仏教を楽しむ

仏教ライフを考える西原祐治のブログです

利根川の土手70キロの道

2010年08月26日 | 日記
昨日は千葉県銚子市にあるH寺へ出向した。昨年も8月25日に招かれている。私の町の柏市と銚子市は千葉県の冠部分で東西に分かれて位置する。そして千葉県と茨城県の境に利根川が流れている。

柏から銚子へ行く道は何通りかあるが、昨年、H寺の住職から利根川の堤防に沿った道を教えて頂いた。この道が何ともすごい。昨日、帰り道で計量すると丁度100キロ。2時間。ほとんどが土手沿いの道で、関東平野は山がないので、どこまでも道が利根川に沿って続く感じです。

特に銚子から土手沿い(茨城県側)の30キロは信号もほとんどなく、関東平野ならではのだいご味です。30キロ過ぎると千葉県側に橋を渡って、水郷ラインという道路が、やはり利根川の堤防を利用して40キロ続いている。

車を走らせながら東井義雄先生の言葉を味わっていました。

川に沿って岸がある
私に沿って本願がある
いつまでも埒(らち)のあかない
私に沿って本願がある
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やまぼうしの生命力

2010年08月25日 | 浄土真宗とは?
西方寺の墓地を増設している。その増設地に、やまぼうしを5本植えた。一本は土を替えて植樹したので、青々と茂っている。4本は、コンクリートに囲まれた中に、土壌も水はけの悪い場所に植樹した。その4本は2カ月経った8月初めには、葉をすべて落として、枯れ木状態になってしまった。なにしろ今年の日照りです。

植木の購入元は「大丈夫、来年には葉をつけます」という。それでも懐疑心は去らず、直接会って話を聞くと、植物の本を何冊か出版している大家で、細かく説明してくれた。

「環境が悪いので、木は自分で葉を落としたのです。葉が落ちるときに紅葉して葉を落とした。これは木に力がある証拠です。」という。

10年くらい前、ある出版社から「お寺の掲示板」という本を出すことになり、私も5点、法語を作って掲載した。その中に上記に通じる言葉とその解説を書いた。

“枯れた木の葉は散らない。落葉は生きている証です”

 裏庭に赤い花をつけるさるすべりの木がある。昨年、台風の為か、気がついたときには太い枝が折れ、ぶら下がっていた。冬が来て、木の葉は落葉しても、折れぶら下がった枝の葉は、運命共同体のように、折れた枝と共に枯れていき落葉することがなかった。落葉は木が生きている証なのです。
「木はおしっこをする」と、生物の先生から聞いたことがあります。おしっことは排泄物を身の外に出すことです。落葉樹でない木も、排泄物を葉にため、その葉を落葉させることによって排泄するのだそうです。落葉は、木が生きているいのちの営みなのです。
 私たちも無常の命を生きています。無常という自然の道理からいえば、死は必然であり、生こそが偶然の営みのようです。死ぬときが来たら、すべてを阿弥陀さまにゆだねて、握りしめている手をパッと開いて、落葉する葉のように終わって往けたらいいですね。どのような落ち方をしても、そこは阿弥陀さまのみ手の上なのですから。(以上)

やまぼうし、また葉をつけてくれたら見事です。
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礼儀作法

2010年08月24日 | セレモニー
読売新聞(22.8.24)の「編集手帳」に森重久弥さんのことが掲載されていた。

森繁久弥さんが英国を旅したときという。ロンドン市内の公園で一服していると、隣にいた老婦人から「下を向きなさい」と命じられた。わけが分からぬまま、従う◆ほどなくして、老婦人は「目を上げてよろしい」と告げた。いぶかしむ森繁さんに理由を語っていわく、「ローレンス・オリビエという俳優がいま、目の前を通りました」。彼はプライベートの時間で、彼女を連れていました。見ずに知らん顔をするのが礼儀というものです、と(以上)

礼儀の反対語は無礼だが、行為の上から言えば「自分勝手」だろう。その自分勝手を押さえてくれるのが礼儀作法でもある。現代は礼儀作法よりも自分勝手の方が優先される社会でもあります。

お寺でのご法事で、控室を使っていただく。当寺は、セリフサービスなのでポットと茶碗、お茶セット、座布団一式(固め置き)を提供し、読経後にゆっくりしていただく。

時間を経て散会となる。散会となった控室の状態は、人によって様々です。半分以上の人は、湯茶セット、座布団などをまとめて、最初にあったように整理して帰られる。

でも中には、料理店でも行ったように、散らかしたまま帰えられる人もある。私の反応としては、無礼というよりも、礼儀作法に接したことがないのだと、半分、気の毒に思う。

通夜に出勤したおり、僧侶の控室と一般の弔問客の接待場所が同じ場合がある。料理店の接客女子は、こまめに料理をならべている。そのとき、座布団をおかまえなしに踏んづけて歩いている。そんな時も、座布団は踏んづけて歩かないという礼儀作法に接したことがないのだろうと思う。たまーに、料理店の上司がいた場合は、礼儀作法を教えることもある。

こうした礼儀作法が身についている料理店へ行くと、“お見事”と心の中で喝采し、声をかけることもある。

小中学校の授業で「礼儀作法」というコマがあってもいいと思う。いま僧侶の礼儀作法について視野にいれてまとめつつある。
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先祖礼拝療法

