オールドゲーマーの、アーケードゲームとその周辺の記憶

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幻の「アタミセンター」を求めて(2):旧浜町で発見した看板建築

2024年02月11日 20時03分42秒 | 歴史

(前回のあらすじ)
「アタミセンター」の所在地とされている「熱海市浜町」は現存しない。その消滅時期次第では「スーパーホームランゲーム」は「クレイジー15」よりも早かったことの証明になると考えてネット上を検索するが、見つかるのは「浜町通り」、「浜町観光通り商店街」、さらに渚町及び銀座町のそれぞれの一部で構成される「浜町町内会」など、「浜町」の「名残り」だけだった。

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次にワタシは、古い地図をネット上で調べて「浜町」の記載が途切れる年を割り出そうと考えました。これならさほど苦労することもあるまいと高をくくっていましたが、しかし町名まで記載されている古い地図は思いのほかみつかりません。あちこち探してようやく一つ、国会図書館の蔵書「日本都市地図全集 第3集(人文社、1961)」の中に「浜町」を発見しました。

日本都市地図全集 第3集(人文社、1961)より、熱海市浜町の記載がある部分(赤枠内)を拡大。

この地図によると、北(地図の右手)は銀座町、南は二級河川の糸川を挟んで糸川町及び友楽町、東は渚町、西は本町に囲まれた、東西に連なる3つのブロックが「浜町」であるようです。なお、糸川町と友楽町は現在の中央町に、本町は銀座町にそれぞれ組み込まれており、浜町同様現存しません。

現在の銀座町(着色部分)のうち、旧浜町と思われる東西に連なる3つのブロック(濃い黄色の部分)。

「浜町」は少なくとも1961年時点には存在していたことはわかりましたが、この地図一つだけでは当初の目的を果たしたことにはなりません。それでも皆目見当がつかなかった浜町の位置が判明したのは画期的で、かつて浜町とされていた一帯をGoogleマップのストリートビューでうろついていたら、一軒の看板建築【注】を発見しました。

Googleマップのストリートビューより、旧浜町で発見した看板建築。右下の地図に示される赤点の地点で、Googleマップでは「熱海市銀座町2-9」と表示される。

角が面取りされた看板建築様式であること、2階左右壁面の窓の数、全体のプロポーションなど、アタミセンターの画像と共通点が多いように思います。1階の外装は異なりますが、この程度の改築は問題なくできるでしょう。もしかしたら重要な鍵を発見したかもしれないと色めき立ちました。

しかし、アタミセンターの画像とよくよく比較して見ると、外壁の上端の形状が異なることに気づいてしまいました。元々まっすぐだった外壁の上端を後になってわざわざ切り欠く改築などあるものなのでしょうか? あるいは外壁全体を改築した? だとしたらどのタイミングで、誰が? 狭い旧浜町内にあってこれだけ共通点の多い建物でも、これが直ちに元アタミセンターと判断するのは残念ながらまだ早いかもしれません。

現在の建物とアタミセンターの比較。赤矢印部分に示す外壁の切り欠きがアタミセンターには無い。

疑問は残りますが、他に縋るものがない現時点では可能性がありそうなこの建物を追及していきます。向かって左壁面の錆色のテント看板に見える「Kana」の文字を手掛かりに調べると、この店に言及するブログがいくつも見つかりました。

それらによると、ここは昭和48年(1973)純喫茶「加奈」として開業したそうです。近年は昭和時代の重厚な高級喫茶店の雰囲気を色濃く残したレトロな店として観光客からも注目されていたことが窺われ、店内の画像も多く残されていますが、2016年に店主の女性が58歳の若さで急逝され、以来店は閉まったままであることがわかりました。

テント看板部分の拡大図。「Kana」と読める。

では「加奈」以前はどうであったのか。「加奈」に触れているブログのひとつで2015年に書かれた記事に、「元々は空気銃?の遊技場だったそうで、喫茶店に衣替えした」との記述をみつけました。そのブログ主の方は、「空気銃」を射的のことと思っているようです。確かに、射的とストリップは温泉場を象徴する娯楽施設ですが、この建物は射的場にしては規模が大き過ぎるようにも思います。しかし、例えばかつて新宿歌舞伎町にあったエアライフル射撃場のように、ボウリングやアーチェリーに類する娯楽色のあるスポーツ施設だとすれば、アタミセンターの後の姿としてありそうな気はします。

「加奈」の店主は、亡くなった年齢から計算すると開業時は十代半ばになるので、おそらくは二代目と思われますが、そのお年であれば当時の様子もある程度ご記憶されていたことと思います。今も営業が続いているなら飛んで行ってお話をお伺いしたいのに、早すぎるご逝去は実に実に残念です。

今回の終わりに、前回記事を含んで現時点で判明している事実を年表にして整理しておきます。
◆現時点で判明している事実年表◆
1965 「クレイジー15(こまや)」リリース
1973以前 浜町に空気銃の遊技場あり
1973 かつての空気銃の遊技場が純喫茶「加奈」として開業
2016 「加奈」閉業、現在に至る

(つづく)

【注】看板建築
建物前面の外壁で屋根を覆い隠す建築様式。これにより正面からは洋風のビルディングのように見えるが、たいていは和風の木造建築なので2階建てであることが多い。関東大震災の復興時より、主として店舗を兼ねる住宅に良く用いられた。

左が「平入り」タイプの戦前型、右が「妻入り」タイプの戦後型。戦前は外壁に凝った形状のものが多かったが戦後はシンプルでモダンなデザインが流行したのは、アール・ヌーヴォーからアール・デコへの転換に似ている。「看板建築 昭和の商店と暮らし」(萩野正和著、トゥーヴァージンズ刊)の図を模写。


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1 コメント

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research (caitlyn)
2024-02-17 13:28:02
remarkable work!
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