いのしし くん。

政治、経済から音楽全般の評論
ultimate one in the cos-mos

新国立競技場の見直し。 think better of plan of the new national athletic stadium

2015-05-19 19:52:09 | 日記
 (1)2020年の東京オリンピック、パラリンピック(以後、東京五輪)大会のメイン会場となる新国立競技場(the new national athletic stadium)の建設計画が揺れに揺れている。

 東京五輪は競技会場をコンパクトに集めて、できるだけ既存施設を利用して経費を節約する基本計画で出発したが、デザインコンペで選ばれたメイン会場となる新国立競技場は巨大宇宙船のような超未来型競技場を思わせて、周囲との景観不調和から建築専門家からは「景観を壊す」と評判も悪く批判も多かった。
 さらに招致段階での総工費1300億円の見積もりが実施段階での基本設計では2倍以上の3000億円規模(報道)まで膨らんで、あまりの計画見通しの甘さ、いいかげんさが表面化していた。

 (2)結局は当初の基本計画は見直し、見直しされて、開閉式屋根は東京五輪後に回されて客席は一部仮設へと規模は大幅に縮小(報道)されることになった。
 そもそも東京五輪招致のコンパクトで経費節約の理念から逸脱したメイン会場の新国立競技場計画だったのだ。

 JOC(日本オリンピック委員会)、JSC(新国立競技場管理運営センター)の組織能力、管理統治能力が問われる問題だ。スポーツ行政ではたびたび組織管理、統治能力の脆弱性(ぜいじゃく fragility)、未熟さが指摘されて、社会パラダイム(paradigm)から大きくかけ離れた特権意識、常識、理念が問題視されてきた。

 (3)運動能力、身体能力の飛びぬけた優越性(sense of superiority)が組織的なステータスを生んで一般社会のパラダイムからは考えられない唯我独尊、特権性、閉鎖性を招いて、組織統治運営の中にいわゆる「世間知らず」なところがつきまとってきた。

 経済感覚でも効率性よりは効果性を重んじて、投資対効果が絶対との論理も見受けられる。これは日本型政治、ハコもの行政の歴史の流れでもあるが、不適正、不調和な施設をつくるだけつくって後のことは顧みないムダ行政の負担のツケだけ負うことにも通じるものだ。

 (4)新国立競技場の当初の建設基本見積もり1300億円も「招致を有利に運ぶため、予算を低く見積もった」(報道)ものともいわれている。東京五輪は東京都の開催ではあるが国、文科省、国民をあげての日本の一大スポーツイベントでもある東京五輪計画に対して、東京都、国をあげての責任ある判断、計画能力が求められている。

 コンパクトで経費節約の東京五輪開催理念の一方で、先端的科学技術立国の首都東京としての存在力をアピールする意図もあったのではないのか。

 (5)新国立競技場の建設計画には東京五輪の開催理念にそぐわない特異な計画になっていた。2020年東京五輪のメイン会場の新国立競技場の基本計画の相次ぐ見直しは、折角の東京五輪開催歓迎ムードの高まりに水を差すものとなった。

 それはまた日本のスポーツ行政の脆弱性、未熟さをあらためて認識させられるものだ。東京五輪開催をにらんで政府もスポーツ庁を設置して政策として推進することが決定している。
 スポーツ組織の統治、管理、経済能力の向上に向けて指導力を発揮することが必要だ。

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