ハッカー伝言板改めえむびーまんの日記帳(山本隆雄ブログ)

日本コンピュータクラブ連盟・日本霊能者連盟・日本占い師連盟各理事長・メイドリラク萌とカードカルト経営者 山本隆雄の日記帳

法楽寺から彼岸中日法要の案内が届きました。お彼岸にはよいご先祖様だけが戻ってきます。ご先祖様の供養には回向が必要です。11月21日から小坂奇石展が始まります。

2018-09-08 23:23:34 | 法楽寺おまいり

金曜日、駒川のマンションのポストをみると、法楽寺だよりが入っていました。
彼岸中日法要の案内です。

秋の彼岸は、グループ単位となります。
午前9時から午後4時の間の好きな時に行きます。
申し込み用紙に、施主名と住所。〇〇家先祖代々 や 亡くなった父や母の戒名を書きます。
すると、横で、お塔婆を書いてくれます。
そして、粗供養をいただきます。
そして、客室で、ようかんとお茶をいただきます。
客室で待っていると、20名くらい名前がよばれます。
名前が呼ばれたら、本堂の脇陣の前に用意された30席くらいの椅子に座ります。
前には、そこに座っている人が施主となっているお塔婆が並べられています。
そして、3名くらいのお坊さんよる回向がはじまります。
そして、終了後、前に置かれたお塔婆をいただきます。
そして、88ヵ所の石像の前に作られた臨時の台にお塔婆を置き、お水を手向けます。
それで、お彼岸中日法要が終わります。

★当日、受付けてくれるので、受付で、以下の用紙に記入、一霊につき、2000円を支払うと、誰でも参加できます。
お彼岸の法要をしたいけど、やってくれるお寺を知らないという人は、是非、法楽寺まで行ってください。

 

そして、同封されていたのは、11月21日から12月9日まで開催される、小坂奇石展の案内でした。
私は、字が汚い方なので、書 には、興味がありません。
書 に興味がある方は、是非、どうぞ。

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本日は法楽寺の施餓鬼法要へ。当ブログ読者が声をかけてきました。200名近い人が参列。供物と施餓鬼旗をいただきました。おみくじは半吉。

2018-08-18 19:34:48 | 法楽寺おまいり

毎年、8月18日は、法楽寺の施餓鬼法要の日。

法楽寺へ。1時からは御詠歌。実質的には、午後2時からとなります。


施主を私の名前で、山本家先祖代々。同じく施主を実家に住むものの名前で、父の戒名、母の戒名のお塔婆を作ってもらいます。
1枚2000円。6000円支払って申し込みました。
先日の住職から教わった話では、お塔婆にご先祖様が乗ってくるのではなく、餓鬼に対する施しをしたことへの功徳をご先祖様に届けるという事でした。
そのため、ご先祖様があの世に戻った後、お盆の時期を過ぎてからでも行なえるというものでした。
受付をしていると見知らぬ女性からブログ読んでいます。と声をかけられました。
それで、初めて法楽寺の施餓鬼法要に来たという事でした。
どちらにお住まいかと聞くと、近所という事でした。
先祖供養はどちらでというと谷町にあるお寺でという事でした。
当ブログを読んで法楽寺で本日施餓鬼法要があることを知り、初めて、法楽寺で施餓鬼法要を申し込んだとか。

そして、午後2時過ぎから施餓鬼法要が開始されました。
中央に4名づつ向かい合わせで、8名のお坊さん。
大日如来様の前は、副住職とお坊さん1名。2名のお坊さんが。
そこは、1000枚以上あるお塔婆を読み上げ、そのお塔婆に餓鬼への施しの功徳を送る場所です。

 

私は、散華ゲットゾーン。中央のお坊さんの後ろの最前列に座りました。

散華は、2枚ゲット出来ました。1枚は、実家に住んでいるものに渡します。
大龍寺では、参列者が少なく、希望者全員に散華が当たるので、何枚も拾いますが、法楽寺では、参列者が多く、ほとんどの人に散華が当たらないので、散華は、2枚しか頂きません。

住職は、お経は読まずに、様々な印を結んでいます。
後ろでは、4台の焼香台を使って、焼香が。

 

 

そして、終了。
全員が、大日如来様の前に進み般若心経などをとなえます。

そして、全員が退出。
住職が戻ってきて説法を。

そして、終わって、粗飯をいただきに、本堂横の客室へ。

まずは、先ほどまでお塔婆を読み上げられていたところへ。

すべてのお塔婆には、この葉っぱで、水がかけられていました。

そして、客室で粗飯が。

食べ終わって、外に出ました。
くすのき大明神様にごあいさつ。

本堂へ。続いて田辺のお不動さんへ。

先ほどの当ブログ読者というおばさんがいたので、写メで撮ってもらいました。

1枚目ピンボケ。

2枚目。

田辺のお不動さんへごあいさつ。おみくじ(100円)をひくと57番半吉でした。

そして、大師堂で、弘法大師様にごあいさつ。

そして、お供物と施餓鬼旗をもらいに。
本日、仕事で参加できなかった実家の人用の分の供物もくれと言いましたが、参列者1家族1個という事で、もらえませんでした。
その代わり、施餓鬼旗は駒川のマンションと中野の実家分2本もらいました。
ご供物は卵卵ポテト。両サイドに本日もらった施餓鬼旗。
施餓鬼旗は、仏壇の中に入れておきます。
ご先祖様や位牌の方が、あの世で困ったことがあった場合、子孫が施餓鬼をしたという証明がこの施餓鬼旗で、あの世で便宜が図られるというわけです。

このお盆、ご先祖様に対して、回向できなかった。また、法楽寺の施餓鬼法要に行けなかったという人には、まだ、チャンスがあります。

それは、神戸の再度山大龍寺のお施餓鬼です。
盆大師の日に行われるため、8月21日の開催となっています。
ハガキの案内が届きましたが、21日は、旅行に行くため、今年は参加できません。
こちらは、大きな厚みのあるお塔婆で、1枚5000円となっています。
お金を振り込んで、電話でお願いしてもやってくれます。
現地に行った人には、お弁当が出されます。昼からは、護摩供が開催され、無料でお加持を受けることができます。
まだ、間に合います。
8月21日午前11時からです。

 

 

 

 

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本日は法楽寺で行われた彼岸中日法要へ。ご先祖様大満足。おみくじは47番吉。明治維新から150年目神さま仏さま物語展を見て驚き。こんな宝物が法楽寺にあるなんて知りませんでした。

2018-03-21 23:37:11 | 法楽寺おまいり

本日は、彼岸の中日。
田辺のお不動さん法楽寺では、彼岸中日法要が。

お塔婆は1枚2000円。山本家先祖代々、父の戒名、母の戒名 3枚作ってもらいました。計6000円。

本日は、午前10時半、午後1時半からの2回開催されます。

好きな方に参加すればよいことになっています。
午前10時半からの部に参加することに。

午前10時20分に受付を済ませました。
客殿に案内され、茶菓子のお接待を受けます。

受付と同時に、粗供養を受け取ります。

そして、法要が。

住職、副住職はじめ8名のお坊さんで法要が開始されました。
最前列にあいている席があったので、そこに座りました。
散華を2枚ゲットしました。

このお塔婆の束は、150枚あると仮定。
全体で、6つの机にあるので、6束。
約1000枚のお塔婆があると仮定、200万円分。
午前の部は、この場に居合わせた人が施主となっている分だけ。
午後の部は、来ていない人の分も含めるので、1000枚以上あると考えられます。
200-300万分?
1日で500万円?

宗教法人の禅譲仲介をしている関係で、多くのお寺の住職を知っていますが、
浄土真宗・日蓮宗などには、こんなイベントは、ないようです。
浄土真宗や日蓮宗では、檀家からのお布施や葬式でたべていかないといけないと言います。
浄土真宗の住職いわく、檀家数は、採算ベースが180軒とか。それ以下のお寺はいらないとか。
日蓮宗の住職いわく、関東では、葬式をせず火葬する直葬が7割に達していて、食べていけないとか。
横浜にある臨済宗のお寺なんか、法楽寺と同じくらいの歴史がありますが、借金が1億円あります。
それで、売りに出さざるを得ないわけです。でも、住職の一存ではできないので大変です。

途中から焼香タイムが、

最後は、住職による説法。

そして、1時間ちょいで、法要は終了。
田辺のお不動さんにごあいさつ。
出口の壁にあった
法楽寺不動講(年会費2000円)の会員一覧。
私の名前も入っているか確認。
入っていました。

そして、外に出て、楠大明神にごあいさつ。

 

そして、納経所で、おみくじ(100円)をひくと47番吉。

そして、住職が説法の時に案内していた、神仏習合の展示をしているリーヴスギャラリーへ。

すごい。
住職に、思わず、ほんまもんですか。と聞いてみました。
すべてほんまもんということでした。
また、借り物ですか。と聞くと、違うということでした。
すべて、法楽寺に所蔵しているものだということでした。
すごい。
法楽寺は、空襲の被害を受けなかったので、昔からの宝物が、そのまま残っているのだなぁと思われました。

 

そして、建物の外へ。
本日の大阪市の天気予報は、終日雨。
でも、晴れてきました。
私の天候を操れる力に驚きました。
 

納経所。

 

大師堂へごあいさつ。

最後に、水かけ不動様にごあいさつ。

 そして、法楽寺をあとに。

法楽寺にあったチラシより。

 

 

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本日は元旦。枚方長尾へ墓参り。山本家(父方)・佐々木家(母方)ご先祖様や亡くなった両親に新年のご挨拶と今年の抱負をお伝えに行きました。

