骨で聴く異世界

耳を使わずに「聴く」世界を旅します。耳をふさいでいても聴こえる世界です。

中嶋神社と中仙川不動堂を骨で聴く

2014-03-10 10:41:36 | 骨で聴く巡礼旅
中央高速が東西に走るすぐ近く、三鷹市中原に中嶋神社が鎮座しています。
住宅街と少しのどかな雰囲気を持った地域です。

中嶋神社の創建年代は不詳です。それでも歴史は古いようで、この地域に古くからあった稲荷社を、慶長3年(1598年)に現在地へ遷座したといわれています。明治6年には村社に列格しました。

都会の神社という印象は全くなく、鄙びた村落の一角にあるような感じさえ漂う境内です。

厳島神社の境内社には水がなかったものの、何となく雰囲気はあり、社殿にまっすぐ向かう参道には木々が生い茂り、それが聖なる空間へ続いているようにさえ思えます。



そしてここには、社地奥には中仙川不動堂があります。

江戸開府当時は、この地域は青山百人組の給地でした。
慶長19年(1614年)、大阪の陣の軍功により柴田勝家の孫・勝重に与えられました。後北条時代の土着支配に変わり、江戸を中心とする徳川幕府の新たな支配体制の中で村落を形成するようになりました。

この不動堂の濫觴については詳細不明ながら、「新編武蔵風土記稿」の「中仙川村」の記録に以下のように記されています。

「堂地三畝十歩、年貢地、三間四方、西原にあり、立身の木像、長一尺餘、慈覚の作なりと云 別当大行院 堂の側にあり、富永山と號す、本山修験、小田原王瀧坊の配下、佐々木の後裔にて、鼻祖は富永勘解由左衛門と云しよし…云々」



往昔よりこの地に文殊院という修験者がいて、元禄の頃から大行印慶元という修験者によってその名も大行院と改められたといいます。

文殊院時代からの宝物として、新田義貞の手旗と、義貞の部下・篠塚伊賀守自筆の、鎌倉追討に際しての願書(元弘3年・1333年)が所蔵されていたとも記されています。
しかし、その所在については不明です。

現在の不動堂は昭和40年(1965年)に再建されたものです。
堂内には、不動明王像、不動明王及び二童子像、摩多羅神像、烏枢沙摩明王像、役行者及び二鬼像など五体の尊像が守護神として合祀されています。

鄙びた雰囲気の神社に不動堂という組み合わせで、三鷹市内にいるような感じはまるでしません。どこか旅情を喚起されるかのようです。

こんな貴重な空間に立ち、骨伝導ヘッドセットで周囲の音声を聞いてみます。
耳だけでなく骨から脳へと音声を伝えることで、よりこの聖域の「気」が染み込んでくるようです。

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23区と同じような扱いになっている三鷹市と武蔵野市ですが、陸の孤島のようなエリアには、驚くようなお勧めポイントがたくさんありそうです。
これだから骨伝導巡礼はやめられません。


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