読書な日々

読書をはじめとする日々の雑感

「ぼっけぇきょうてぇ」

2006年02月13日 | 作家ア行
岩井志麻子『ぼっけえ、きょうてえ』(角川書店、1999年)

岩井志麻子さん、本当に、まぁ、おもしれぇ人だけぇ。朝日新聞で、だれの書評だったけえな、この小説のこと、おもしろおかしげにぁ、書いとーなったですけぇ、まぁいっぺん読んでみたぇーなーおもっとったですよ。こういうのをホラー小説って言うだげなけど、ホラー小説いうよりも、なーんか、こう、悲しい話ですけぇ、中国地方の山奥に、近親相姦で逃げてきた男とおなごのあいだに生まれた、双子のおなごっこの、妹の顔に、水子にされながら死にきれなんだ、姉ちゃんの顔がついとるいう、まぁそりぁそれで、怖げな話だけど、なんでそげなことになっただか、言うたら、そら、あの辺ののどかな風情とは裏腹に、明治時代の、なんだか知らんけど、時代の暗さ、いうもんですけぇーなー。

私はこの小説の舞台となっている岡山とは中国山地をへだてた山陰側の出身なのだが、方言というのは、ほんのちょっと離れただけで違うものだなと感心する。またそれだけに、よく似たイントネーションとか言い回しにもまた敏感になる。神戸のほうの「○○しとー」というような語尾の延ばし方は、山陰にもあったりするのだ。

この本の末尾にはこの小説に日本ホラー小説大賞を贈った選者の荒俣宏、高橋克彦、林真理子の選評が掲載されているが、一同に背筋が寒くなってくるような恐怖感を感じさせる描写力(これがこの方言と密接に結びついていることは言うまでもないだろう)を指摘しているが、私にはどうもピンと来なかった。私は小説としては面白いと思うから、けっしてけなしているのではないが、ホラーなのかというと、どうも合点がいかない。悲しい小説ではある。それはあのような方言で書ききったことと密接に結びついている。あの文体がなければこんなに悲しいものにはならなかっただろうと思う。選者たちは方言の力に惑わされたのではないだろうか。

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