2018-01-01 19:50:40 | 長尾墓参り

本日は、元旦。

枚方長尾へ墓参り。

中野の実家のこたつの中で寝てしまい。出かけるのが送れました。
大国町駅で降り、近くのローソンストア100で、お供え品を購入。
今宮戎駅前の事務所に着いたのが、午後3時すぎ。
そして、3時42分の大国町発の四つ橋線で西梅田に。3時52分に到着。
JR東西線の北新地駅へ。午後4時00分発の木津行きに乗車。
午後4時33分に長尾駅に到着。
そこから歩いて、霊園へ。
夕方、日が落ちかけていました。

だんだんと薄暗くなってきます。

ろうそく・線香に灯をともし、お供えをします。

そして、お墓ごとに、新年のご挨拶と抱負をお伝えし、般若心経・光明真言を唱えます。

まずは、山本家の五輪塔に。
新年のご挨拶と抱負をお伝えします。
それから、般若心経と光明真言を唱えます。

続いて、父と母の眠る夫婦墓へ。

父の戒名が書かれている右側には、父の好物だった甘いコーヒーとたばこを。
たばこの銘柄はショートピース。新年のご挨拶と抱負をお伝えします。それから般若心経と光明真言を唱えます。
そして、夫婦墓の左側には、母の戒名が。その前で、斜め左45度に向かって座り、島根・江津市佐々木家と言って、母方の先祖様と水子様にごあいさつ。
新年のご挨拶と抱負をお伝えします。山本家の墓先を借りての佐々木家へのご挨拶は、吉相墓の楠本先生に教えられたやり方です。
ちなみに、私は、毎日、仏壇(駒川のマンション)や陰膳(中野の実家)でご山本家のご先祖様にごあいさつした後、左斜め45度に向いて、母方の佐々木家先祖・佐々木家水子に対しても、ご挨拶しています。

そして、山本家の水子墓へ。水子でおろされたおねえちゃんと生まれた時亡くなったお兄ちゃん。
そして、山本家の水子に対して、新年のご挨拶と般若心経と光明真言を唱えます。

だんだん、真っ暗になってきました。
そして、撤収。
時計を見ると、午後5時40分となっていました。真っ暗です。

そして、長尾駅17時56分発の快速に乗車。大国町駅で、地上に上がると、午後6時45分になっていました。

皆さんの中で、ご先祖様に新年のご挨拶に行かれていない人は、是非、お墓参りへ。

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本日は来年開創1250年を迎える再度山大龍寺の土砂加持法会へ。9名のお坊さんで繰り広げられる秘法。地獄に落ちているご先祖さまも光明真言の力で極楽へ。おみくじは吉。奥の院・大師堂へもお参り。

2017-10-08 19:56:42 | 大龍寺おまいり

本日は、10月第2日曜。
毎年、4月第2日曜日と10月第2日曜日には、神戸・再度山大龍寺で、土砂加持法会(どしゃかじほうえ)が行なわれます。
本日は、秋季の永代土砂加持法会です。

前にも、書きましたが、土砂加持法会のお経の力はすごく、地獄に落ちたご先祖様までも、引き揚げるとされています。それが、一番分かったのが、生まれて初めての霊の憑依でした。
だいぶ前、急に、腰が痛くなり、どうしようもなく痛くなりました。
今は亡き龍降臨先生に難波の鑑定室で見てもらうと、霊が腰に巻き付いていると。
とってもらいましたが、それでも腰が痛いので、ひょうたん良先生に電話でとってもらいました。それでも、相変わらず、痛くて、その日の夜、ダイエー三宮駅前店の食料品売り場でくしゃみ。
腰から全身に痛みが走りました。そんな経験は初めてです。生まれてこの方、腰が痛くなったことがないので。
そして、翌日、大龍寺の土砂加持法要へ。バス停からお寺までの坂道、腰が痛くて、思うように歩けません。いつもの2-3倍の時間がかかりました。そして、土砂加持法要後、奥の院(大師堂)に行こうと思い行きました。
登っているとき、家族に、腰が痛いのとちゃうの。坂道をめちゃ早く歩いている。と言われ、初めて、腰の痛みが全くなくなっていることに気づきました。
ひょうたん良先生いわく、霊は、あらかじめ、私が大龍寺の土砂加持法要へ行くのがわかるので、私に憑依したという事でした。その霊は、どうしても、土砂加持法要のお経がほしかったんやろな。という事でした。
それで、龍先生が除霊しても、ひょうたん良先生が除霊しても、私の腰に、再憑依していたのだなぁと判明しました。

大阪から新快速で三ノ宮まで。そこから、ミント1階のバスターミナルの4番乗り場から、午前10時発の神戸市バス25系統森林植物園行きへ乗車。
25分くらいで、大竜寺バス停へ。途中、サイクリング車で登る人を何名もぬかしました。この坂を自転車で登るなんて。
ちなみに、三宮バスターミナルから大竜寺のバス停までの運賃は、370円。
でも、400m近くの標高まで運んでくれるので、助かります。

そして、坂道・階段を上がります。仁王門へ。

振り返ると、広場では、モトクロスの練習を。でも、400mまで、よく登ってきたなぁと思いました。

そして、仁王門をくぐります。
現在の山門は、再度山ドライブウェイができた時に作られたもので、仁王門こそが、神戸の町から大師道を通って登ってきた時に現れる旧山門となります。

そして、本堂などが立ち並ぶ、境内へ。
本堂の観音様にごあいさつ。

隣にある不動堂の不動明王様にもごあいさつ。

そして、土砂加持法要の会場となる霊明殿へ。

まずは、土砂加持法要の受付へ。
申し込み用紙に、記入します。





山本家先祖代々で1枚。5000円。
父と母の戒名を1枚のお塔婆に書いてもらい5000円。
合計2枚のお塔婆で1万円支払いました。
お供えとお食事券がもらえます。
1枚5000円するだけあって、かなりでかいお塔婆です。

法要終了後に撮影したお塔婆。
プライバシー保護させていただきました。



そして、午前11時4分。秋季永代土砂加持法会がはじまりました。
神戸市内の真言宗8か寺から来られた8人のお坊さんと、大龍寺の住職、計9名により、始められました。

散華まきが、
最前列にいたので、何枚もゲットできました。でも、他の人のことも考え、2枚しか頂きませんでした。

そして、副住職によって、お塔婆に書かれた霊と施主名このお寺に永代供養されている霊とその施主名が読み上げられます。
同時に、焼香がはじまりました。
私が、一番最初に、焼香をあげました。
参列者からの焼香が続きます。
その間も、お経と副住職が読み上げる施主と霊の名前が続きます。
法楽寺の施餓鬼法要では、参列者には、読み上げる声が聞こえませんが、大龍寺は、マイクをつけて読み上げるので、副住職の声が会場に響き渡っています。

そして、クライマックス。
8人のお坊さんが、時計回りに、ぐるぐると回ります。

そして、午後0時20分ごろ、終了しました。

終わった後。中央は大日如来さま。

そして、住職の話が、

来年、大龍寺が1250年を迎えるという話と、弘法大師様の話でした。
弘法大師様は、唐に行かれる前に、この大龍寺に、お願いに来たと言います。
お願いは、①これから、行く唐に無事行けますように。
②①の願いが叶ったら、新しい仏教の指導者に会えて、新しい仏教を日本に持ち帰れますように。
そして、弘法大師様は、長安に渡り、青龍寺で恵果から学んだ真言密教を日本に持ち帰ることができたということでした。
そして、弘法大師様は、都に無事帰ってきたという報告をする前に、大龍寺に立ち寄って、無事願いが叶ったという報告をしたといいます。
それで、大龍寺は、真言密教の聖地として知られるようになったという事でした。
再度公園の中にある修法が原というところで、弘法大師様は、修行をして、そこにある大師堂で、11月21日にもみじ祭りという法要がされるという事でした。

再度山(ふたたびやま)の再びというのは、弘法大師さまが、唐に行く前と唐に行った後に立ち寄られたので名付けられたというのは、神戸市民の多数が知るところですが、
当時、数あるお寺がある中で、唐に無事行ける・行って指導者に出会えて真言密教を日本へ持ち帰れる。など、願いを弘法大師様はこの大龍寺に託したという事は、それだけ、霊験あらたかと弘法大師様が感じていたわけです。

住職のお話が終了。お弁当がいただけるタイムです。

お味噌汁はお替り自由です。下りのバスの時刻の関係で、2杯だけにしました。

おみくじをひくと65番吉でした。
そして、午後1時4分に、霊明殿をあとに。バスの出発まであと26分間しかありません。
急いで、奥の院へ。坂道を駆け上ります。
4分で、大師堂までたどり着けました。

大師堂に入り、弘法大師にごあいさつ。

ここの弘法大師さまの像は、ホンマモンという気がしてなりません。
そして、大師堂から、左に3つ目の祠。



奉納 山本隆雄のさい銭箱に、財布にある1円玉・5円玉をすべて、お賽銭として入れます。

 そして、本堂のある境内までおります。
まだ、お参りしていなかった大黒堂にお参り。
大黒様・毘沙門天様・弁財天様にごあいさつ。

そして、お稲荷様にごあいさつ。

そして、仁王門まで降りて、さらに、山門まで。
13時30分発のバスに無事乗れました。帰りは、中山手3丁目で下車。
大竜寺からの運賃310円。
鈴なりに立ち寄り、奏智先生にごあいさつ。
そして、センタープラザ西館のカードカルトへ。

 

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昭和30年代は日本国民の生活は貧しく生まれてくるのも大変だった。妊娠しても6割は生活苦のため中絶。水子供養は大切です。100%誰もが涙する地蔵和讃。

2017-09-25 10:25:23 | 駒川中野―白山 道

コメント欄に、水子で降ろされた姉 に対して、なぜと書かれていたので、お答えします。

生まれたときに亡くなった兄がいたのは、子供の時から知っていました。
私の生まれた前年の話です。
母が日赤病院で、産婦人科の先生におなかの赤ちゃんを学会出張に行く前に出してくれと依頼、先生はまだ大丈夫と言って、学会出張へ。
そして、先生が学会出張で不在時に、陣痛。インターン(研修医)が出産立ち合い。そのインターンにとって初めての出産立ち合い。
赤ちゃんの取り出しに失敗。
赤ちゃんは死亡。

ただ、不吉な前兆はあったといいます。出産前、殺風景だからと病室に親せきがフランス人形を置いてくれたとか。
風もないのに、フランス人形の頭が落下したとか。

翌年、私が誕生。

子供の時は、私は、その先生を恨んでいました。もし、母の依頼通りに、その時に、赤ちゃんを出していたら、お兄ちゃんがいたわけで。
でも、大人になって、考えが変わりました。もし、兄が生まれていたら、私は、生まれていなかったのではないかと・・・・

水子の姉の存在については、ずっと知らされないままでした。

ひょうたん良先生の滝谷不動近くの祈祷所に行ったのは、知り合って1年ぐらい 2002年ごろでした。

ひょうたん良先生にお祓いしてもらいました。横には、霊媒師の薗和子先生が、
霊がくっきりと見える先生です。

お祓い中、水子の霊が2人出てきたと言います。
一人は、男の子、もう一人は、女の子。
私は、一人だけのはずだといいましたが、薗和子先生は、水子は、男女ひとりづつ2名いると言い張ります。
家で、母親にそのことを言うと、「女の子やったん。」とポツリ。
私は、女の水子がいるという霊能者のいう事を否定しない母親に対して、不思議に思いました。

ただ、母親が、お寺に行ったとき、水子供養をしてもらっているという話は聞いていました。
兄については、瓜破にある山本家の墓の墓標には、達郎という俗名と戒名が彫られています。
お墓まいりだけで十分なのにと、不思議には思っていました。

そして、母が亡くなる2週間前、やっと教えてもらいました。
父と結婚して、妊娠した時、父は無職で、子供を産んでも経済的に育てていけないので、泣く泣く、中絶したと。
経済的事情で、中絶するなんて、現在では考えられません。

調べてみると、当時の日本は、とても貧しい国であったことがわかりました。
町には、失業者があふれ、・・

中絶について調べてみました。
私の生まれた1959年で、妊娠しても43.5%が中絶、20代に至っては、57.9%が中絶されていました。
姉が妊娠したと思われる1955年、1956年は、当時の母と同じ20代では、6割が妊娠しても、中絶されていました。



当時、高等小学校卒がほとんどの時代に、父は、旧制工業学校卒、母は、旧制高等女学校卒。
その当時としては、高学歴にあたります。その後、父は、ちゃんとした会社に就職。
私が生まれたわけです。

自分の兄弟姉妹に相当する水子がいるかどうか。知りたい人は、ひょうたん良先生の電話鑑定をお勧めします。
手下の福山君も、ひょうたん良先生の鑑定を受けて、水子がいると教えれ、母親を問い詰めると水子がいたことを白状したといいます。
親は、子供に、水子(自分の兄弟になっていたかも)がいたことを話しません。ばれるのはたいてい、霊能者に教えられてです。
http://www.reinou.jp

 

でも、当時の日本は、ものすごく貧しい国であったということは、よく覚えています。
参照 当ブログ2012年12月28日記事 福島まで自転車で。帰り3歳のとき住んでいたところを通り、御堂筋のライトアップに驚き。
子供の時のことを今でも強烈に覚えています。中央大通りのでの光景です。
3つの時、阿波座(現在の吉野家のある場所)に住んでいました。当時は、地下鉄の中央線も千日前線もなく、最寄り駅は、御堂筋線の本町駅。
外出するときは、おめかしして、両親に手をつないでもらって阿波座から本町駅まで歩いていました。
中央大通りの両側の歩道には、屋台のようなバラックがずらり。
満州からの引揚者ということを大きくなってから知りました。
電気も水もガスもないバラックで、多くの人が暮らしていました。
自分と同世代の子供たちは、みんなやせ細り、裸に近い格好で素足です。乞食のような格好です。
食事は、道端で作っていました。
覚えているのは、その子供たちの私に向けられた目です。
おめかしして、両親に手をつないでもらって歩いている私に向けられる羨望のまなざしです。
3歳の時の記憶で今でも、鮮明に残っているのは、その羨望のまなざしだけです。
その時、3歳の身でありながら、自分だけが、こんな豊かな暮らしをしてよいのかなぁと思いました。
当時の日本って、本当に貧しい国でした。

水子の話に戻すと、

真言宗の仏前勤行集の中に、地蔵和讃というものがあります。
私は、節をつけて歌うことができますが、
歌っていると、いつも、目から涙がこぼれます。
私は、高野山に行ったとき水塔婆に水子の戒名を書いてもらったり、お坊さんに月参りに来られた時、水子の追善供養をしてもらっています。
皆さんも、この歌を歌って、水子供養の大切さを感じてくください。

「娑婆に残りし父母は追善供養の勤めなく」

私は、娑婆に残りし父母ではなく、弟にあたりますが、追善供養の勤めあり です。

https://www.youtube.com/watch?v=SOO4ePanpnU

私は、100%涙しますが、皆さんはどうですか。

こんなバージョンもありました。こちらの歌詞は知りませんでした。

https://www.youtube.com/watch?v=q-WJD2C5zpQ

歌詞-------------------------------

これはこの世のことならず
死出の山路の裾野なる
さいの河原の物語
聞くにつけても哀れなり

二つや三つや四つ五つ
十にも足らぬおさなごが
父恋し母恋し
恋し恋しと泣く声は
この世の声とは事変わり
悲しさ骨身を通すなり

かのみどりごの所作として
河原の石をとり集め
これにて回向の塔を組む

一重組んでは父のため
二重組んでは母のため
三重組んではふるさとの
兄弟我身と回向して
昼は独りで遊べども
日も入り相いのその頃は
地獄の鬼が現れて

やれ汝らは何をする
娑婆に残りし父母は
追善供養の勤めなく

(ただ明け暮れの嘆きには)
(酷や可哀や不憫やと)
親の嘆きは汝らの
苦患を受くる種となる

我を恨むる事なかれと
くろがねの棒をのべ
積みたる塔を押し崩す

その時能化の地蔵尊
ゆるぎ出てさせたまいつつ

汝ら命短かくて
冥土の旅に来るなり
娑婆と冥土はほど遠し
我を冥土の父母と
思うて明け暮れ頼めよと
幼き者を御衣の    /ミゴロモ
もすその内にかき入れて
哀れみたまうぞ有難き

いまだ歩まぬみどりごを
錫杖の柄に取り付かせ
忍辱慈悲の御肌へに   /ニンニクジヒ ミハダ
いだきかかえなでさすり
哀れみたまうぞ有難き

南無延命地蔵大菩薩

真言

オン カ カ カ ビ サンマエイソワカ
口奄 訶 訶 訶 尾 娑摩 曳 娑婆訶

 別バージョンもあるようです。

帰命頂礼地蔵尊
無仏世界の能化なり

これはこの世のことならず
死出の山路の裾野なる
さいの河原の物語
聞くにつけても哀れなり

この世に生まれし甲斐もなく
親に先立つありさまは
諸事の哀れをとどめたり

二つや三つや四つ五つ
十にも足らぬおさなごが
さいの河原に集まりて
苦患を受くるぞ悲しけれ    /クゲン

娑婆と違いておさなごの
雨露しのぐ住処さえ
無ければ涙の絶え間無し
河原に明け暮れ野宿して
西に向いて父恋し
東に向いて母恋し

恋し恋しと泣く声は
この世の声とは事変わり
悲しさ骨身を通すなり

げに頼みなきみどりごが
昔は親のなさけにて
母の添い寝に幾度の
乳を飲まするのみならず
荒らき風にも当てじとて
綾や錦に身をまとい
その慈しみ浅からず

然るに今の有様は
身に一重さえ着物無く
雨の降る日は雨に濡れ
雪降るその日は雪中に
凍えて皆みな悲しめど

娑婆と違いて誰一人
哀れむ人があらずなの
ここに集まるおさなごは
小石小石を持ち運び
これにて回向の塔を積む

手足石にて擦れただれ
指より出づる血のしずく
からだを朱に染めなして
一重つんでは幼子が
紅葉のような手を合わせ
父上菩提と伏し拝む

二重つんでは手を合わし
母上菩提と回向する
三重つんではふるさとに
残る兄弟我がためと
礼拝回向ぞしおらしや

昼は各々遊べども
日も入相のその頃に
地獄の鬼が現れて
幼き者の側に寄り

やれ汝らは何をする
娑婆と思うて甘えるな
ここは冥土の旅なるぞ
娑婆に残りし父母は

今日は初七日、二七日
四十九日や百箇日
追善供養のその暇に

ただ明け暮れに汝らの
形見に残せし手遊びの
太鼓人形風車
着物を見ては泣き嘆き

達者な子供を見るにつけ
なぜに我が子は死んだかと
酷や可哀や不憫やと
親の嘆きは汝らの
責め苦を受くる種となる

必ず我を恨むなと
言いつつ金棒振り上げて
積んだる塔を押し崩し

汝らが積むこの塔は
ゆがみがちにて見苦しく
かくては功徳になりがたし
とくとくこれを積み直し
成仏願えと責めかける

やれ恐ろしと幼子は
南や北や西東
こけつまろびつ逃げ回る

なおも獄卒金棒を
振りかざしつつ無惨にも
あまたの幼子睨み付け
既に打たんとするときに
幼子怖さやる瀬無く
その場に座りて手を合わせ
熱き涙を流しつつ
許したまえと伏し拝む

拝めど無慈悲の鬼なれば
取り付く幼子はねのけて
汝ら罪なく思うかよ
母の胎内十月の内
苦痛さまざま生まれ出て
三年五年七歳と
わずか一期に先だって
父母に嘆きを掛くること
だいいち重き罪ぞかし

娑婆にありしその時に
母の乳房に取りついて
乳の出でざるその時は
責まりて胸を打ち叩く

母はこれを忍べども
などて報いの無かるべき
胸を叩くその音は
奈落の底に鳴り響く

父が抱かんとするときに
母を離れず泣く声は
八万地獄に響くなり

父の涙は火の雨と
なりてその身に振りかかり
母の涙は氷となりて
その身をとずる嘆きこそ
子故の闇の呵責なれ

かかる罪とがある故に
さいの河原に迷い来て
長き苦患を受くるとぞ
言いつつまたもや打たんとす

やれ恐ろしと幼子が
両手合わせて伏し拝み
許したまえと泣き叫ぶ
鬼はそのまま消え失せる

河原の中に流れあり
娑婆にて嘆く父母の
一念届きて影映れば
のう懐かしの父母や
飢えを救いてたび給えと
乳房を慕いて這い寄れば

影はたちまち消え失せて
水は炎と燃え上がり
その身を焦がして倒れつつ
絶え入ることは数知れず

峰の嵐が聞こえれば
父かと思うて馳せ上がり
辺りを見れども父は来ず
谷の流れの音すれば
母が呼ぶかと喜びて
こけつまろびつ馳せ下り
辺りを見れども母は無く

走り回りし甲斐もなく
西や東に駆け回り
石や木の根につまづきて
手足を血潮に染めながら

幼子哀れな声をあげ
もう父上はおわさぬか
のう懐かしや母上と
この世の親を冥土より
慕い焦がれる不憫さよ

泣く泣くその場に打ち倒れ
砂をひとねの石まくら
泣く泣く寝入る不憫さよ

されども河原のことなれば
さよ吹く風が身にしみて
まちもや一度目をさまし
父上なつかし母ゆかし
ここやかしこと泣き歩く

折しも西の谷間より
能化の地蔵大菩薩
右に如意宝の玉を持ち
左に錫杖つきたまい
ゆるぎ出てさせたまいつつ

幼き者のそばにより
何を嘆くかみどりごよ
汝ら命短かくて
冥土の旅に来るなり
娑婆と冥土はほど遠し
いつまで親を慕うとぞ

娑婆の親には会えぬとぞ
今日より後は我をこそ
冥土の親と思うべし
幼き者を御衣の    /ミゴロモ
袖やたもとに抱き入れて
哀れみたまうぞ有難や

いまだ歩まぬみどりごも
錫杖の柄に取り付かせ
忍辱慈悲の御肌に   /ニンニクジヒ  オンハダ
泣く幼子も抱き上げ  /イダキ
なでさすりては地蔵尊

熱き恵みの御涙    /オンナミダ
袈裟や衣にしたりつつ
助けたまうぞ有難や

大慈大悲の深きとて
地蔵菩薩にしくはなく
これを思えば皆人よ
子を先立てし人々は
悲しく思えば西へ行き

残る我が身も今しばし
命の終るその時は
同じはちすのうてなにて
導き給え地蔵尊
両手を合して願うなり

南無大悲の地蔵尊
南無阿弥陀仏阿弥陀仏

真言

口奄 訶 訶 訶 尾 娑摩 曳 娑婆訶








 

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本日は田辺のお不動さん法楽寺へ。明日の秋のお彼岸中日法要の事前申し込みに。3霊申し込み。おみくじは43番吉。

2017-09-22 19:06:12 | 法楽寺おまいり

本日は、明日開催される秋のお彼岸中日法要の申し込みに法楽寺へ。
当日でも受付けてもらえますが、お塔婆を書いてもらう時間がかかるので、受付で、あらかじめ作ってもらっていたお塔婆を受け取る方が早いので。

まずは、本堂へ。田辺のお不動様にごあいさつ。

おみくじをひくと43番でした。

そして、脇陣の各仏様にもごあいさつ。

そして、納経所へ。
おみくじ(100円)43番を頂きました。吉でした。

そして、明日の彼岸会の申し込みをしました。山本家先祖・父の戒名・母の戒名 3霊なので6000円支払いました。
お彼岸は、地獄に落ちることのなかった「良いご先祖様」があの世からこちらに戻ってこられるときです。
お墓参りやご先祖様の供養をします。
法楽寺の彼岸法要は、宗派が関係ないので、彼岸に先祖供養する計画のなかった人は、是非、明日どうぞ。

 

 

納経所受付前に置いていたチラシ

 

楠大明神様にごあいさつ。

そして、大師堂へ。弘法大師様にごあいさつ。

そして、水かけ不動様にも、ごあいさつ。

そして、法楽寺をあとに。

 

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本日は法楽寺のお盆の施餓鬼法要へ。施餓鬼旗を頂きお仏壇へ。施餓鬼旗は子孫が施餓鬼をした証拠となりあの世でご先祖様がお困りの際には特別な便宜が図られます。おみくじは吉。

2017-08-18 21:57:01 | 法楽寺おまいり

本日は、田辺のお不動さん法楽寺へ。午後2時からの施餓鬼法要に出席しました。
申し込みは先日、済ませておきました。
当ブログ2017年8月15日記事 今夜田辺のお不動さん法楽寺へ精霊送りのため行きました。経木6枚を並べて柄杓で水を手向けました。おみくじは末吉。院主にお盆はいつまでか聞いてみました。大阪は15日まで・京都は16日まででした。

 

駒川のマンションに通勤カバンを置き、プールカバンをもって出ました。
お施餓鬼法要後、長居プールに行っていつもの日課1200m泳ごうと思って。
自転車で法楽寺の山門前へ。

三重の塔が開帳されていました。大日如来様にごあいさつ。

本堂へ。田辺のお不動さんにごあいさつ。

おみくじ(100円)をひくと68番吉でした。

お施餓鬼の会場となるリーヴァスギャラリーへ。
受付で名前を言うと、すでに作られていたお塔婆が出されます。それをお坊さんが、施餓鬼法要の会場へ運んでくれます。
会場は、エアコンがよく効いています。

院主さまの座わる席の前が1席あいていたので、そこに座ることに。
大日如来様の前には、住職とお坊さん合計2名が座ります。
その席で、何百枚か何千枚かのお塔婆(1枚2000円)を読み続けます。
4名のお坊さんが向かい合わせで座ります。計8名。

院主様が座る場所です。

午後2時に施餓鬼法要は、開始されました。

散華が投げられます。
院主様の前の最前列に座りましたが、散華は飛んできませんでした。

院主様は、なにやら、印を結んでいます。

焼香タイム。4台の焼香台に、150名以上の出席者全員が焼香します。

院主様の作法が気になります。

8人のお坊さん、ふつうの体型のお坊さんは、法要中ずっと正座のまま。デブのお坊さんは、足がしびれて途中からあぐらに。
ちなみに、私なら、正座で1時間は持ちません。絶対に、途中で足がしびれ、あぐらになります。

法要が終わると、お坊さん全員が、大日如来様の前へ。般若心経や各仏さまのご真言などが唱えられました。

そして、終了。お坊さんは退場。院主様からの説法が。

山にふった雨は川に流れ、やがて海へ。海からの水蒸気が雲になり、山に雨を降らせる。この繰り返しが、百川海納。
川の時点では、各川ごとにいろいろな味があるが、海に帰ると、同じ味となる。
これを一味という。という事でした。

住職の話が終了。2つの台の間に落ちている散華を発見。いただこうとダッシュ。
他のおばちゃんもダッシュ。台の間に3枚落ちていて、そのおばちゃんは2枚、私は、1枚ゲットしました。
今まで、法楽寺のお施餓鬼に参加して、散華をゲットできなかったことはなかったので、今回、初めてゲットなしかと心配していましたが、最後の最後、ゲットできたわけで、ほっとしました。
院主様の席からみた眺め。

そして、客殿で、食事を。
いつもと同じ、おにぎりとおつけものです。

向かいの席のおっちゃんに撮影してもらいました。

そして、三重塔の横のテントで、粗供養をいただきます。
今回、駒川の住所で、施主が私で、山本家先祖代々。
実家の住所で弟が施主で、父の戒名・母の戒名でお塔婆を申し込みました。
そのため、粗供養・施餓鬼旗も駒川の家用と中野の実家用2つもらいました。

そして、法楽寺をあとに。
駒川の家に立ち寄らずに、長居プールにそのまま行き、帰りに、実家に立ち寄りました。
仏壇は、駒川のマンションに置いているため、中野の実家には、かけ膳と呼ばれるものを置いています。
そこで、毎日、ろうそく・お線香や食べ物をお供えしています。
実家のかけ善のところに、供物と施餓鬼旗を置きました。

そして、駒川のマンションに。
仏壇に、法楽寺から頂いたお供え物と施餓鬼旗を置きました。

駒川のマンション。締め切った部屋で、西日が少し入り、時計についている温度計による気温は、35.6度となっていました。暑い暑い。
他の部屋の時計についている温度計も35.5度。35.1度となっていました。

そして、再び、駒川中野駅から地下鉄に乗り、大国町駅まで。そこから再び事務所へ。


 

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今夜田辺のお不動さん法楽寺へ精霊送りのため行きました。経木6枚を並べて柄杓で水を手向けました。おみくじは末吉。院主にお盆はいつまでか聞いてみました。大阪は15日まで・京都は16日まででした。

2017-08-15 22:58:19 | 法楽寺おまいり

本日は、午後4時半から9時まで、法楽寺で精霊送り。

自分で筆ペンで戒名などを書いた経木6本を持っていきました。

ピークが終了。終わりかけに近い午後8時過ぎに法楽寺に着きました。

山門の前には、供物のお流し受付が。

三重の塔が開帳されていました。

大日如来様、不動明王様、愛染明王様にごあいさつ。

三重の塔の横には、各種受付が、机といすはありましたが、誰も座っていませんでした。
午後8時過ぎなので、受付の人は、撤収済みのようでした。

まず、納経所へ行き、18日の施餓鬼法要の申し込みを済ませました。1霊2000円。山本家先祖代々・父と母の戒名 計3霊で6000円支払いました。

院主さんがいたので、当ブログで話題となっているお盆の終了日を尋ねました。
「地域によって異なり、大阪は、15日まで、京都は16日まで」ということでした。
「大阪人は、せっかち。商売人が多いので早く店を開けたいので、15日までとなった。」ということでした。

納得。
調べると、大阪の鉄道各社は、15日まで休日ダイヤ。それに対して、京都市バスは16日まで、休日ダイヤ。
京都の地下鉄は、大阪と同じ15日まで休日ダイヤですが、これは、相互乗り入れしている近鉄や京阪に合わせたためと思われます。
京都では、16日は完全にまだお盆のようです。

本堂へ。田辺のお不動さんにごあいさつ。

本堂でおみくじをひくと65番でした。
再び、納経所に行き、100円を支払い、65番のみくじ紙をもらいました。末吉でした。

本堂で納経所と逆の側には、本日の回向の受付コーナーがありました。

そして、精霊送りコーナーへ。
経木を並べて、柄杓で、水を手向けました。
隣のおっちゃんは、水を手向けながら、「なむあみだぶー」と何回も唱えていました。浄土真宗の門徒さんのようでした。

大師堂では、特別回向が行われていました。

そして、くすのき文庫まえにある茶菓子の接待コーナーへ。

お茶をいただきました。お茶は2杯いただきました。お菓子は3ついただきました。

境内にあるお地蔵様のところには、提灯が。

志納金2000円の献灯提灯が並べられていました。

山本家先祖代々というものがありますが、私とは無関係な山本です。
大阪では、田中姓に次いで山本姓が多いのでよくみかける光景です。

三重の塔の横の回向受付コーナーは、午後8時半から机やいすの撤収作業が行われていました。

そして、人が列をなしている水かけ不動さんへ。私も、お参りしました。

そして、鐘つき(無料)にも、行列が。私も1打撞きました。

そして、午後8時45分、法楽寺を後にしました。
経木に書かれている山本家の先祖様などは、あの世へ帰って行かれました。
駒川のマンションに戻ると、仏壇の両サイドに置いていた京仏灯・愛宕灯を片付けました。

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本日からお盆・法楽寺にお盆まいりに来てもらいました。

2017-08-13 10:36:46 | 法楽寺おまいり

本日からお盆。
お盆用の提灯も並べました。

今朝、法楽寺のお坊さんにお盆まいりに来てもらいました。

来る時間が、4件目で朝9時から10時の間と聞いていましたが、実際には、8時45分に来られて、午前9時には、出て行かれました。

以前、法楽寺に普段おられないお坊さんが来たこともありました。そのお坊さんに尋ねたところ、1日に26件回ると言っていました。

本日来られたお坊さんは、今年から法楽寺の住職になられた方(前住職・現管長の息子さん)で大阪府仏教青年会の会長をされている方でした。
住職は、1日で25件回るので、後半はゆっくりとなるので、どうしても、最初のころにお参りする家では、フライングして早めに回っているということでした。

昨日1枚いただいた経木も加えて6枚の経木に戒名などを書き、仏壇のところに置いておきました。
山本家先祖代々・父の戒名・母の戒名・水子の兄の戒名・水子の姉の戒名・山本家水子
お経を読んでいるときに、住職が1枚1枚、目を通しているように思われました。
経木の上には、それぞれの霊が乗っていると言われています。
さぞ、各霊は、喜んでいることだと思われました。

15日の夜に、この経木を法楽寺の精霊送りコーナーに持っていき、柄杓で水をかけて置いていきます。
それで、経木に乗っている霊は、あの世に帰っていきます。

生前の行いのよかったご先祖様は、また、秋の彼岸に戻ってこられます。
生前の行いが悪くて地獄に落とされたご先祖様は、来年のお盆に戻ってこられます。

明日は、墓参りに行きます。

皆さんも、お盆のお勤めされていますか。

せっかく、お盆に、戻ってきても、子孫たちが、何もしてくれなかったのでは、、、ご先祖様はがっかりです。

お盆に何もしないという人に限って、交通事故で亡くなったり、海で泳いでいておぼれて亡くなったりするものです。
それは、ご先祖様からの守護がないからです。

逆に、先祖供養をしっかりしている人は、なんぞあっても、ご先祖様が守ってくれます。
ご先祖様と子孫との関係は、ギブ&テイクの関係です。

当ブログの読者の方は、せめて、お盆にお墓参りぐらいはしましょう。

 



 

 

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本日は法楽寺に。経木が1枚足りなかったのでもらいに行きました。おみくじは95番吉。ご先祖様を盆供養する予定のない人は18日のお施餓鬼に参加しましょう。

2017-08-12 18:45:58 | 法楽寺おまいり

本日は、久々に法楽寺へ。

お盆の時に使う経木をもらいに。5枚は配られていましたが、もう1枚欲しかったので。経木は無料でもらえます。

山本家先祖代々・父の戒名・母の戒名・水子の兄の戒名・水子の姉の戒名・山本家水子 の6枚分欲しかったので、、
経木に筆ペンで戒名などを書いていきます。そして、仏壇に並べます。

法楽寺の山門。精霊送りは8月15日の午後4時半から9時と書かれてありました。

平成の三重の塔。

そして、本堂へ。

本堂の田辺のお不動様にごあいさつ。

おみくじを引くと95番でした。

そして、脇陣の各仏様にもごあいさつ。

そして、納経所へ。

経木を1枚もらてました。おみくじ(100円)で95番の紙を頂きました。
95番は吉でした。

そして、8月18日の施餓鬼法要の申込書も1枚もらいました。1枚は届いてたのですが、
山本家先祖は、私が申し込み。父と母のは弟が申し込むことになっているため、申込書が2枚必要となるからです。

一霊 2000円です。まだ、お盆にお寺に行って先祖供養する予定のない人は、18日に法楽寺へ行くことをお勧めします。お施餓鬼当日でも、受け付けてくれます。宗派は関係ありません。
終わった後、粗供養と施餓鬼旗がもらえます。施餓鬼旗は、仏壇の中に入れておきます。施餓鬼旗は、ご先祖様があの世で困ったとき、子孫がお施餓鬼して功徳がある事の証明となり、その旗があることによって、ご先祖様が各種仏様から助けてもらえるというわけです。

納経所の横・本堂の前に茶菓子コーナーがありました。冷たいお茶が用意されていました。

茜丸本舗の五色どらやきを頂きました。

そこに置かれているパンフレットより。慈雲尊者は、日本史の教科書では、太字で出てくる人物です。慈雲尊者は、この法楽寺で得度を受けました。
大阪の文化として本音でしゃべることがあげられますが、大阪人が本音でしゃべるのは、慈雲尊者の2枚舌はいけない。という教えによるものとされています。

人形劇団クラルテなつかしいですね。大阪市立鷹合小学校の児童だったころ、小学校でクラルテの人形劇を何度か見ました。クラルテって、私が小学生の時からあるので、相当歴史のある人形劇団ですね。

 そして、楠大明神様にごあいさつ。

そして、大師堂で弘法大師様にごあいさつ。

四国88ヵ所霊場にの前には、精霊送りに使う特設コーナーが作られていました。

そして、水かけ不動様にごあいさつ。

そして、法楽寺をあとにしました。

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本日は再度山大龍寺へ春季永代土砂加持大法会に参加するため。お弁当を2つ食べました。おみくじは吉。

2017-04-09 18:47:54 | 大龍寺おまいり

毎年、4月と10月の第二日曜日は、再度山(ふたたびやま)大龍寺の永代土砂加持大む法会。(えいたいどしゃかじだいほうえ)
先祖供養のイベントです。

私が大龍寺のイベントに参加するのは、以下の催し。
1月3日の初護摩。2月3日ごろの節分の星祭り。4月と10月の第2日曜日の永代土砂加持法会。8月のお盆の施餓鬼法会。
このうち初護摩は、今年の願い事を。星祭りは私の今年1年の厄除け。要するに、私に関することです。
それに対して、残り3つ。春・秋の永代土砂加持法会とお盆のお施餓鬼は、先祖供養です。

特に、永代土砂加持法会は、8人のお坊さんの読経がきけて、私についている守護霊様も大満足です。
有名な話ですが、私は、準神様で、霊の憑依をまったく許さない体質なのですが、1度だけ長時間、霊に憑依されたことがあります。
どうしてわかったか。腰が猛烈に痛くなったからです。私は、もともと腰痛などのけが全くない体質です。それなのに突然きつい腰痛。
故・龍降臨先生に対面で憑依霊を取ってもらいましたが、腰痛は治りませんでした。ひょうたん良先生に、遠隔で取ってもらいましたが、腰痛は治りませんでした。
大龍寺の土砂加持法会に行く前夜。ダイエー三宮駅前店の地下2階の食料品売り場で、大きなくしゃみをしました。腰に、飛び上がるほどの痛みを感じました。
そして、当日、バス停からお寺まで、腰が痛くて、よちよち歩きしかできませんでした。そして、土砂加持法会の終了後、奥の院・大師堂まですたすたと山を登りました。
その時点では、腰痛の事を忘れているように山を登っていたので、同伴者にどうなっているのかと聞かれました。あれほど痛かった腰痛が完全になおっていました。
ひょうたん良先生に言うと、その霊はお経がほしかったんやろなあ。という事でした。霊は私が大龍寺の土砂加持法会に行くことがわかっていて、私に憑依。
お経がもらえて、上に上がって行ったという事でした。霊たちにとってい、そんなありがたいお経がいただけるのが、大龍寺の永代土砂加持法会というわけです。

大阪から新快速で、三宮まで。金券屋で買った昼得きっぷで、大阪から三ノ宮 290円。
そこから、10時00分発の神戸市バス25系統森林植物園行きのバスに乗ります。ダイヤでは10時23分大竜寺バス停到着となっていますが、実際には、10時26分に到着しました。
三宮からの運賃は370円。標高400mのところまで連れてきてくれるので、安いと思われます。

そして、山門をくぐります。仁王門は大昔からある大師道からの入り口にあり、山門は、再度山ドライブウェイが開通した時にできたといいます。

そして、坂道や石段を登っていきます。
本堂で、如意輪観音や聖観音様。不動堂で不動明王様にごあいさつ。そして、会場となる霊明殿へ。

受付で、土砂加持法会の申し込みをします。お塔婆1枚5000円です。
山本家先祖のお塔婆1枚 5000円。
父と母の戒名併設で1枚のお塔婆1枚 5000円。実際には父・母別々に2枚書いてもらっています。
そして、供物とお食事券がもらえます。

そして、11時5分法要開始。副住職と7名のお坊さん計8名で土砂加持法要がはじまりました。
大日如来様のまえに、三界萬霊と書かれた大きなお位牌が置かれています。

まずは、ばらまかれる散華をゲット。

そして、焼香タイム。
同時に、お塔婆の名前などが読み上げられます。

そして、焼香タイムの途中から、壇の前に座っている副住職をのぞき、7名のお坊さんが立ち上がり、時計周りに壇の周りを歩きながらお経を読み始めます。

 

そして、12時15分。土砂加持法会が終了。

いつもは、住職からのお授けと説話があります。本日は、住職が風邪で39度の熱があるとかでお休み。副住職がお授けと説話を。
そして、お弁当タイム。かす汁以外にお弁当もお替りできるとかで、2人前いただきペロリ。
かす汁も2杯いただきました。

そして、霊明殿をあとに、山を登り、再度山山頂(標高470m)ちかくにある奥の院・大師堂へ。

大龍寺に来た時は必ず立ち寄ります。
再度山の由来は、神戸市民なら全員知っているくらい有名ですが、弘法大師様が、唐に行く前に無事を祈ってお参りに来て、唐から帰ったあと、無事唐から戻ってこれましたとお礼に、再度(ふたたび)お参りに来た事によります。要するに、再度山の山頂近くにある奥の院・大師堂こそが、弘法大師様に非常にゆかりがある場所です。
大師堂の中・ここの弘法大師様の像には、弘法大師様の魂が入っている気がします。

そして、大師堂横の祠の山本隆雄奉納のさい銭箱に、1円玉を入れます。

そして、本堂のある境内におりました。

本堂で、再度、如意輪観音様と聖観音様にごあいさつ。


おみくじ(100円)を引くと、69番吉でした。

そして、再度お不動様にご挨拶。
近畿36不動のお不動様は、霊明殿の中におられる護摩焚きの時の前におられるお不動様ではなく、こちらの不動堂の中におられるお不動様となります。

そして、大黒堂へ。
神戸七福神での大黒様は、ここの大黒様となっています。
大黒様・弁財天様・毘沙門天様にごあいさつ。

そして、お稲荷様にもごあいさつ。

そして、山門前にある大竜寺バス停へ。
午後1時半発のバスに乗り、NHK神戸放送局前にある中山手3丁目のバス停まで。大竜寺からの運賃310円。午後1時45分到着。
そして、神戸の霊能者のところにより、カードカルト神戸三宮店へ。
そして、三ノ宮から新快速で大阪まで。そして、大国町の事務所へ。

土砂加持法会に参加したので、山本家のご先祖様大喜び。
それに、8名のお坊さんによるお経を頂けて、私の守護霊さまも、パワーアップしたと考えられます。

土砂加持法会をネットで調べるとさるブログに以下のように書かれていました。

------------------------------------------------------------
導師は、大壇の前に置かれた礼盤(らいはん)に座り、「光明真言土砂加持秘法」という、正面に掛けられた曼荼羅(まんだら)の主尊である大日如来を大壇にお招きして供養する、一座の修法を行います。

 「土砂加持について」

不空羂索経(ふくうけんじゃくきょう)に、「光明真言を百八遍唱えて土砂を加持し、その土砂を屍骸、墓、塔その他あらゆるものの上に散ずれば、その亡者が地獄・餓鬼・畜生・修羅にあって苦しんでいても、大灌頂(だいかんじょう)光明真言加持土砂の功力によって光明を得て、諸々の罪報を除き、苦身を捨てて西方極楽国土に往き、蓮華の上に化生し、菩提を成ずる」

と説かれていることから、中国では唐朝において既にこの法会が行われ、我が国では、明恵上人高辨(みょうえしょうにんこうべん)や興生菩薩叡尊(こうしょうぼさつえいそん)上人などが宣揚して鎌倉時代より広まり、今日では近畿四国中国地方一帯で広く行われるようになった大法会であります。

土砂は地を表し、五輪塔の基壇となる地大であり、すなわち阿字・万徳の総体を表しています。その土砂を病障、宿業、罪障を除くとされる光明真言で加持するところにこの法会の深秘があるとされています。

 「修法(しゅほう)について」

導師はまず、自らの身と道場を清め、仏さまにこの度の修法についての意義、並びに心願を申し述べ、続いてこの修法の成就を神々に祈ります。その後、道場を荘厳して大壇に仏様をお招きし、鈴を鳴らして、塗香(づこう)や華蔓(けまん)、焼香や飯食(おんじき)、灯明などを供養します。

そして、導師とお招きした仏さまが一体となる観想をなし、続いて、大壇の多宝塔の前に置かれた土砂器の土砂を光明真言によってお加持します。それから、導師は、檀徒各家からお申込をいただいた先祖代々並びに各精霊の塔婆供養を行い、加持した土砂の功徳を各塔婆に遍くいきわたらせます。

そして再度塗香や華蔓などを仏さまに供養し、この一座の修法の功徳を三宝や一切の精霊、神々、天人などに回向し、お招きした仏さまを曼荼羅の本位にお送りして、修法を終えます。

この間、職衆は、声明(しょうみょう)と言うふしのある経文を唱え、導師が仏さまをお招きする道場を荘厳し、また仏さまのお徳を讃歎して、仏さまの教えであるお経、ここでは般若理趣経をお唱えします。

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本日は法楽寺に彼岸中日法要の申込書をもらいに。先祖供養は盆・彼岸繰り返し繰り返し行うのが効果的。お参りでは旅行の安全を祈願も。おみくじは吉。

2017-03-12 20:15:32 | 法楽寺おまいり

本日は、ディリーカナートイズミヤ昭和町店に買い物に行く途中、彼岸中日法要の申し込み用紙をもらいに法楽寺に立ち寄りました。
私は、山本家先祖代々。実家にいる家族が父と母の戒名で申し込むため、申込用紙が2枚いるからです。1枚足りないので。
本年の彼岸中日法要は3月20日。午前10時半と午後1時半から。本堂で行われます。

まずは、本堂へ。田辺のお不動さんへごあいさつ。今月行く旅行についての安全祈願をしておきました。
脇陣の各仏さんにもごあいさつ。
おみくじをひくと44番の棒が出ました。

そして、納経所へ。
44番のみくじを頂きました。
吉でした。
そして、お彼岸中日法要の申し込み用紙を頂きました。
納経所の職員にきいたところ、お彼岸中日法要は、もう、受け付けているとか。

皆さんもお彼岸は、お墓参り以外に、近くのお寺で、お彼岸の中日法要をお願いしましょう。
ご先祖様大喜びです。〇〇家先祖代々 という形で申し込みます。また、父とか母とか特定の人を重点的に供養したい人は、その人の戒名で申し込みます。
お塔婆を作ってくれます。
先祖供養は、1回すればよいのではなく、1年に機会あるごとにするのが望まれます。
私の場合、盆・春秋の彼岸計3回を法楽寺で。盆・春秋の永代土砂加持計3回を大龍寺で。1年会で合計6回、お寺さんで山本家に対する先祖供養を行ってもらっています。
それをかれこれ10年あまり続けています。また、高野山に行った時は、奥の院で、水塔婆を書いてもらつって、先祖供養を水向地蔵さんに託しています。

