骨で聴く異世界

耳を使わずに「聴く」世界を旅します。耳をふさいでいても聴こえる世界です。

北原白秋住居跡を骨で聴く

2010-06-03 23:01:49 | 骨で聴く体験記


 北原白秋は、教科書でもおなじみの人物ですが、その生涯は57年で終止符を打ちました。
 その生涯の中で、44歳から55歳までの期間を過したのが世田谷区でした。世田谷区の最初の住居跡は、現在の住所表示では世田谷区若林3丁目になります。世田谷通りに面した交通の激しい場所です。

 昭和3年4月、大田区の旧馬込町から移転し、「世田谷風塵抄」と題する一連の短歌を詠んでいます。

 昭和6年には世田谷区の砧6目(旧大蔵の西山野)に、昭和11年1月に、現在の成城1丁目に移転しています。
 しかし昭和15年4月には、杉並区阿佐ケ谷に転居し、昭和17年11月2日、逝去しました。

 北原白秋といえば、現在でも歌い継がれる童謡を数多く発表してきました。近代日本を代表する詩人であり、歌人・童謡作家でした。彼の活躍した時代は「白露時代」と呼ばれています。

 骨伝導を装着して北原白秋の住居跡である若林に出かけました。往来が激しく、トラックの重低音が響く世田谷通りに面しているので、騒音対策には最適な骨伝導は大活躍です。

 しかし、訪れた場所は‥

 以前にここから歩いてもそれほど時間のかからない場所に位置する左卜全の住居跡はアパートでした。

          ⇒ 左卜全の住居跡を骨で聴く

 北原白秋の住居跡はマンションでした。
 建物の隅にこの場所が住居跡だったことが表示されているだけでした。
 すぐ横は疾走する激しい往来の世田谷通り。骨伝導を使って騒音の中でも会話ができますが、ここで北原白秋とは対話は無理でしょう。
 特許技術の骨伝導といえども、過去との対話は不可能です。

 実はここは常盤塚から程近く、ほとんどはす向かいともいえる場所に位置しています。意外な発見でした。

          ⇒ 常磐伝説を骨で聴く

 骨伝導の旅で、一緒にここも訪れれば良かったと後悔するばかり。
 しかしこんな出会いがあっても良いかもしれません。骨伝導の体験とともに、東京の新たな発見が生まれた感じです。それは騒音や癒しの場面で骨伝導が活躍し、新たな名所を見出すのかもしれません。

          ⇒ そんな驚異の骨伝導の世界へ

 北原白秋の童謡を口ずさみ、骨伝導を使って自分の声を骨で聴き、また新しい発見の旅に出て行きます。

                        



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