二畳庵庵主の戯れ言

一輪の桜に従い野に。ついに2015年、人生の第三ステージの場・高知に立つ。仁淀川に魅せられたオヤジの戯れ言日記。

観察する者

2015-03-21 10:59:08 | 徒然に想う

高知に立ち三週間ほどになりました。センターでの生活にも慣れました。研修生もさまざま。寮生活しているのが4名、通って来るのが6名。多くが30後半から40前半、結婚していて子供がいらっしゃる。ここを卒業したら、指導農家の元に入り研修、ゆくゆくは国や県などの補助事業を受け施設を建てようとされています。彼らのお子さんたち、意外に小さい。これから教育費だ何だのと掛りそうな年代です。にもかかわらず、何かをしっかり見据えて、農業を目指されているんです。しっかりされています。

少し見えてきたことがあります。施設園芸というものは、怒られてしまうかもしれませんが、大きな空間からある空間を切りだし、如何にそこで収量を上げるかというテーマパークのようなものです。そのため植物生態、動物(昆虫)を理解すること、閉じた空間の中で植物と昆虫の共存している環境を理解する努力をしなければなりません。実に、この点、露地栽培でも同じこと。今思えば、小川町でやってきたことはどうだったか。残念ながら、この努力をしてこなかったと思います。この努力にしていれば、より一歩、自然へと近づけられていたかもしれません。

来週先進の自然農法で生姜を作られている方の所に、話を伺いに訪ねる予定です。買い物に出た際、地元野菜のコーナーを見ていたら偶然その方の生姜を目にしたんです。連絡先が置いてあったので、メールしてみたら、農繁期に入り始めたのにかかわらず、了承していただけました。手探りの中のちょっとした一歩です。後で知ったのですが、その方、このセンターの卒業生でありました。しかも、今の研修生の一人の友人でもあるんです。いろいろなことはめぐり合うのかつながりあうのか、楽しいもんです。

昨夜考えていたら、この努力、実は何度も何度も耳が痛くなるくらい聞いていたと思い当りました。それは以前にも書きました、タスマニアのジェラルディンの言葉「Big pictureを見なさい」、なんです。行動の傾向として、ポイントばかり見てしまいます。それをたしなめる彼女のこの言葉。やっと体で理解し始めたような気がしだしました。さらに、ぐうたら農法の西村先生も「あそこ(遠く)にいる鴉が見えるか、足下のカマキリの卵が見えるか」と観察することを盛んに仰っておられました。観察が大切なことは分かっても、実践出来ちゃない。早く観察するもの、になりたいもんです。

 

 

今日の一枚:昨日の朝八時前、朝霧のようす。