私は、いつも、攻めの神様・守りの仏様 と言っています。
わかりやすいたとえで言うと、事業など進めるとき、うまくいくようにしてくださるのが神様。業績が悪くてもつぶれないように守ってくださるのが仏様と見ています。
目標に向かってうまくいっているのに、突然、交通事故で亡くなったという人は、神様による加護があったのに、仏様による守りがなかったという事になります。
長生きしたい人は、先祖供養をし続けるのが一番の早道です。ご先祖様から見れば、自分たちをええ気持ちにさせてくれる(先祖供養)子孫には、長く生きてもらって、自分たちを長い間ええ気持ちにさせてもらいたいと考えるからです。
法楽寺のお彼岸のお塔婆には、結構、釋・・という戒名を見かけるので、宗派を問わなかったと思われます。どこのお寺に行ったらよいかわからない人は、法楽寺に申し込みに行ったらよいと思われます。3月20日当日、行けなくても、2回目の午後の法要時に、お塔婆を読み上げてくれると思われます。

境内にあるくすのき大明神にごあいさつ。ここでは、神社扱いで拍手を打ちます。

そして、大師堂にごあいさつ。
水かけ不動明王様にもごあいさつ。

西門の田辺大根記念碑の前に、梅?の木が、、。しだれ桜のようにしなっています。

そして、田辺のお不動さんをあとに、久々に昭和町へ。

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本日は今回で最後となるスルッとKANSAI3DAYチケットで高野山へ。おみくじは末吉・中吉。九度山の道の駅で98円の高野槙10本買いました。

2016-12-11 20:52:40 | 高野山おまいり

本日は、最後となるスルッとKANSAI3DAYチケットの1日目を使って、高野山へ。
スルッとKANSAI3DAYチケットの廃止は南海電車が強く主張してと聞いています。
あれは、売れた時点で、通常の輸送実績に按分された金額が各電鉄会社にはいる仕組みとなっています。
通常の通勤客が多くて、スルッとKANSAI3DAYチケット利用の観光客の利用の少ない電鉄会社が得をして、その逆の電鉄会社が大損をする仕組みとなっていました。
スルッとKANSAI3DAYチケットの利用者が一番多そうなのが南海電車です。
高野山に行く人が多く、また、関空・なんば間は、中国の旅行会社が、団体客移動用に、使いまわししているのが有名です。
南海電車の世界遺産切符は、なんばから高野山の往復+高野山上のなんかいりんかんバス乗り放題で、2850円。
3日間で5200円のスルッとKANSAI3DAYチケットを用いれば、それが、約1720円に。しかも、南海電車は乗り放題なので、九度山にも立ち寄れます。

事務所についてから、目の前の今宮戎駅から乗車。次のなんばまで。本日は、9時24分発の8両編成の高野山極楽橋行急行に乗りました。
前から3両目。向かい合わせとなっているクロスシート4席を独り占め。足を延ばしていました。
なんばではがらがらなのに、天下茶屋で、ほぼ満席。立ち客も若干いました。堺東からはすいてきます。
橋本で、うしろ4両切り離し。4分ほど停車するので、その間にトイレに行きます。

そして、標高537メートルの極楽橋駅へ。なんばでの海抜はせいぜい15-20メートル。この急行。100分でよくここまで登ってきたなぁと感激します。
極楽橋駅で、高野山行きケーブルカーに乗り換えます。
一番前に乗りました。傾斜は、15度から30度という事です。
 

そして、5分で標高867メートルの高野山駅へ。
駅で、チラシをとるとき、参拝・乾杯高野山2016スタンプラリーというパンフを見つけました。


さっそく、高野山駅のところにスタンプを押しました。
そこから、奥の院前行きのバスに乗ります。

そして、終点奥の院前。バス通りをすこしバック。中の橋霊園へ向かう道に進み、中の橋へ。
汗かき地蔵様にごあいさつ。姿見の井戸を見ます。

そして、参道を御廟方向へ。そして御廟橋へ。
↓突き当りにあるのが燈籠堂。


そして、御廟橋の手前にある納経所に。
水塔婆を書いてもらいます。
山本家先祖代々・父の戒名・母の戒名・水子の兄の戒名・水子の姉の戒名・山本家水子・(母方の)佐々木家先祖代々・佐々木家水子の8枚のお塔婆を書いてもらいます。
1枚200円で、合計8枚。1600円を支払います。

そして、水向き地蔵さまの前に並べます。私は、左から6体目の大日如来風お地蔵様の前の箱に水塔婆を手向けます。そして、柄杓で水をかけます。

そして、御廟橋を渡ります。
みろく石のところへ。大学生風の男の子2名が眺めていました。やり方がわからないようでした。

いつものしとおり、穴から片手を入れて、みろく石を下の段から上の段へ移動させます。
先に右手、続いて、左手。あっけなく、みろく石を上の段に石が移せます。
この石、おもかる石とも言われ、善人には軽く、悪人には重たく感じるそうです。
私は、善人なので、軽く感じます。

ギャラリーの大学生も私のやっているのを見て、真似してやっていました。
が、上の段に石をあげれたものの、そのあと、下の段へのおろし方がわからないようでした。
私は、裏につるしてある棒の存在を教えて、それで、突いて、下の段におろすことを教えてあげました。

そして、燈籠堂へ。添え護摩木に書きます。表に、山本隆雄とふりがな。今年の数え年齢。
裏には、願い事。商売繁盛・開運厄除・心願成就。と。
そして、受付に500円を添えて差し出します。お坊さんは、「明日の朝、護摩焚きします」といいます。
ちなみに、旅行ツアーのコンダクターがツアー客に話しているのを横で聞いた情報ですが、御廟橋から先の燈籠堂にいるお坊さんは、独身に限るという事でした。
弘法大師様の御廟にお参り。線香とろうそくを手向け、般若心経などを唱えます。

そして、奥の院で一番大事なお参りの場と言われている地下法場へ。ここでも、般若心経・光明真言を唱えます。
そして、御廟橋から出ました。

そして、護摩堂へ。

厄除け不動明王様と厄除け大師様にごあいさつ。ご真言を大きな声で唱えます。

そして、あじみ地蔵様にごあいさつ。そして、横にあるおみくじ自販機を引きます。100円。

8番末吉でした。

そして、大黒堂へ。



大黒様、毘沙門天様、弁財天様にごあいさつ。

そして、休憩所へ。
温かいお茶を飲みます。スタンプラリーのスタンプがありました。奥之院・休憩所のところにスタンプを押しました。

そして、奥の院前のバス停へ向かうため、参道を歩きます。

ふと左手をみると、浅野内匠頭と忠臣蔵47士の墓所がありました。昨夜、朝日放送でやっていた忠臣蔵のテレビを見ていたので、手を合わせました。

そして、奥の院のバス停へ。バスに乗り、千手院橋バス停へ。
そこで下車。歩きます。
金剛峯寺へ。

参与会の袈裟をつけると、入場料が不要の上、線香1箱がもらえます。
私は、来年の宝来3枚入り・1000円を求めました。
そして、スタンプラリー。金剛峯寺(拝観受付)のところにスタンプを押します。
そして、休憩所へ。お菓子とお茶をいただきます。(無料)
そして、真然御廟にごあいさつします。

そして、金剛峯寺をあとに。
普通なら、ここから、蛇腹路(じゃばらみち)を通り、壇上伽藍(だんじょうがらん)地区へ行きますが、スタンプラリーのスタンプ4か所のうちの一つが、霊宝館となっていたので、バス通りを通り、霊宝館へ。

スタンプラリーには、ここのみ、拝観料がいると書かれていました。
が、私は、参与会の会員。袈裟をつけてはいると無料で入れます。
霊宝館には何度も来ているので、スタンプだけ押して帰ろうとしました。
が、「「真田丸」の時代と高野山」という企画展をやっていたので、ついつい見入ってしまいました。
金堂前14時23分発のバスに乗る予定でしたが、1バス遅らせて、金堂前15時20分発のバスに乗ることに。
真田丸時代の当時の文書などが多数展示されていました。
意外な発見は、真田昌幸・幸村親子が高野山に流されて、九度山に移ったのは有名ですが、高野山のあと、少しの期間、細川に住んでいたという事でした。極楽橋駅の2つ手前の駅に紀伊細川という秘境駅がありますが、当初は、そこに住んでいたそうです。が、数十名も住める場所ではなかったので、九度山に移ったという事でした。
そして、霊宝館の場所にスタンプを押しました。これで、4ヵ所そろいました。
さらに、スタンプラリーのパンフを6枚とり、霊宝館のスタンプだけ押したものを6枚つくりました。次回に利用する予定です。
そして、霊宝館を出ました。
そして、歩いて、壇上伽藍地区へ。
いつもは、蛇腹路から入るので、根本大塔・金堂・四社明神の順のお参りとなりますが、今回は、バス通りにある中門から入ったので、金堂・四社明神・根本大塔という順にお参りすることに。
まずは、金堂へ。参与会の袈裟着用なので、無料で入れます。

づいて、六角経蔵を1周廻しました。

私が回してるのを見て、自分もしたいと思った家族連れのガキが、走ってこちらに向かっていました。

そして、四社明神へ。

神様にごあいさつ。奥の院のおみくじが末吉だったのを伝えると、前回は、大吉を出してあげると言われたのですが、
今回は、あとでまいる根本大塔の大日如来さんにきいてみい。と言われました。
そして、根本大塔へ。

大日如来様などにごあいさつ。私は、神様とお話し(インスピレーションで言葉が飛び込んでくるだけで音声で聞こえてくるわけではない)できるのですが、仏さんとは無理です。
仏像には、いくら話しかけても、なんの言葉もインスピレーションで入ってこないのです。そのため、おみくじの事を聞くことはしませんでした。

