いのしし くん。

政治、経済から音楽全般の評論
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ジョニー大倉とキャロルとプリーズ。 band of carol and please in j.ohkura

2015-03-09 19:30:07 | 日記
 (1)「キャロル」(carol)はひと時代前のロックグループだったのでオン・タイムでは知らないが、その後レコードでシンプルでわかりやすいロックンロールにジョニー大倉さんの「さびた」声とアメリカンナイズされた日本詩がほどよく調和されて、メンバー全員がリーゼント(regent)カットに革ジャンを素肌にまとった精悍な風貌の「いかれた」スタイルとともに、日本のロック音楽の夜明け前を感じさせるものであった。

 ベースに矢沢永吉さん、ギターにまだ幼い内海利勝さんと乾いたシンプルなギターロックサウンドが特徴的であった。「ルイジアンナ」とか「ファンキー・モンキー・ベイビー」が印象的なサウンドだ。

 (2)その後、矢沢永吉さんとジョニー大倉さんとの確執(strife)が大きくなって(うわさ話のたぐい)キャロルは解散して、矢沢永吉さんはソロシンガーの道に進みバラードからロックンロールまで幅広い音楽性とミックジャガーばりのステージアクションでロック音楽にとどまらずに日本軽音楽界のカリスマシンガーとしての存在となった。

 ジョニー大倉さんは映画、テレビのアクターにも挑戦して、音楽としてはキャロル時代の内海利勝さん、同時代バンドの「トラブル」の高橋ジョージさんとともに「プリーズ」(please)なるロック音楽バンドを結成してキャロル音楽の軌跡(locus)を追いかけていた。
 あたらしいバンド名をキャロルと同じ「喜び」の「プリーズ」としたことからもうかがえる。

 (3)「プリーズ」時代のジョニー大倉さんを一度ライブハウスのライブで聞いたことがあるが、開演は予定から1時間以上も延びて(演出の意図もあったのか)エデンの東のテーマ音楽にあわせてやおら平然とステージに登場して、キャロルをほうふつとさせる乾いたシンプルなギターロック音楽を再現してみせた。

 ジョニー大倉さんを目の前で見たのはそれが最初で最後だったが、その後は不可解な不慮のケガやガンに冒(おか)されて不遇な時代を過ごして、昨年11月に62才の若さで亡くなった。

 (4)写真からはすでに精悍な風貌は影もなく、ガン治療の影響なのか丸々と太ってかっての面影はなくなっていた。
 出演した映画の監督によるジョニー大倉さんの追悼記事が載っていた。写真は斜に構えて「すわった」鋭い目つきの精悍そのものの若いジョニー大倉さんだ。

 映画撮影では監督からは「生真面目に役に取り組み」、彼は彼で「毎日風呂の中で初めから終わりまで練習しているから大丈夫」と言って、「彼は淡々と一度も間違えることなく静かに役の感情を語りきった」とある。
 ジョニー大倉さんの「人となり」をあらわす言葉なのだろう。

 (5)矢沢永吉さんと袂(たもと)を分かって「キャロル」にこだわって「プリーズ」を組んだ姿は、チューリップ、財津和夫さんから分かれてバンドサウンドにこだわった「オールウェイズ」へと進んだ安部俊幸、姫野達也さんの行動を思い起こさせる。

 財津和夫さんは97年にふたたび元のメンバーを集めてチューリップを結成して以前と変わらぬ高い評価を受けた。
 矢沢永吉さんは最近の自らのコンサートでギターの内海利勝さんを呼んで共演したが、ジョニー大倉さんとはついぞふたたび交差することはなかった。

 (6)キャロル(carol)もプリーズ(please)もジョニー大倉さんの中では同じ思いの「喜び」のロックンロールだったのだろう。
 晩年には、ジョニー大倉さんはもう一度「キャロル」をやりたかったといわれている。
 

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