二畳庵庵主の戯れ言

一輪の桜に従い野に。ついに2015年、人生の第三ステージの場・高知に立つ。仁淀川に魅せられたオヤジの戯れ言日記。

ハンバーグ

2017-06-02 22:36:38 | 徒然に想う

「この量では足りんな」と、いつもなら何も混ぜず、ただ捏ね、丸め、空気を抜き、形を整え焼くところ、タマゴを割り入れ、パン粉で増量。マーボー豆腐にしようと買った合い挽き肉があまっちょったので、久しぶりにハンバーグにした。

山からとってきたとれとれのサニーレタス、サラダ菜を皿に山盛り、そこへ焼き立てのハンバーグをドカッ。そそくさと食卓につき、トマトケチャップと辛子をかけ、パクッ。あぁ、あれ? 

タスマニアに二週間もいると、一回はポールのお得意料理、ミートボール(日本でいうところのハンバーグ、ミンチを使った料理。だいたいステーキなので)が晩餐に上がる。それは、だいたいジェラルディンとポールが外出する晩で、ウーファーの為だけなのだが、半端なく手をかけて用意してくれる(食べればわかる、じゃ説明にならないのはわかるけど、実に食べたらわかる)。朝に外出のことが聞かされる。すると、夜はミートボールかな。ならば、作り方を見たいものぞ、と。ところが、タスクをこなしながら、お茶だ、昼だと何度も母屋に戻るのだけれど、仕込んでいる気配がない。夕方戻るとメモとワインがあって、「・・・、ボナペティ」。彼は大男、手のひらもとにかくでかい。そのでかい手で丸められたミートボールの大きさときたら、一つ300gはあったと思う。それがウーファーの人数分以上ある。ジェラルディンが翌朝楽しみにしてることを分かっていても、ソースが余ればいい方だった。

タマゴとパン粉の入ったハンバーグにトマトケチャップで食べるのは子供のころの記憶。それがいつの間にか、トマトケチャップと中濃ソースと合わせるようになり、家から出るとハンバーグを焼いて出た油に醤油をたらし焦がしたソースに。そんな変遷を経ても、結局、記憶に残る味に安心する、懐かしくなる。それに誘発され、ポールのミートボール。今はもう食べれない。でも、こうやって思い出す。記憶の中の味とは、こんなにもかけがえのないものだったんだ。「いただきます」「ご馳走様」は素材だけでなく、作ってくれた人たちへの感謝でもあるといことがまた少しわかったような気がする。改めて、ごちそうさまでした。



今日の一枚:今日のブンタンの実の大きさ。だいたい指先くらい?


継ぐ者たちへ

2017-04-17 21:14:36 | 徒然に想う

日曜日は集落のお祭り。山の神様と蛇王様にお参りしてきた。どんなお祭り? 説明できない、わからない。二度目の今年、色気をちょっと出して、イワレを伺ってみた。「山の神様? 山の神様は山の神様じゃ」。あの、謂れとか・・・。

山の神様でお祭りを済ませ、蛇王様に向かう。途中、蛇王様について聞いてみると、こんな話しをしてくださった。車での移動中だから、聞き逃したことが多いが、概ねこんなこと:

昔、殿様がおって、いろいろな仕事をされた。ところが目を患われていたそうな。あるとき、殿様は領地の地検を家臣に命じられたと。山を調べてる時分、家臣たちはあるところで大きな蛇を見つけられた。ところがその目の色がほかの蛇とは違っておった。「これは何かいわれがあるかもしれぬ。大切にお祭りすれば、殿様の目も治るかもしれない」。そのヘビがおったところに祠を建て、拝みだしたそうだ。するとどうだろう、殿様の目は日に日によくなっていって、ついに治ってしまった。それ以降、その祠は目の病に霊験あらたかと、人が絶えぬそうな。

昭和59年に「越知町史」が発行されている。「鎌井田老人里の家」、集落活動センターとでも言ったらいいか、内の集会所。選挙の時、投票所にもなるし、お祭りの後の「なおらい」などでも使われる。でも、公民館は休校となってる明治中学にある。そこにも一冊おかれている。今住んでいるところ、片付けるのを前提にした形で購入してる。片付けの最中に、この町史を見つけた。1200ページを超える大作、字も細かい。知りたいことが出てくるろうか、ページを捲ってゆくだけでもゾッとしてくる・・・。

