(1)95年の地下鉄サリン事件で実行犯を乗せた運転手を務めるなどして、その後17年間逃亡を続けて12年6月に逮捕された元オウム真理教高橋克也被告の1審裁判が終結して無期懲役が言い渡された。
地下鉄サリン事件から20年目にしてようやく同事件にかかわったすべての被告の裁判が一応終結した。平田信、菊池桃子とともに事件後、姿をくらまして17年間も逃亡を続けた。
(2)当時は駅という駅に特別指名手配(arrangements for the search)の写真が貼られながらの市民生活に身を潜めた逃亡であった。
全国に特別指名手配されながら17年間にも及ぶ逃亡では、すでに海外に逃亡したか死亡しているのではないのかの憶測もあったが、平田信の突然の大みそか自首で幕を開けた元オウム真理教特別指名手配逮捕はその後、菊池桃子、高橋克也と3名全員の逮捕につながった。
(3)一説には教祖松本智津夫死刑囚の死刑執行を遅らせるための自首劇とも言われた。特別指名手配で逮捕された元オウム3人の裁判では、オウム地下鉄サリン事件での死刑囚が同裁判に参考人尋問として呼ばれて法廷で証言を求められた。
すでに死刑が確定しているから自らの地位を保全、擁護する必要もなくて正直に真実を話すとの見方もあったが、同法廷では事件の核心や相互の役割について証言がまちまち(裁判報道)で事件の核心に迫るものとはならなかった。
(4)すでに死刑が確定している死刑囚を出廷させて証言させる意味があったのか、これ以上証言の信頼性など期待も検証もしようもないものだった。
そもそもオウム地下鉄事件の首謀者である松本智津夫死刑囚がまったく証言を拒み、何も話をしないのだから、事件の概要以外に事件の目的、計画、指示など全体像、核心は今でも闇の中のままだ。
(5)それぞれが勝手に主張、証言して、運転手役の高橋克也被告も同事件については何も知らされなかった、知らなかったとして無罪を主張(裁判報道)していた。
同事件死刑囚からの出廷証言でも報道によると知っていた、知り得たはずから、そうでないまで各人各様で、なにしろ首謀者の松本智津夫死刑囚が何も語らないのだから、事件の核心に迫ることもできないものだった。
(6)問題にしたいのはオウム事件3人の特別指名手配者が17年余りにも渡り日本国内に潜伏して一般市民の周りで日常生活を送り続けたということだ。
その間、全国の駅という駅、市内にも3人の特別指名手配の写真が貼り出されての衆目の中での逃走だ。
確かに17年余りに及び自首、逮捕された時にはすでに特別指名手配の写真の面影はなく変貌はしていたから、見分けはつきにくいものではあった。
事件捜査は初期捜査対応が重要といわれて、当然当時には捜査問題もあったことは間違いのないところだ。
(7)まだ3人が変貌もしていない月日での全国衆目の中での逃走劇について、検証が進んでいるのか捜査検証として避けられないところだ。
国民、市民の社会的無関心性の高さが原因のひとつでもある。日本はかっては治安の良い国として知られているが、重要事件での逮捕率、解決は30%程度(報道データ)と低く、近年の警察、検察の捜査能力の低下、質低下はあきらかで叫ばれた検察改革も到底進んでいるとはいえない。
(8)オウム特別指名手配逮捕3人の17年余りに及ぶ逃走劇について、社会的問題としてもあわせて問題検証、解明が必要だ。
地下鉄サリン事件から20年目にしてようやく同事件にかかわったすべての被告の裁判が一応終結した。平田信、菊池桃子とともに事件後、姿をくらまして17年間も逃亡を続けた。
(2)当時は駅という駅に特別指名手配(arrangements for the search)の写真が貼られながらの市民生活に身を潜めた逃亡であった。
全国に特別指名手配されながら17年間にも及ぶ逃亡では、すでに海外に逃亡したか死亡しているのではないのかの憶測もあったが、平田信の突然の大みそか自首で幕を開けた元オウム真理教特別指名手配逮捕はその後、菊池桃子、高橋克也と3名全員の逮捕につながった。
(3)一説には教祖松本智津夫死刑囚の死刑執行を遅らせるための自首劇とも言われた。特別指名手配で逮捕された元オウム3人の裁判では、オウム地下鉄サリン事件での死刑囚が同裁判に参考人尋問として呼ばれて法廷で証言を求められた。
すでに死刑が確定しているから自らの地位を保全、擁護する必要もなくて正直に真実を話すとの見方もあったが、同法廷では事件の核心や相互の役割について証言がまちまち(裁判報道)で事件の核心に迫るものとはならなかった。
(4)すでに死刑が確定している死刑囚を出廷させて証言させる意味があったのか、これ以上証言の信頼性など期待も検証もしようもないものだった。
そもそもオウム地下鉄事件の首謀者である松本智津夫死刑囚がまったく証言を拒み、何も話をしないのだから、事件の概要以外に事件の目的、計画、指示など全体像、核心は今でも闇の中のままだ。
(5)それぞれが勝手に主張、証言して、運転手役の高橋克也被告も同事件については何も知らされなかった、知らなかったとして無罪を主張(裁判報道)していた。
同事件死刑囚からの出廷証言でも報道によると知っていた、知り得たはずから、そうでないまで各人各様で、なにしろ首謀者の松本智津夫死刑囚が何も語らないのだから、事件の核心に迫ることもできないものだった。
(6)問題にしたいのはオウム事件3人の特別指名手配者が17年余りにも渡り日本国内に潜伏して一般市民の周りで日常生活を送り続けたということだ。
その間、全国の駅という駅、市内にも3人の特別指名手配の写真が貼り出されての衆目の中での逃走だ。
確かに17年余りに及び自首、逮捕された時にはすでに特別指名手配の写真の面影はなく変貌はしていたから、見分けはつきにくいものではあった。
事件捜査は初期捜査対応が重要といわれて、当然当時には捜査問題もあったことは間違いのないところだ。
(7)まだ3人が変貌もしていない月日での全国衆目の中での逃走劇について、検証が進んでいるのか捜査検証として避けられないところだ。
国民、市民の社会的無関心性の高さが原因のひとつでもある。日本はかっては治安の良い国として知られているが、重要事件での逮捕率、解決は30%程度(報道データ)と低く、近年の警察、検察の捜査能力の低下、質低下はあきらかで叫ばれた検察改革も到底進んでいるとはいえない。
(8)オウム特別指名手配逮捕3人の17年余りに及ぶ逃走劇について、社会的問題としてもあわせて問題検証、解明が必要だ。