本日は、法楽寺の施餓鬼法要の日。
午後2時からなので、午後1時40分に法楽寺に到着しました。

施餓鬼法要の会場へ。

受付で、ご供養と施餓鬼旗の入った紙袋をもらいます。
胎蔵界の大日如来様の前で行われます。


上院様のお話が。
春の彼岸法要の時からそうなりましたが、コロナ対策で、参加者は、法要の最後までいてもらうのではなく、焼香が終わったら、順次、退出してもらうことになるので、
先にお話です。

リーヴスギャラリーの入口。上院さんは、これらの書の意味を述べられていました。

私の席の前には、焼香台が。


いよいよ、施餓鬼法要が開催されました。

前に、塔婆を読むお坊さん2名。両サイドには、法要をするお坊さんが各2名づつ。
両サイドのお坊さん四名は、お経を唱えるので、マスクではなく、フェイスフィールドをつけていました。



塔婆を読んでいく住職。



20分ほどたって、焼香が開始されました。
焼香が終わり次第、密を避けるために、会場から退場です。
本堂に粗供養が用意されているとのことでいつもと同じく、本堂の客殿へ。
が、いつものように、客殿で食べるのではなく、粗供養が配られ、家で食べるようになっていました。
密を避けるためにです。
楠大明神にごあいさつ。

鈴を鳴らす紐には、ビニールシートがまかれていました。おそらく、定期的に消毒しているのでしょう。
本堂に行き、田辺のお不動さんにごあいさつ。


おみくじをひくと55番吉でした。

大師堂へ。弘法大師さんにごあいさつ。

水かけ不動様にごあいさつ。
コロナ感染防止のため、水をかけるひしゃくは置かれていませんでした。


法楽寺からの帰り、恩楽寺の前を通ります。
先日、テレビニュースで見た、模擬原子爆弾投下跡地石碑を見ました。
ローソンストア100東住吉田辺店の信号を渡った向かいにある石碑は昔からあり知っていましたが、恩楽寺の門前にある石碑の存在は知りませんでした。
長崎に落とされた爆弾とまったく同じものですが、プルトニウムを積んでいなかったので、死者数は、長崎の7万人に対して7名。
負傷者 73名。壊れた家 485戸。でした。当時、天王寺以南の大阪市南部は、空襲を受けていなかったので、大都市大阪の中心とみなされて、落とされたようです。
模擬爆弾は、都市の中心に落とすように命じられていました。上空から見れば、田辺が大阪市街地の中心に見えたからでした。
当時は、田辺に新型爆弾が落とされたと大きなニュースになり、田辺の次は、東住吉区の中心・針中野に落とされると噂になり、針中野の住民は、二束三文で家を売って逃げました。
うちの祖父母は、堺の家を堺大空襲で焼かれたので、針中野(田辺東之町)で二束三で売りに出されていた家を買いました。
買った三日後に終戦。二束三文で売った人が、買戻しに来ましたが、アホかと言って追い返したと聞いています。

模擬原爆資料館

駒川のマンションへ。
暑い暑い。本日の大阪市の最高気温は、午後3時5分の37.1度。
この時間は、駒川のマンションに着いた頃です。
いただいた御供養を仏壇にお供えしました。

いただいた粗供養をいただきました。
