが、時間的には、すでに大学を中退して駆け出しの広告代理店に勤めはじめた久雄の、恐ろしく多忙な一日を描写した「あの日、聴いた歌」から、予備校に入るために上京した久雄の、実家を離れ、一人で生活するようになった解放感、孤独感を描いた「春本番」でいったん二年くらいもどり、さらに一浪後に大学生となって美しい菜穂子先輩に一目ぼれして演劇部にはいった久雄が同級生の江里との甘い思い出を綴った「レモン」を経て、「名古屋オリンピック」から、「バチュラー・パーティー」でバブル期の様子を描いている。

この作者とは数年違いなので、学生時代のことを思い出しながら読んだ。同じように、一日でも早く親から離れて暮らしたくて、一浪を勧める担任のアドバイスをけって、大阪の私大に進学した。たいていは入学式にあわせて家を出るものだが、私も4月1日にはもう大阪に来ていた。ボート部の先輩が住んでいたアパートだったので(受験のときにも泊めてもらった)、精神的にはそれほどの孤独感は味わわなかったかもしれないが、アパートに入った日は、ああこれからは、ハラ減ったからといっても、母親がすぐに作ってくれるわけでもないんだ、毎日どこかに食べに行かなきゃならないという、当たり前のことに、しみじみ一人で生きるということを感じたものだ。初めての大都会。パチンコやマージャンをしてみたり、たばこを吸ってみたりしたが、そういうことに溺れるようなタイプじゃないのが分かった。

大学一年の夏休みに、阪急デパートでバイトをしたのも、なんだか懐かしい。配属されたのが江坂にある配送センターの靴下のセクションで、ものが軽いし、あまり伝票が来なかったので、3人くらいいたバイト生たちは暇を持て余していた。となりの洗剤のセクションは重いし、すごい量の伝票が来て、毎日大忙しだったが、なぜかそちらに応援に行けというようなことにはならなかった。暇なので、担当者が浜寺のプールに連れて行ってくれたりした。その当時、私は千里山に住んでいたので、最初は電車とバスを使って通っていたのだが、そのうち千里山の丘を越えたら江坂だということが分かり、交通費を浮かせるために歩いて通った。毎日すごく暑くて、でもお金がなくて、うどん一杯で一日を過ごしたり、ご飯にマヨネーズをつけて食べたりしていた。靴下セクションは暇なので、後半になると梅田の本店のワイシャツ売り場に回され、ワイシャツのことなんかなんにも知らないのに、売り子をやったりもした。7月の最後の日、たいていの学生アルバイトは長いひと月が終わって、給料をもらえるという嬉しい日、私はこれで阪急でのバイトは切り上げて、田舎に帰るつもりだった。30万くらいもらえただろうか。私はこの金で、夏前に買った本(本当に私は自分が熟慮タイプなのか衝動買いタイプなのか分からない。たまたま通りかかった出張販売員に引っかかって、日本文学の初版復刻版というやつを買ってしまったのだ。こういうことはその後もつづき、アパートにやって来た大百科事典の販売員にうまく言いくるめられて30数巻の事典を買ったこともある)の支払いを済ませ、残ったお金で旅行をするつもりだった。その日、同じ売り場の女子学生が話があるから、帰りに時間をくれというので、一緒に喫茶店に行ってあれこれ大学のことだとか夏休みのことだとか話した。付き合ってほしいという告白だったのだが、バカな私は、そんなことをされたのは初めてだったので、わけが分からなくなり、なんだがその子に失礼なことを言って、先に帰ってしまった。なぜか知らないが大学一年のときにそういうことが数回あっのに(たぶん自分では付き合いたいと思っていたのに、あがってしまって、緊張のあまりバカなことを言ってダメにしてしまうばかりだった)バカな私にたいする天罰か、それ以降はそういうことがまったくなくなってしまった。よーし今度誘われたらぜったいにうまくやってやると思っているのに、そういうことはなくなり、こちらから告白しても振られてばかりだった。人生経験が足りないっていうか、バカっていうか。

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