骨で聴く異世界

耳を使わずに「聴く」世界を旅します。耳をふさいでいても聴こえる世界です。

石神井氷川神社を骨で聴く

2011-04-06 11:13:36 | 骨で聴く巡礼旅

 石神井郷総鎮守の氷川神社へ骨伝導ヘッドセットとともに参拝に行きました。
 社殿の西側、末社の前にある石造りの御手洗鉢には、「石神井郷鎮守社」と刻まれ、「新編武蔵風土記稿」や「江戸名所図絵」等の諸本にも、その社名が明記せられているほどの由緒ある神社です。

 石神井公園の南側を通る旧早稲田通りを、以前に取り上げた道場寺を右手に見ながら、本線の旧早稲田通りに沿って信号を右折した先に参道があります。左右に参道が伸びています。旧早稲田通りを挟んで、そこだけ異空間のような参道です。しかし都内屈指の住宅街ですから、普通に民家が建ち並んでいるのも不思議な印象を持ちます。

          ⇒ 豊島山道場寺を骨で聴く

 石神井氷川神社の創建は室町時代です。
 社伝によると、応永年間(1394年~1428年)に、豊島氏の石神井城の中に、城の守護神として祀ったのがこの神社の出発点だったようです。このとき、武蔵国一ノ宮である大宮の氷川神社から御分霊を奉斎したことで、氷川神社として鎮座することになりました。

 文明9年(1477年)に豊島氏は大田道灌に攻められ、石神井城が陥落しました。城主・豊島泰経とその息女・照姫は池に身を投げて自害されました。この地域で栄華を誇った豊島氏は、石神井城の落城とともに勢力を失ってしまいました。
 豊島氏滅亡の悲劇は伝説化され、「黄金の鞍と照姫の伝説」としてこの地域に語り継がれているようです。



 しかし氷川神社としては、石神井城が落城した後でも村民の尊祟は篤く、鎮守の神として仰がれていました。江戸時代には、豊島氏の子孫にあたる豊島泰盈と泰音により、石燈籠一対が奉納されたようです。
 明治の時代に入ると村社に列せられ、明治7年に郷社に社格が昇格されたという歴史があります。

 旧早稲田通りは狭い道路で、生活道路といえます。そこから参道に入ると、一般の生活と豊島氏の歴史を背負った神域が混ざった空間になります。境内に入れば、そこはもう2,000坪を超える石神井城の一部ともいえます。歴史を見てきた老樹が生い茂り、すぐ裏側の石神井城跡と三宝池と続いています。ここは東京の風致地区に指定されています。

 石神井の鎮守の森には多くの鳥類・両生類・昆虫類等が生息し、都内とは思えない雰囲気をかもし出しています。往昔の「武蔵野」の面影も確実に残っている場所です。

 骨伝導ヘッドセットを使って、鎮守の森が発する音声を聴きます。骨で聴く空間は、日常に埋没された「何か」に気づかされます。その「何か」とは、人によって異なるでしょう。折りしも東日本大震災からの復興のとき、被災された方への思いも交差するかもしれません。
 難聴の方だけでなく健聴者にも、骨伝導を使って石神井氷川神社の異空間の発する音声を聴いてみてください。ただし、骨伝導は特許技術の本物に限ります。

          ⇒ 特許技術の骨伝導製品

 震災以降、旅行というレジャーは自粛傾向にあるようです。
 しかし骨伝導とともに訪れる旅は、身近な場所でも再発見の連続です。癒しも得られます。日本経済がこれ以上に疲弊しないよう、そんな小さな旅も必要なのです。被災地の方の苦労も思っての自粛だけでは、もう駄目な状況なのです。
 この機会に特許技術の骨伝導製品を購入し、小さな再発見の旅に出かけましょう!
 それが義援金の役目にもなるのです。


最新の画像もっと見る

コメントを投稿