うん、うん、お祭りのことも網羅されてる。鎌井田貢神社の「おはけたて」(県下で類似するのが少ないとまで記載されてる)、虫送り、お日待ち祭などなど。もちろん蛇王様のことも出てきた。ニュアンスは違うけれど、大方先ほどのような話しがあって、崇められてることが分かった。ところが、知らないこと、無くなったものも。七夕祭りの時、鎌井田と対岸の浅尾集落の間、川を跨いだ大しめ縄を張ったという。この集落のどこかに「見渡し地蔵」さんがおわす。踊りを奉納していたというが、盆踊り以外踊りの機会はない。この継続・廃れは「当事者」で決めてこられた。今、自分という風の者が、ここで「当事者性」をもってどう考え行動するか。想像以上に、この町の民俗学、地誌などの観点から残すべきことがあるのかと思う。復活させるなら急がないといけないだろうし、復活させないならより正確に省かず伝え残すことを考えなくてはならない。手伝わせてもらえないだろか。


(山の神様の祠)

 

今日の一枚:蛇王様の祠。去年のお祭り以降どなたかお参りに来られた様子。お神酒がお供えされてた。


ミカンの香りに包まれ、幸せ満喫

2017-04-06 19:40:32 | 徒然に想う

何とか無事に天気予報通り、雨。雨音が起きがけの脳みそに優しく、ブンタンに肥料を入れ終えたり、畑も後片付けを済ませたりしたせいか、寝坊することから始まった今日。そんなスタートであったが、なかなか一日になった。

朝一に洗濯機を回し。仕方ない、晴れたら圃場に出てしまう、雨と洗濯は関係ない。干し終えたら、解凍していたシシ肉に塩をまぶし、水抜きを始め。また、生ハムを作ろう。大量に頂いたピーマンをジャコと炒め、作り置き。4キロの小夏、一部「す上がり」したり形がいびつな自家用、ひたすら剥くいて。小夏のシロップにしよう。5リットルの果樹酒用の瓶に二本、作り上げた。コーヒーにしょう。チャイムが鳴って、運送屋さん。冷凍便? もしかして、帰ってきた? 発送人を見れば、ビンゴ! 先月、ブンタンを岐阜まで嫁? 婿?に出した。嫁ぎ先は、イタリアまでジェラートの修行された元気な明るい女性がやってる「ともみジェラート」さん。今日、そのブンタンたちが里帰りした。

温度が下がると、甘さに対する味覚は鈍るという。確かに、溶けたアイスクリームを舐めれば、甘くて舐め続けられたものではない。よっぽど糖分が添加されてる。あんなに小さな容器でもカローリーを見れば明らか。知らない分けでもなかったが・・・。

早速、一口パクリ。うん? 甘味が・・・。酸味と苦味はしっかり・・・。生食ではあまり感じない印象、ワインでいうならソーヴィニヨン・ブランのような草っぽさ。イメージと違う・・・。これがブンタンの難しいとこ? なんだ、このメッセージにある「ネリネリ」って? とにかく、途中だけど、届いたお礼の電話を入れよう。ほんの数分のことである。電話を終え、再びスプーンを口に運んだ。・・・あり、なんだ?! 甘みが出てきた! なるほどねりねりか、煉れる。もひとつ、パクリ。ややや、こりゃ、えい。むろん生食とは違うけど、まっこと、こりゃ、えい。瞬間、滑らかなその口解けのようにスーッと素材を大切にジェラートにしてくれたことを理解し。同時に、「手間かかる、でも、美味しく食べてもらいたい」という姿勢まで見えてきた。嬉しい、ほんとにありがとう。ブンタンも喜んでるに違いない。どういうわけか、暑い日差しの下、彼女の笑顔で、このジェラート差し出されたら、美味くてたまらんろうなと思う。



今日の一枚:箱を開けたら、16時頃。

追伸:FBで友だちの方、同じ写真。使いまわしてます。


いったい、なんのため? 

