「英語学習のために英字新聞をよむ」
どうもこれがまちがいの元でした。
そういえば、昔は、ロンドンの”The Economist” を航空便で定期購読して読んでいました。米国の英文雑誌も5誌くらいは読んでいた。東南アジアの英字誌も。ときには、”The Wall Street Journal”を個人では払えない高いお金をはらって航空便で読んでもいました。仕事で必要だったからです。英語の勉強などのために読んでいたわけではありません。
それが、こんなに自由にネットで読めるようになっているのに、「英語学習のために」読んでいたのでは、英語力がつくはずがありません。学習のためと、「必要によって」とは、読む量がまったくちがいます。
当時、大量に英語情報を読んでいた時には、国内とあまりにも情報の量と内容がちがうのにおどろいたものです。情報の質もちがう。
たとえば、キッシンジャーの歴史的な「大西洋憲章」の演説を、各国のメディアがぶち抜き見出しで一面トップで報道した時、日本のメディアは、まったく報道しなかった。毎日新聞だけがその日の演説を国際面で小さく載せたのですが、内容は見当違いのものです。演説の内容とその大切さがわからなかったのです。日本のメディアは、翌日、世界のメディアを見てやっとおっかけてトップ記事にしました。
いつのまに英語の学習者になりさがったのだろうかと反省しています。われながら、自分の迷走にあきれています。
英語の世界にしっかり入り込まなければならない。
どうもこれがまちがいの元でした。
そういえば、昔は、ロンドンの”The Economist” を航空便で定期購読して読んでいました。米国の英文雑誌も5誌くらいは読んでいた。東南アジアの英字誌も。ときには、”The Wall Street Journal”を個人では払えない高いお金をはらって航空便で読んでもいました。仕事で必要だったからです。英語の勉強などのために読んでいたわけではありません。
それが、こんなに自由にネットで読めるようになっているのに、「英語学習のために」読んでいたのでは、英語力がつくはずがありません。学習のためと、「必要によって」とは、読む量がまったくちがいます。
当時、大量に英語情報を読んでいた時には、国内とあまりにも情報の量と内容がちがうのにおどろいたものです。情報の質もちがう。
たとえば、キッシンジャーの歴史的な「大西洋憲章」の演説を、各国のメディアがぶち抜き見出しで一面トップで報道した時、日本のメディアは、まったく報道しなかった。毎日新聞だけがその日の演説を国際面で小さく載せたのですが、内容は見当違いのものです。演説の内容とその大切さがわからなかったのです。日本のメディアは、翌日、世界のメディアを見てやっとおっかけてトップ記事にしました。
いつのまに英語の学習者になりさがったのだろうかと反省しています。われながら、自分の迷走にあきれています。
英語の世界にしっかり入り込まなければならない。
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