昨18日、鎌田宗雲師より『親鸞の生涯と教え』が送られてきました。16日に兄が住職を務めるお寺で、先生にご挨拶したことから、ご著書を賜ることとなったものです。この本は、親鸞聖人の生涯について、また史実の裏にある聖人の思いについて、よく整理され記述されています。折にふれひもとき導かれていく本で、玄人受けする本です。
拙著『親鸞物語―泥中の蓮花―』では、聖人がいつ“親鸞”と名のられたかは、1つの歴史的な史実として問題でした。私は越後で朝廷から流罪から赦免されて時を、親鸞の名のりとしました。史実的には明らかでないので、聖人の生涯を書かれる方によって、判断が異なり、なぜその時をもって“親鸞”と名のったかの理由付けが、読み手としては興味がわく問題です。
送られてきたご著書には“親鸞の名のり”との小見出しで書かれています。その他、興味深く読ませていただきました。
そうそう、拙著『親鸞物語』で私が書いて、歴史書でどなたも触れていない史実があります。史実と言っても私の小説ならでわの遊びですが、それは妻、恵信尼公が、いつ恵信尼となったかという問題です。
私は、恵信尼公の“殿は観音菩薩の化身”の夢が、その時であると書いています。
拙著『親鸞物語―泥中の蓮花―』では、聖人がいつ“親鸞”と名のられたかは、1つの歴史的な史実として問題でした。私は越後で朝廷から流罪から赦免されて時を、親鸞の名のりとしました。史実的には明らかでないので、聖人の生涯を書かれる方によって、判断が異なり、なぜその時をもって“親鸞”と名のったかの理由付けが、読み手としては興味がわく問題です。
送られてきたご著書には“親鸞の名のり”との小見出しで書かれています。その他、興味深く読ませていただきました。
そうそう、拙著『親鸞物語』で私が書いて、歴史書でどなたも触れていない史実があります。史実と言っても私の小説ならでわの遊びですが、それは妻、恵信尼公が、いつ恵信尼となったかという問題です。
私は、恵信尼公の“殿は観音菩薩の化身”の夢が、その時であると書いています。