「この量では足りんな」と、いつもなら何も混ぜず、ただ捏ね、丸め、空気を抜き、形を整え焼くところ、タマゴを割り入れ、パン粉で増量。マーボー豆腐にしようと買った合い挽き肉があまっちょったので、久しぶりにハンバーグにした。
山からとってきたとれとれのサニーレタス、サラダ菜を皿に山盛り、そこへ焼き立てのハンバーグをドカッ。そそくさと食卓につき、トマトケチャップと辛子をかけ、パクッ。あぁ、あれ?
タスマニアに二週間もいると、一回はポールのお得意料理、ミートボール(日本でいうところのハンバーグ、ミンチを使った料理。だいたいステーキなので)が晩餐に上がる。それは、だいたいジェラルディンとポールが外出する晩で、ウーファーの為だけなのだが、半端なく手をかけて用意してくれる(食べればわかる、じゃ説明にならないのはわかるけど、実に食べたらわかる)。朝に外出のことが聞かされる。すると、夜はミートボールかな。ならば、作り方を見たいものぞ、と。ところが、タスクをこなしながら、お茶だ、昼だと何度も母屋に戻るのだけれど、仕込んでいる気配がない。夕方戻るとメモとワインがあって、「・・・、ボナペティ」。彼は大男、手のひらもとにかくでかい。そのでかい手で丸められたミートボールの大きさときたら、一つ300gはあったと思う。それがウーファーの人数分以上ある。ジェラルディンが翌朝楽しみにしてることを分かっていても、ソースが余ればいい方だった。
タマゴとパン粉の入ったハンバーグにトマトケチャップで食べるのは子供のころの記憶。それがいつの間にか、トマトケチャップと中濃ソースと合わせるようになり、家から出るとハンバーグを焼いて出た油に醤油をたらし焦がしたソースに。そんな変遷を経ても、結局、記憶に残る味に安心する、懐かしくなる。それに誘発され、ポールのミートボール。今はもう食べれない。でも、こうやって思い出す。記憶の中の味とは、こんなにもかけがえのないものだったんだ。「いただきます」「ご馳走様」は素材だけでなく、作ってくれた人たちへの感謝でもあるといことがまた少しわかったような気がする。改めて、ごちそうさまでした。
今日の一枚:今日のブンタンの実の大きさ。だいたい指先くらい?