2017-03-29 20:00:42 | 徒然に想う

先日ネットで野菜の販売に関し先達たちがどんな表現されているか検索してて、愕然としてしまった。農「業」、「なりわい」だから、売るために何をどう言おうと虚偽や間際らしいことを言わない限りおとがめはあるまい、何を言おうと自由。例えば、自分の野菜作りにラベルを付けるとしてみよう。有機農法、自然農法、慣行農法とか思い浮かぶ。

何が愕然としたかって、これらのラベルは自分のやり方を説明するには意味はある。が、そのラベルを付けたことで、出来上がった作物に優劣などありもしないのに、さも「私」の農法(自然農法と書いてあった。自然栽培じゃないですよ)に則った「私」の作物は優れていると言わんばかりの表現が並んでたからだ。しかも、それを「私」の会員様方が殺到し、会員でない場合、なかなか購入できん。買いたければ、会員になりんさいと暗に仄めかしてさえいる。

ある方が教えてくださった(もしかしたら真意とずれてるかも)のだが、「はやし」と「もり」の違い。もともと自然にあるのは「もり」、そこに人が手を入れると「はやし」になる。「はやし」っぱなし(放ったらかし)にしておけば、いずれは「やぶ」になる。耕作放棄地を思い浮かべてみよう。ずっと昔は自然の土地だった。人が来て、畑や田やだと手を入れた。時が過ぎ、高齢でよう作らん、街にでるとかで、手を入れなくなった。「もり」が「はやし」に、そして「やぶ」に・・・。

ところが、当該サイトの圃場の映像と説明をよく見れば、書いてることと映像が支離滅裂。というか、ホッタラカシトいうことと自然はまったく違うのに、この二つが混同されている。好意的に言えば、ホッタラカシの状態を野菜たちが受け入れたにすぎない。だのに、自分の農法での野菜は他と比べてと、その優劣を言及される。そもそも、自然の中(どんな圃場だって自然の中に置かれてる)では優劣なぞ存在しない。ハッキリ言っておくが、弱肉強食という言葉ですら決して優劣のことは指してない、あくまでも自然界のシステムを表現してるに過ぎない。なのに、「自然農法」をうたいながら、優劣に言及する? 一体どういうこと? あれぇ、やっぱぁ、希少性に付け入ってぇ、お金儲けですかぁ。自分の農法も確立してないのに、すみませんねぇ。



今日の一枚:今年、ほんと最後収穫したブンタン。樹で熟成したもの。明日朝いただきます。お昼を食べに帰るとき12時頃。


手のことを書こう

2017-03-13 18:41:37 | 徒然に想う

美しい手を見た。買い物をしてお釣りを受けとるとき。水仕事で、赤く腫れている。手荒れがひどい、ボロボロ。指先には二か所バンドエイドが所巻かれ、きっとパックリ割れてる。決して、ほっそりと白魚のような指じゃない。でも、自信あふれる手、働く手。

爺ちゃんの手を覚えてる。細くて、筋張って、すべすべ。血管だろか、青い。ピカソの青の時代の人物のように青かった。力もない。でも、親や婆ちゃんに名前を言ってみろと言われ言うてみれば、暖かく握り返してくれた。弱々しかったが暖かい手。

授業か何かでフォークダンスなんてやらされると、手を握るなんて。ちょこんとお互いにつまむような組み手。何かを交わすようしっかり握りしめた手も。なんど形式的な握手を繰り返したろう、正直なのか正直かないのかまったく分からない数々の手。でも、手の印象の強い人は記憶の中で強く残っている。 

手は顔ほどに物語るんだね、今さらじゃないが。自分の手に目を落とせば、なんだか良く解らない手をしている。この手は何を表現してるだろ。強い印象を残せるような手だろうか。早くそんな手になりたい。



今日の一枚:鎌井田(仁ノ滝)産の文旦がジャムになって、このクッキーとコラボしている。マーマレードのように皮まで使っていただけ、ブンタンの苦味がじつに生き、まっこと美味しい。ちょっと大人のクッキー f^^このクッキー、じつは文中の「美しい手」の持ち主さんが作ってる。生では味わえない面までも引き出してくださって、ありがとうございます。


応援歌

2017-02-28 22:43:16 | 徒然に想う

「大吟醸」ってCDがある。こんな歌詞が出てくる。

  • 部屋に電話、掛ける
  • 受話器、外したまま
  • 深夜のサテン
  • フリルのシャツ
  • シティーガール
  • ベビーフェイス
  • オオカミになりたい

今は死語になってる単語の数々。それが多感、いや、学生時代あたりのことやから、懐かしい。この年になって、晩酌しながら聞いてて、応援歌じゃねかとここ数日。

そこへ、今日、師匠から宅急便。箱開けば、ピカピカした加工品の数々。ニンジンジュース、麺、麦茶。そこに、福島に入られたお弟子さん絡んだお酒。あれ? お手本となるべき野菜は? どうして加工品? あ、あ、あ、そうか。ちきしょー、ちきしょー、そういうことか。「早くここまで、こねいやぁ~」とあおっていらっしゃる。まるで応援歌、っしょ。

よっしゃ! めげそうになっていたオンチャンは、奮起しますよぉ!

 

ありがとうございます。

 

 

追伸:パラパラ・ヴァージョン(キャンパラっていうんですよ)の「春一番」、いいっす。

 


○○半分、見栄半分

2017-02-27 20:00:37 | 徒然に想う

食道楽では決してないが、美味しく食べたい。売っている野菜、肉、魚などなどは必ず誰かの手を通して、手間とヒマをかけて私の食卓に上る。だからこそ、美味しくと思うのだが。所詮自分のアイディアの中で、何をどう使うか、貧弱極まりない。まして、技術なんて・・・。

そんなとき、どうしてもネットで、家庭で作られるレシピを検索にいく。そうすると、これならできるというのが出てきて挑戦し・・・。で、実ごとに撃沈する。そのレシピを書いた方たちの思うようになってない。

レシピ、稀に、二人、三人分で、例えば「卵黄のみ」とかいう言葉が出てくる。どうしたもんだろう? 「卵白」はどうする? 結局全卵を使う。味わいのバランスを考え工夫された結果のレシピ、「卵黄のみ」であるニュアンスを無視する。レシピ通りには出来上がらない。残りを生かせるレシピを探せ? ド素人に「卵白」を使ったものなど考えが及ぶか。

そんな細かな、ということじゃない。レシピにはレシピに込めた思いがある。だが、どうして、こういった、強い言い方をすれば、中途半端な食材を生かし切らないものが並ぶんだろう。その料理に合う「卵白」を使った料理を提案ぐらいあってもいい。だいたい、食べる側、レシピの提供する側の理屈だけじゃなく、食材を提供した方たちの理屈もある。手塩にかけた、かけていただいた食材、どう食べきりましょうか。



今日の一枚:昨日巡回中に見つけた取り忘れ。これは肥料になって帰ってきてと根もとに置いてきました。


ミツバチ型ドローン

2017-02-25 06:40:23 | 徒然に想う

すごいなぁ。

蜂群崩壊症候群(CCD、いないいない病)ってのがあって、ミツバチが原因不明に大量に失踪する現象のこと。原因は諸説あるが、フランス政府は農薬の成分との因果関連を踏まえて一部の農薬を発売禁止してる。農薬の使用良し、悪しを言いたいのじゃない。その消えたミツバチの代わりを担う物の可能性の話しを見つけた。

 

AFPのニュース:20170210 10:49 発信地:マイアミ/米国

馬の毛と粘着質のゲルでコーティングされた小型のドローン(無人機)が、作物の受粉を助け、世界的なハチの生息数減少を穴埋めする一助となるかもしれないとする研究論文が9日、日本の研究チームによって発表された。

米化学誌「ケム(Chem)」に掲載された論文によると、この超小型ロボットは、同分野での実用化にはまだほど遠いが、病気や気候変動を原因とするハチの減少に対し部分的な解決策を提供できる可能性があると、研究チームは述べている。

(略)

全地球測位システム(GPS)や人工知能(AI)を使って、ドローンに受粉経路を学習させることも可能と考えているという。(c)AFP

 

原因の追究も進んでいるだろうけど、「技術」で補う。もしかしたら、将来、仁ノ滝の果樹園でも、プーンとドローンが飛び回って受粉してるんだろな。でも、その前に解決策が見つかり、ミツバチが飛び回っててほしいけど。



今日の一枚:昨日の午前中、剪定してて見つけた。なんの蛹かな? カミキリムシじゃないのは明らかだし、樹に悪さしそうじゃないから、そのまま。


「見えるためには」は、「見てない」

2017-02-20 18:41:59 | 徒然に想う

てっきり午後から雨だと信用していたのだが、天候はままならない。午前中の予定を変更し、種蒔きをすることにした。といっても、資材が間に合ってない。買い出しから始めなきゃ、と軽トラを出す。車窓越し、山と雲、風、雨の動と静の混沌とした景色が流れる。

谷と谷の合間に雲が漂う。あるいは昇り竜のように、上昇していく。黒森山の山頂付近は雲に覆われたり、ハッキリ見えたり。川に沿って、蛇が進むように、雲がゆったり流れ・・・。そうか、これは、今、自然が、空気の流れや水分の様態を、山や谷、川に対し、どのような変化を起こしてるのか語ったってくれてる、に他ならないんだ。

いつだったか観た洞爺湖の映像がある。外輪山の標高の低いところがあって、そこから一気に湖面に雲が流れ落ちる。麦畑にいると、麦たちが風の通り道を教えてくれる。山の木々、も同じ。仁ノ滝で、向かいの山肌を見てれば、麦たちとおなじ。しばらくして、足元の木々が騒めき、ドンと体が風を受ける。トンビだって。一気に上空まで舞い上がるのは、ここに上昇気流があると言ってるようなものだ。

ブンタンたちをお世話してて分からないことばかり。彼らの体調だけじゃない。取り巻く環境、地上も地下も含め、水や空気の動きがどうなってるのか。間違いなくザレ場や斜面が崩れてるということは、地下で水が滞留し、雨が降れば表層に近いところを流れ落ちるからだろう。すると、ブンタンたちは酸素を水分を栄養分をうまく取り込めてないんじゃなかろうか。解決する、したい。でもその前に、どのようになってるのか、状況を把握してる? 見えないものを見る方法はないんだろかなどと論点をすり替えていない、か。今日目の前で繰り広げられた風景は、そこにすでにある、そのことを物語ってじゃないか。仁ノ滝を対岸から眺めてみたくなった。

資材を買って帰り道、画面中央仁ノ滝に雲がかかっているよう。動きはない、風が弱く空気が滞留か。11時過ぎ。

ふるさと納税の返礼品として文旦を出荷しに家をでた13時頃、天神谷の様子。霧がべっとり、動かない。

 



今日の一枚:県道から横畠に上がる道筋、仁ノ滝の全容は見えないが一部が見えた。17時過ぎのこと。


ありがとう、そして頑張ります

2017-02-17 21:15:12 | 徒然に想う

うん、そうさねぇ。辛いとき、何が必要か。あるいは、相手が辛いとき、何が出来るか、簡単で明確な答えをもってるだろか、ね。50年以上も生きてれば、分かっていそうなこと、答えを知ってる、持ってると思っていた。でも、ね。

なんだろう、疑心暗鬼? 出荷したもの、送ったものが美味しく食べていただけたか気になって、毎日一つ文旦を食べる。糖度をも測ってみる。去年の味わいと比べようと思いだそうとする。あれ? どっちがどうだ? 今年の方が果実の個性が大きくないか・・・。食べれば食べるほど、答えられなくなる。もちろん、たかが二作目、分かるはずもない。

昨年秋に自ら収穫した温州ミカン、長年放置されていたのに、別格的に美味しい。手前味噌? そうかもしれない。でも、樹たちは、人の手を介さずとも、きちんと養分を集め自分たちをしっかり残そうと企て、実現してる。下手に人(庵主)が手を入れれば、それだけ彼らの努力をないがしろにするという確信がアタマを過ぎる。自然は、力強い、計り知れない。

食べれば食べるほど、一年間ほど人の手の入ってなかった去年のものの方が印象的に脳裏に浮かぶ。樹々のお世話をし貴重なものを頂いてる者として言っちゃならない。が、やっちまったか、と。こんな思い、辛いもの以外のなにものでもない。結果だ、もうどうしようもない。そんなとき、喧嘩別れしたような農業の先輩が電話をくれた。大変お世話になった方が注文くれた。お会いしたこともない方がリピートで注文くれた。こんなこと、出来るんだろうか。ありがとう、そして頑張ります。


今日の一枚:先月蒔いたリーフレタス。まだまだ小さいですが、日々大きくなっていきます。そりゃ、ドラマティックですよ。夕方5時過ぎ、庭にて。