仏教を楽しむ

仏教ライフを考える西原祐治のブログです

“ガッツリめし”人気の秘密の読み解く

2010年08月28日 | 現代の病理
NHK、夜7時半から「報道首都圏」という番組がある。昨夜(22.8.27)その番組で「なぜ?“ガッツリめし”人気の秘密」という特集をしていた。

ガッツリめしとは、てんこ盛りのご飯のことで、海老丼や牛丼など山盛り状態のめしを、食べるというよりも、食らいつくようにかき込む情景が映し出されていた。

興味があるのは飽食の時代に育った青年達が、なぜガッツリ飯ということです。

昔、子どもが小学校のころ、温泉へ行ったことがある。例のごとく品数の多い夕食です。食べ終わると子どもが「明日もご馳走?」と聞く。私はそうだというと、子どもはため息をついた。そのとき私は気づいた。“子どもにはこのご馳走は苦痛だったのだ”ということを。そんな思い出がある。

困窮を体験していない子どもにとって、あまりあるご馳走は苦痛に感じる時もある。そんな時代に育った青年たちがなぜガッツリめしなのか。

これは仮説です。飽食の時代に育った人だからこそ、飢えへのあこがれがあるのではないか。飢えそのものではなく、飢えた中で、飯を食らうことへの憧れだ。そうした状況下では、確かに有難味を感じうまいに違いない。有難味を感じながらうまいと思って食べることへの憧れ。それが“ガッツリめし”の人気の秘密ではないか。

食事に対して有難さを感じられるのは2方向ある。1つは食事に対して困窮を体験していることです。“ない”ことをしているから“ある”ことの有難さがわかるということです。もう1つが、食べることに有難さを感じられる精神性を持っていることです。

“ガッツリめし”人気の私流の結論は、有難味を感じながらうまいと思って食べることへの憧れからの行動であり、有難さを感じられる精神性の仮想体験。こんなところでしょうか。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする