骨で聴く異世界

耳を使わずに「聴く」世界を旅します。耳をふさいでいても聴こえる世界です。

阿波洲神社を骨で聴く

2016-11-27 10:06:43 | 骨で聴く巡礼旅

西東京市は保谷市と田無市が合併した都市で、平成の大合併に先駆け、21世紀最初の新設合併による市とし誕生しました。

そんな旧田無市と旧保谷市が特に合併して不自然さを解消した場所があります。それが旧保谷市の新町です。

細長く旧田無市に入り組んでいた地域で、どこに行くにも旧田無市の地域を通らないと不便でならない場所でした。

 

そんな地域で岩倉高校の野球部に隣接して阿波洲神社が鎮座しています。

田無神社が兼務社になっています。

 

 

通り側から鳥居を潜り、社殿に向かうには90度右に曲がらないといけない構造です。

いわゆる参道と社殿の位置関係は「怨霊封じ」型といえます。しかし、この阿波洲神社の由来を見ると、怨霊系とは思えなくなります。

 

宝暦2年(1752年)に、紀伊国(和歌山県)の粟島明神の分霊を勧請し、粟嶋明神として創建されたといわれます。

粟嶋明神は紀伊国加太浦の淡島明神が総社で、祭神は女神の頗梨采女と粟=淡にちなみ、日本神話に登場する少彦名命になっています。

江戸時代には、浅草寺境内に祀られた淡島明神が当時の女性に人気でした。

この粟嶋明神も、拝殿前の鈴に下がる五色の紐を切って安産の腹帯にする習俗や、女性たちの針供養・捨雛が行われていたようです。

女神の特徴や庶民信仰の側面を持ち、開発途上の新田ではあったものの、独立した一村の鎮守神でもありました。そのため、年中行事は農耕神の少彦名を祀る神社として、全て村の農作の豊饒を祈念する儀礼だったようです。

 

かつて、この地域に武蔵野の原野を開拓するために、上保谷村の人々が移り住みました。

しかし、この場所は農耕に適した地所ではなく、苦労を強いられたといいます。

そんな場所に女性に人気で、しかも農耕神を祀る鎮守さまとして、この阿波洲神社は大きな役割を担っていたといえます。

 

ちなみに粟嶋明神から阿波洲神社になったのは、明治以降です。

しかし祭神に変更はありません。

 

そんな新田開発の鎮守の森で、周囲の音声を骨で聴きます。

騒音対策として、工場や現場作業の聞こえない悩みを解決してきた骨伝導スピーカーですが、このような歴史的な場所で使用することで機能性とは別の側面が現れます。おそらく脳波の問題でしょう。

米軍で爆音の中でも通話を可能にした特許技術が、全く異なる環境で全く異なる効能を生みます。

その秘密は実際に阿波洲神社で骨伝導体験により判明することでしょう。

 

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