2010年08月23日 | 浄土真宗とは?
法事の折の茶話で「最近の子どもの虐待や老人の所在不明はどうなっているのでしょうね」と話題を持ちかけられた。それから話題は最近の家族関係のこと、仏壇のあるなしへと進みました。

話しは聴く一方でしたが、聴きながら“そうだよなー。先祖崇拝の装置としての仏壇は、現代に最も必要なものかも知れない。先祖礼拝療法とも言うべき、精神療法として一般化してもいいくらいだ”と思った。

その思いと同時に従来、私が語ってきた“先祖のお徳を悦ぶことは信仰の本質でない”という言い方は、修正が必要かもしれないと思った。

以前、ご縁のある方から、仏壇を小さくしたからと、古いご本尊のお焚き上げを頼まれた。
 本尊の裏書きを見ると、「釋法如」と本願寺宗主の名と花押が記されている。
 法如上人は本願寺十七代の宗主(一七〇七~一七八〇)で、現在の京都・西本願寺阿弥陀堂を建立(1760)されたご門主です。
 お焚き上げに持参された方は、北海道出身の方です。北海道の前、ご先祖は北陸であったと言われます。するとこのご本尊は、遠い先祖が、北陸で生計を営み、その後、北海道に渡り、そしてこの関東へおともをされてきたことになります。二五〇年、七代か八代のご先祖が、苦渋を共にされたご本尊だったのです。開拓で北海道に渡り、極寒の中、このご本尊に支えられ耐えた日も多くあったことでしょう。
 結局、お焚き上げを止め、本尊絵像と裏書きを掛け軸から外して、緞子(どんす)で回りを表装し、額に入れて家宝にすることとなった。

上記の関連で言えば、今までの私の言い方は、次のようだった。

先祖が浄土真宗を悦び、私のそのみ教えを伝えてくださった。これは信仰の本質ではないが、信仰の深みと味わいを与えてくれる。 

修正が必要なことは、浄土真宗に出遇えたことと、先祖を貴ぶことを分けてしまうところに、教えを最も価値あるものとする仏教者の悪い習性がある。一般に生活する者としては、光がモノを照らして、色々な色彩を光そのものとして受け入れるように、信仰の喜びも、先祖を貴び、今の生活を悦ぶという現実の一々の上に見出されていくものであろう。

先祖を貴ぶということは、先祖が財産やいのちなどを私の伝えて(残して)くれたという感謝できるものがあったときに、先祖を貴ぶことが起こる。その最高のものが浄土真宗だとしたら、私が浄土真宗に出遇えたという事実の中に先祖を最高に貴ぶということが生じる。


要は、先祖崇拝と浄土真宗の信仰をわけることなく、先祖崇拝は浄土真宗への開眼において完結するのだから、浄土真宗への思いを内心に蓄えて“先祖崇拝は大切だ”で良いのだろう。
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念珠は修多羅です

2010年08月22日 | 仏教とは?
法事で家庭へ出勤して、車の中に念珠を忘れていたことに気づくことがよくある。今朝も午前8時、毎月の月忌へ出勤して、念珠を忘れたことに気づいた。

そうしたときは聖典を念珠の代わりに合掌した親指と人差し指の間に挟んで合掌礼拝する。今朝、そのようにして合掌したときに気づいた。“念珠を本来の用いる意味はこれだ”と。

念珠は紐(修多羅)に珠を通してある。昔、三蔵法師が紐に木の皮を綴った経典を括りつけて肩にかけて旅をした。それが修多羅の原型だ。修多羅とはスートラといい経典のこと。法衣では七條袈裟の後ろに担ぐようにぶら下げる組紐のことです。まさに三蔵法師の経典を肩にかけることに似ています。

この修多羅をコンパクトにしたのが念珠だ。これは私独自の考えで、今朝思いついたことです。その意味から言えば、念珠を手に掛けることは、諸々の経典を拝していることになる。20年経ったら、これが正当の解釈になるかもしれない。


法事で家庭へ出勤して、車の中に念珠を忘れていたことに気づくことがよくある。今朝も午前8時、毎月の月忌へ出勤して、念珠を忘れたことに気づいた。

そうしたときは聖典を念珠の代わりに合掌した親指と人差し指の間に挟んで合掌礼拝する。今朝、そのようにして合掌したときに気づいた。“念珠を本来の用いる意味はこれだ”、念珠は紐(修多羅)に珠を通してある。昔、三蔵法師が紐に木の皮を綴った経典を括りつけて肩にかけて旅をした。それが修多羅の原型だ。修多羅とはスートラといい経典のこと。法衣では七條袈裟の後ろに担ぐようにぶら下げる。まさに三蔵法師の経典を肩にかけることに似ている。

この修多羅をコンパクトにしたのが念珠だ。これは私独自の考えで、今朝思いついたことです。その意味から言えば、念珠を手に掛けることは、諸々の経典を拝していることになる。20年経ったら、これが正当の解釈になるかもしれない。

今までの私の解釈は(浄土真宗の常識より)

念珠の味わいとしては、素手で仏さまを手ずかみにするのではなく、敬いの心から数珠を用いて礼拝します。また念珠の形から、それ自身ではバラバラの玉が一本の紐によって一つになるように、私の乱れ心が仏に支えられて往生浄土の道に連なるとも味わえます。

上記の解釈より念珠は修多羅のほうが有難い。
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