小学校5年生のときに、「人はなぜいきるのか」ということを考え込んでしまった。
しかし、割合はやく自分で結論を出してしまいました。
なぜといっても、げんに生きている。では、「いかに生きるか」と問い直すべきではないかと。それ以来、そう考えて生きています。
そのころ、大人は子どもの考えていることがわかっているのだろうかとも考えた。ならば、何歳で何を考えていたかを、大人まで覚えていようと。だから、小学校5年生のときに何を考えたか覚えている。
生き方を考えるのであれば、生きることそのものは、目的ではなくなります。
しかし、割合はやく自分で結論を出してしまいました。
なぜといっても、げんに生きている。では、「いかに生きるか」と問い直すべきではないかと。それ以来、そう考えて生きています。
そのころ、大人は子どもの考えていることがわかっているのだろうかとも考えた。ならば、何歳で何を考えていたかを、大人まで覚えていようと。だから、小学校5年生のときに何を考えたか覚えている。
生き方を考えるのであれば、生きることそのものは、目的ではなくなります。
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