仏教を楽しむ

仏教ライフを考える西原祐治のブログです

暴走する能力主義②

2019年10月27日 | 現代の病理
『暴走する能力主義』 (ちくま新書・2018/6/6・中村 高康著)の続きです。これが最後です。

本書のタイトルである“暴走する能力主義”とは、“これからの時代に必要な「新しい能力」といった、議論のパターンこそが現代社会の一つの特性であり、新しい時代にコミュニケーション能力や協調性、問題解決能力などといった「新しい能力」といわれるもは、陳腐な能力であって、新しい時代になってからはじめて必要ないし重要になってきた能力などでは決してない、”という。「能力主義」といって、その能力を、論義のテーブルに載せて、アレコレ言う事自体に問題があるという論旨です。

“「能力主義」といった、そのような抽象的能力は存在しないし、その多寡を測ることもできない”という。

“そもそも「個人の属性」としての「能力」などは存在しない。なぜなら、能力というものは実際に成果を上げることによってしか存在を証明できないが、成果が上がるかどうかは個人を超えた文脈によるからである。「非認知能力」と言われる「根気強さ、注意深さ、自信」等は個人の属性とは言えない。誰でも、好きな事なら根気強く続けられ、調子がいいときは注意深いし、得意な事なら自信をもっている。”

結論としては、

いかなる抽象的能力も、厳密には測定することができない 

地位達成や教育選抜において問題化する能力は社会的に構成される 

メリトクラシー(能力主義)は反省的に常に問い直され、批判される性質をはじめから持っている(メリトクラシーの再帰性) 

後期近代ではメリトクラシーの再帰性はこれまで以上に高まる 

現代社会における「新しい能力」をめぐる論議は、メリトクラシーの再帰性の高まりを示す現象である 

“メリトクラシーの再帰性”ということが、この本の核心のようです。「メリトクラシー」とは能力主義のことで、常に「新しい能力を求めなかればならない」という議論を人々が渇望しているだけで、「新しい能力を求めなかればならない」議論それ自体が能力主義の再帰性現象だという。能力についての社会現象を一つ一つ抑えながら、構築しているので読み応えはある本です。
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