私はオーディオの最初の頃からJBLのSPを使い続けています。18才からになりますのでもう37年くらいになります。
当事(1973年)頃は、オーディオの草創期を終わって興隆期へのステップの位置にありました。
その頃オーディオショップに行くとJBL パラゴンやオリンパス、ランサーL-101、L-45フレア、スタジオマスターL-200等が置いて有りました。自分が「カルチャーショック」を受けたのはこの「スタジオマスターL-200」です。
ドラムスのLPが掛かっていましたがその実在感の有るエネルギーの出方に驚きました。日本のメーカー製では決して出ない「エネルギー感」ですね。(写真はL-45フレアー)
でも当事の給料は5万円/月位ですのでとてもとても本格的なJBLは買えませんでした。
そこで左写真のL-100センチュリーを購入して使っていました。これでも1台16万円もしました。ペアですので32万円です。給料の半年分以上に相当します。まったく持って身分不相応なシステムでした。これに組み合わせたアンプはサンスイのAU-9500、プレーヤーがマイクロMR-711、カートリッジはグレース L-8。やっとの思い出返済が終わったのが3年後。いっぱしの「オーディオマニア」の仲間入りをしていました。しかし上には上がいるもので、その頃タンノイのレクタンGRFやクウォードESLを持っている先輩がいて、英国のサウンドの「ブリリアント」な音色の洗礼を受けてしまいました。
それからは、JBLで英国のサウンドに通じるようななめらかなサウンドも出せるようにと管球アンプにも首を突っ込んでしまいました。
この様に「初体験」を繰り返している時が楽しかったですね。何にでも興味が有って「目をキラキラさせていた」様に思います。
その頃の憧れのSPが「オリンパス」でした。渋い菱組み格子の箱を眺めているだけで「良い音がでるんだろうなあ???」と雑誌を眺めてはため息をついていました。確かセットで100万円くらいしていたと思います。(当事の給料の2年分)
まだこの頃は音の良し悪しも充分に理解していなくて、大きな音が出るのが良いSPくらいにしか思っていませんでした。今考えると情けないお話です。
その頃の国産のSPはチョッとボリュームを上げるとツィーターが飛んでいましたので、故障知らずのJBLは憧れでした。
その後30年して「オリンパス」を購入して鳴らしだしましたが、「悪戦苦闘」の2年間でした。オリジナルのままでは上手くなってくれません。LE15Aの低音は「粘る」し、#375は「殺人マシンの如く」吠えまくり、鼓膜がおかしくなるのでは?ツィーターも強烈にキリの様に突き刺してきます。10分と聴いていられませんでした。美しい菱格子の箱も箱鳴りがひどくて一時は放り出そうかとも考えましたが、蜂の巣ホーンを買ってからは「もう後戻りは出来ない」と身を死地に置いたつもりで格闘して来ました。
その気になると出来るものですね。「じゃじゃ馬のオリンパス」も自分好みのSPにしてしまいました。