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疲弊した日本経済は先行きがまだ見えず、震災以降の復興景気も上がりません。
そんな日本経済のの中心地・東京で、港区の青山周辺は、いつもより街が静かになっています。新宿や渋谷のような喧騒と異なる青山ですが、どことなく上品さを漂わせる騒音も、幾分抑えられています。
そんな街の外苑西通りに面した北青山2丁目に行きました。いつものように骨伝導ヘッドセットを装着して、地下鉄外苑前駅から歩きました。
青山通りとの交差点からも離れていない外苑西通りに、突如現れたのが朱色の門構えです。とにかく目立ちます。青山の街に異様な建築物が現れた感じです。ここが海蔵寺です。
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都会の寺院らしく奥にある本堂は4階建てのビルの3階部分になります。墓地に行くにはビルの1階の吹き通しを抜けた場所になります。この点は東京の青山らしい(?)気がしないでもありません。
海蔵寺が開創されたのは寛文11年(1671年)で、鉄眼道光禅師によります。黄檗宗に属する禅宗寺院です。開基は鉄眼禅師に帰依していた井伊直孝公(彦根藩主)の室と直孝公の息女(亀姫)だそうです。
黄檗宗の寺院は同じ禅寺でも臨済宗や曹洞宗と異なり、数が圧倒的に少ないせいか、とても新鮮に感じます。
正徳2年(1712年)になると、徳川幕府の4代将軍・家綱の三十三回忌追善のため、寺号官許を受けたことから海蔵寺と称するようになりました。江戸の中心部に近かったせいか、江戸幕府との関係はやはりありました。
享保18年(1733年)には伊賀之者の給地を添地として下賜されたようです。
外苑西通りの往来と朱塗りの門、ビルの本堂、どこかちぐはぐでなぜか調和が保たれた不思議な空間です。骨伝導は騒音激しい外苑西通りのノイズに影響されず、不思議な空間が奏でる音声を骨から脳へと伝えてくれます。ある種の「癒し」なのかもしれません。
⇒ 驚異の骨伝導製品
さすが、米軍が採用している特許技術を使った骨伝導スピーカーです。
不思議な空間と日常の音声を、これまた調和させてくれるようです。
ところで鉄眼道光禅師とは、後に各地を転錫し、摂州(現在の大阪府)難波の薬師寺を修復し、瑞竜寺(通称・鉄眼寺)と改称した人物です。大蔵経版行の宿願を遂げた人物としても知られ、昭和に入ってから(昭和7年・1932年)に宝蔵国師の宣下がされています。
日本経済の先行きはまだ見えませんが、こんな異空間に身を浸し、骨伝導を使って先行きを「聴く」というのはどうでしょうか?
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