西武池袋線の東久留米駅からのどかな住宅街とその先の緑に囲まれた丘に連なる場所に、子ノ神社は鎮座しています。
旧小山村の鎮守です。
もともとは文禄元年(1592年)に、当時の領主・矢部藤九郎が本地仏として地蔵尊の勧請したと伝えられています。除地1町5段(4500坪)を有し、社地には槻・杉雑樹など繁茂していたといわれるような場所だったようです。現在でも武蔵野の面影が残る周囲は、十分に雰囲気を残しているといえるかもしれません。
拝殿の建立は文政元年(1818年)10月で、明治4年(1871年)、明治42年(1909年)等、数回にわたって修築がなされました。
社名はもともと「根神明神」だったようです。
のちに十二支の子を用い「子ノ神社」と変更されました。
この「子」は大黒天の神使いであり、縁日を甲子祭として子の日を選ぶなどの故事から習合されたものと思われています。
祭神は出雲大社の祭神と同一神の大国主命です。国土開発の神であり、縁結び、子孫繁栄、五穀豊穣の神です。
創立者の領主・矢部氏とは、相模三浦氏の子孫で、小田原北条氏に仕えていました。
しかし江戸時代、・徳川幕府になってから、300石を賜って、この地・小山村の地頭となりました。屋敷跡は神社の西方だったといわれます。
東京郊外の東久留米市らしい立地に鎮座する小さな神社ですが、静寂の境内と丘から都市部を見下ろす爽快感で、何とも癒し効果抜群です。わざわざ訪れる人もいないでしょうが、何の意味もなくこの境内に佇むだけで大いなる付加価値を感じる場所です。
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