仏教を楽しむ

仏教ライフを考える西原祐治のブログです

自己責任

2010年08月13日 | 現代の病理
現代は、情報開示と自己責任の時代です。でもこれだけで割り切られると「?」となります。たとえば戦時下に「戦争反対」と叫んで逮捕される。家族も本人も非国民と非難されマイナスの誹りを受けます。その場合、非難されることは自己責任で仕方ありません。
でもこの構図では、何かが欠落しているように思われます。

産経新聞(22.8.13)に、栃木県が全国の自治体に先駆けて導入した薬物犯罪初犯者向け更生教育プログラムについて報道されていました。薬物依存を治療するプログラムの考え方は、「薬物中毒は『もうやらない』と決意しても、ささいな刺激で薬物を欲してしまう脳の病気。犯罪面ばかりが注目されてきたが、病気という意識で対応が必要だ」とありました。自己責任として犯罪者を短絡的に罰するのではなく、“仕方ない面がある”と薬物に身を染めてしまったことを認めていく。

ここには先の短絡的に自己責任としてしまうのではないプラスアルフアーがあります。それは自己責任の背後にある不可抗力というより強い力にたいする理解です。

といっても末端の警察官が「仕方ない面がる」と言っていてはらちがあきません。それぞれの職分があって、裁判官や政治家は「仕方ない面がある」を見出し、あるいは矯正していく責任がある。では宗教者は?

社会の常識というベクトル以外の視野で、現代の文化をみていく。それも1つの役割でしょう。

ふと“薬物依存を治療するプログラム”を読んで思ったことです。
コメント
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