納経所でおみくじ(100円)をひくと、2番中吉でした。

そして、15時20分金堂前発の高野山駅前行きのバスに乗車。高野山駅へ。

スタンプラリーの4ヵ所スタンプがそろったパンフを見せました。
ひとり1回1枚と書いてあるけど、2枚出しました。別にあかんとは言われませんでした。
プレミアムモルツと入浴剤。どちらですかと言われたので、入浴剤と答えると駅員は不思議そうな顔をしていました。
私は、酒が飲めないので、モルツをもらっても仕方ないので、入浴剤を2つもらいました。

そして、ケーブルカーで、極楽橋駅へ。
下りも、最前列に座りました。

そして、極楽橋駅へ。ここで連絡しているのは、天空でした。天空は、南海本線の特急サザンと同じく自由席と指定席が混在した編成です。自由席なら料金はいりません。
生まれて初めて天空の自由席に乗ることになりました。
前2両は自由席。普通の車両。後ろ2両は天空の車両。こちらに乗るには、別途500円ほどいります。
前2両の自由席は満員でした。
私は、ケーブルカーを降りて、1等賞で自由席についた訳ですが、空席は、2両で6席しかありませんでした。
要するに、同じケーブルカーに乗った人で、座れた人は6名しかいない勘定になります。
橋本行きの天空の停車駅は、九度山・学文路(かむろ)。橋本まで他の駅は通過します。
九度山で下車しました。

九度山で下車したのは、お墓参り・仏壇用など、道の駅・柿の郷くどやまに行って、高野槙を買うのが目的です。
道の駅・柿の郷くどやままで歩きました。

道の駅には、九度山町の歴史コーナーなどもあります。

産直市場よってってで、98円の高野槙10本買いました。

そして、歩いて、九度山駅まで。

途中、例の無人販売所が。

富有柿5個入りで200円は安いので、一袋買いました。

そして、九度山駅から4両編成の各停で、橋本へ。
橋本駅で、8両編成の急行なんば行きへ。

そして、終点なんばで、各停に乗車。次の今宮戎駅で下車。事務所に戻りました。

事務所についてから入浴剤を見ました。
赤い六文銭のふたをとると、紀伊 湯 と書かれた1回分の入浴剤が入っていました。

 

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本日は弘法大師様ゆかりの再度山大龍寺(ふたたびさんたいりゅうじ)の秋季永代土砂加持大法会へ。おみくじは末吉と小吉。

2016-10-09 18:30:11 | 大龍寺おまいり

本日は、10月の第2日曜日。毎年、4月と10月の第2日曜日には、大龍寺の永代土砂加持大法会があります。
土砂加持法要は、猛烈に効く、先祖供養・亡くなった方への供養です。

朝、大阪駅9時15分発の新快速に乗車。9時36分三ノ宮駅に到着。ミント前の乗り場から10時00分発の25系統森林植物園行きに乗車します。

ダイヤ上では、10時22分に大竜寺に着くことになっています。が、実際には、10時27分に到着しました。運賃は370円。ここの標高は420メートルくらい。

山門から坂道を登ります。
仁王門から急な石段。本堂の場所へ。さらに奥の院に向かって、登っていきます。奥の院は、海抜470メートルの再度山の山頂近くにあります。

奥の院・大師堂へ。
いつも、大龍寺にきて、真っ先に向かうのは、奥の院・大師堂です。
再度山大龍寺の大龍寺という名前は、和気清麻麿公が、弓削の道鏡の追っ手から、あわや。というというときに、大蛇が出てきて、追っ手をやっつけたところから来ています。その場所に、のちに和気清麻麿公が建てたお寺が大龍寺です。
再度山(ふたたびやま)の再度(ふたたび)は、ウィキペディアによると、弘法大師(空海)が延暦23年(804年)に入するに当たって、船旅の無事と学問成就を念じてこの山(当時「摩尼山」と呼ばれていた)に参詣した。唐から戻った際、無事帰国できたことを感謝すべく、再び(再度)登山し修行した。この伝説に由来するといわれる。

奈良時代、当時、お寺は各地にあったにも関わらず、弘法大師様は、わざわざ大龍寺を選んで、唐に行って、成果をもって、無事日本に帰れるようにお祈りしたわけで、それだけ霊験あらたかな場所というわけです。
そのお寺の大師堂です。弘法大師様のゆかり度が他のお寺より各段に違うので、真っ先に参るわけです。
大師堂では、いつも中に入って、弘法大師様にごあいさつします。

大師堂の中。この弘法大師像には、モノホンの弘法大師様がおられるようでなりません。

そして、大師堂から見て、左手の祠群の右から3つ目の祠に。
賽銭箱 奉納山本隆雄 となっています。
ここへ、1円玉5枚をほりこみました。

そして、山を下り、霊明殿へ。

途中の道で、毒キノコ発見。キノコをみてもわかりませんが、絶対に毒キノコと思われました。

霊明殿に到着。午前10時51分。

玄関を入ったところの受付で申し込みます。お塔婆1枚5000円。私は、山本家先祖代々。針中野の実家の家族は、父と母の戒名で1枚のお塔婆で5000円。実際には、戒名ごとに、別々に2枚書かれていました。5000円得した気分に。
お弁当券と供物をいただきます。

先祖や亡くなった方への供養は、その功徳の1/6しか受け取らず、その5/6は、施主にお返しすると言われています。
要するに、5000円支払っても、4167円分は施主に戻ってくる計算となります。
みなさんも、お寺で、先祖供養・回向の受付 を見かけたら、迷わず、申し込みましょう。なぜなら、その功徳の5/6は、申しこんだ人へ戻って来るからです。

そして、午前11時過ぎから土砂加持法要がはじまりました。
住職と近隣の真言宗のお寺から駆け付けた9名のお坊さんによって、行われます。

しばらくお経を読むと、お坊さんたちが立ち上がり、散華をまきます。


散華は、2枚ゲットしました。

そして、焼香タイム開始。

前に置かれた、焼香台で順次、焼香していきます。今回は、私が、トップバッターで焼香しました。関西では、焼香の回数は3回と決まています。参列者は、全員3回焼香します。

焼香がはじまると、副住職が、お塔婆を読み出します。
申し込みのあったお塔婆をすべて読んだ後は、霊明殿2階にある永代供養の「納骨仏壇マンションの墓」に入っている方の名前を読み上げます。

そして、法要もクライマックスへ。
9名のお坊さんが立ち上がり、お経を唱えながら、時計回りに回りだします。

 

そして、土砂加持法会が終わりました。
午前11時20分でした。

そして、住職が椅子に座り、お授けの儀式を行います。
そして、住職による説法が。
本日の説法のテーマは、四苦八苦でした。

土砂加持法会の意味をよそのブログからバクって来ました。最高の先祖供養・亡くなった方への供養をするための秘法であるわけです。
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「土砂加持について」

不空羂索経(ふくうけんじゃくきょう)に、「光明真言を百八遍唱えて土砂を加持し、その土砂を屍骸、墓、塔その他あらゆるものの上に散ずれば、その亡者が地獄・餓鬼・畜生・修羅にあって苦しんでいても、大灌頂(だいかんじょう)光明真言加持土砂の功力によって光明を得て、諸々の罪報を除き、苦身を捨てて西方極楽国土に往き、蓮華の上に化生し、菩提を成ずる」

と説かれていることから、中国では唐朝において既にこの法会が行われ、我が国では、明恵上人高辨(みょうえしょうにんこうべん)や興生菩薩叡尊(こうしょうぼさつえいそん)上人などが宣揚して鎌倉時代より広まり、今日では近畿四国中国地方一帯で広く行われるようになった大法会であります。

土砂は地を表し、五輪塔の基壇となる地大であり、すなわち阿字・万徳の総体を表しています。その土砂を病障、宿業、罪障を除くとされる光明真言で加持するところにこの法会の深秘があるとされています。

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そして、昼食タイム。
弁当とお味噌汁が出されます。


お味噌汁はお替り自由なので、2杯いただきました。
いつもの七福神おみくじ(100円)をひくと、3番末吉でした。おみくじに入っていた七福神は布袋さんでした。



運気上昇みくじ(200円)を見つけました。ひくと55番小吉でした。おみくじに入っていた運気上昇グッズは、様々な運気が上がります。という説明のついた「日のぼり」でした。

そして、霊明殿の中にある大日如来様や愛染明王様、不動明王様にごあいさつ。

お塔婆の中に私が施主となっているものを見つけました。

そして、霊明殿を後に。
本堂のある場所へ。

まずは、不動堂へ。不動明王様にごあいさつ。このお不動さんが、近畿36不動の9番の札所のお不動様です。

そして、本堂へ。
本尊の如意輪観音様と聖観音様にごあいさつ。


そして、大黒堂にお参り、大黒天・弁財天・毘沙門天にごあいさつ。
神戸七福神では、大黒さんは、ここの大黒さんとなっています。


そして、大竜寺のバス停まで下りました。
大竜寺バス停を13時30分発、三宮駅前行の神戸市バスに乗車。中山手3丁目で下車しました。運賃は310円でした。

そして、歩いて、カードカルトへ向かいました。
途中にある、昔、日本霊能者連盟にいた霊能者の鑑定室に遊びに行きました。

そして、カードカルト神戸三宮店へ。
そして、歩いて、JR三ノ宮駅へ。新快速に乗って、大阪へ。
そして、地下鉄で梅田から大国町へ。そして、事務所へ。

 

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