読書な日々

読書をはじめとする日々の雑感

『同士少女よ、敵を撃て』

2022年08月19日 | 作家ア行
逢坂冬馬『同士少女よ、敵を撃て』(早川書房、2021年)


2021年度のアガサ・クリスティー賞を受賞した作品であると同時に、2022年春のプーチン独裁国家ロシアによるウクライナ侵攻で一躍注目されるようになった小説でもある。

第二次世界大戦におけるナチス・ドイツとソ連による熾烈な独ソ戦での少女の狙撃兵の姿を描いている。

この独ソ戦でドイツは900万人、ソ連は2000万人の人命を犠牲にした。もちろん負傷した人々を入れたら、もっとすごい数になるだろう。

まさに人海戦術。あの映画『スターリングラード』を見ても、主人公は武器が足りないので丸腰で仲間と塹壕のほうへ走っていき、先に打たれて倒れた兵士がいるとその兵士から銃を取って、それを使っている。

今のウクライナのように隣国から侵攻されたらどうするのか?建物は破壊され、人々は戦うことによって死ぬ。その結果が、上にも書いたが、900万人とか2000万人というような死者の数字になる。

では戦わないで侵攻を受け入れて、外国の支配者の言いなりになるほうがいいのか?

たぶん第二次世界大戦のフランス政府の戦法はこれだったと思う。フランスは第一次世界大戦で400万人くらいの死者を出しており、その損害は計り知れないほど大きかった。その21年後に起きた第二次世界大戦ではこれ以上フランス人の死者を出したくない、出せばフランスが滅びると考えたのだと思う。

そこで大した戦闘もなくあっさりドイツに白旗を揚げた。その結果、フランスの北半分はナチス・ドイツの占領下に入ったが、戦死者はわずかであった。しかし占領下のフランス政府-通常ヴィシー政権と言われる-は対独協力者として戦後は戦争犯罪人の扱いを受けることになった。

どちらがいいのかなんて誰にも決定できない。ただただ戦争を回避するような外交努力をする方向で生きるしかない。

この小説を貫いているのは、戦争の愚かさ。しかし、どんなに戦争の愚かさを説いても、戦争をしたがる輩がいる。あまり勇ましいことを言う輩を私は信じない。自分は戦地にはいかないし、失うものはないと思っているのだろう。そんな程度の話ではなくて、そういう輩の後ろには軍需産業が手ぐすねを引いていることこそが恐ろしい。

この本のアマゾンのサイトへはこちらをクリック


この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 小学校1年生から落ちこぼれ... | トップ | 『韓国文学の中心にあるもの』 »
最新の画像もっと見る

作家ア行」カテゴリの最新記事