仏教を楽しむ

仏教ライフを考える西原祐治のブログです

寿命が短くなっていく

2010年08月21日 | 仏教とは?
読売夕刊(22.8.16)編集後記に

◆近親者の葬儀で、ある僧は「人の生と死は、人の意思を超えたところにある」と語った。英語やドイツ語でも、「生まれる」は「産み落とされる」と受け身形でつづる。人の生死に見えない力が働いている。そう考えるのは特異なことではないのだろう◆最近、育児放棄や虐待によって幼いわが子の命を奪う親が後を絶たない。命の神秘に無頓着でわが子は所有物だと言わんばかり。一方、高齢で衰弱した親が消えても「知らない」人が大勢いる◆命のリレーに異変が起きている。(以上)

とあった。この文面を読んで、ふと『阿弥陀経』に五濁(ごじょく)とあるなかの命濁(みょうじょく)の言葉を思った。命濁は、時代が進んでいくと人間の寿命が短くなることをいう。
寿命が短くなるとは、単に数字が短くなるということではないだろう。昔は大自然の中に産み落とされた私を生きていた。それが科学の発達と共に、私という分別の中を生きることになる。その分別も、科学的に認識でき計算可能な今だけを取り出して生きていく。計算できないものや不都合な部分は無視して快適さを求める。そうした質の部分は切り捨てて量だけに特化した生き方が、ここでいう寿命が短い生き方だ。

「人の生と死は、人の意思を超えたところにある」といった体験を意識的に日常の中に持ち込む。これがこれからのお寺の役割の1つのように思う。


*5濁とは、5つの濁(にご)りのことで、劫濁(こうじょく)、見濁(けんじょく)、煩悩濁(ぼんのうじょく)、衆生濁(しゅじょうじょく)、命濁(みょうじょく)をいう。
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