オールドゲーマーの、アーケードゲームとその周辺の記憶

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「三協音機」って知ってる?(2)

2024年03月10日 16時54分53秒 | メーカー・関連企業

前回は「三協音機」という会社が頒布したフライヤーの表紙に写る機械とそのリリース年を特定しました。いくつかは特定できなかったものもありましたが、判明したものの中で最も新しい機種は1967年製のピンボール機でした。今回はフライヤーの2ページ目以降について、同様に掲載機種の製造年を特定してフライヤーの頒布時期を推測して行こうと思います。

2ページ目には7台のジュークボックスが並んでいます。そのうち左の5台はシーバーグ社製、右の2台はAMI社製です。

三協音機のフライヤーの2ページ目。

ジュークボックスにも熱心なコレクターが多く、そのような人々にとってはこれらもお宝になるのでしょうが、ワタシ個人には残念ながらそれほど興味を惹く分野ではなく、知識はあまりありません。それでも機種名が判明しているので調査は楽で、上段の三機種はいずれも1967年製、下段は左から順に1959年、1954年、1953年、1966年製であることがすぐに判明しました。

最も古いものと最も新しいものの差が14年もありますが、本当に在庫もしくは取り扱いがあったのでしょうか。もしかして、古いものは米軍基地からの払い下げ品と言うことはなかったのでしょうか。ともあれ、この時点でこのページの最新機種は1967年製であることはわかりました。

フライヤー3ページ目にはいよいよゲーム機が現れます。「フリッパー」以外はいずれも国産品で、そのうち「スキルディガ」と「パチンガム」の製造年の特定が難しいのですが、「ヘリコプタ-」、「モトポロ」、「スゴロクゲーム」の製造年はいずれも1968年で、これよりも新しいということはおそらくありません。

三協音機のフライヤーの3ページ目。

「フリッパー」として挙げられている機種はWilliamsの「Whoopee」(1964)です。おそらくは「フリッパー各種取り扱い」という程度の意味だと思いますが、どうせなら最新機種を挙げておけばいいのにと思います。なお、隣のページからはみ出してきている左下のジュークボックスは1963年製です。

裏表紙となる4ページ目には「ガン」と「ボウラ―」が掲載されています。「ガン」の画像はセガの「ジャングルガン」(1961)です。前ページの「フリッパー」もそうですが、なぜカタログにこんなに古いモデルを掲載するのでしょうか。当時は機種の新旧がわかる顧客などそれほどいなかったからこれで十分だったということでしょうか。

三協音機のフライヤーの4ページ目。

「ボウラー」の画像はBallyの「Bally Bowler」(1963)ですが、「Bally Bowler」はその後64年に「De Lux Bally Bowler」、65年に「1965 Bally Bowler」、66年に「1966 Bally Bowler」、そして69年に「1969 Super Bally Bowler」と、バックグラスのデザインが若干異なる続編が立て続けにリリースされており、これも「ピンボール」や「ガン」のように、単に同種のボウリングゲームの代表として挙げているにすぎぬものと思われます。

ところで、テレビゲーム史研究家として斯界では有名なぜくうさんより、SNSを通じて興味深いお話を伺いました。それによると、「73/74全レジャー産業・設備・機器・製品情報集(1972)」では三協音機の所在地は小田原市中町になっているとのことです。また、業界紙「アミューズメント」(続刊中の「アミューズメント産業」誌の前身)1973年1月号掲載の各社新年のあいさつでも同様とのことです。

73/74全レジャー産業・設備・機器・製品情報集(上)、及び「アミューズメント」1973年1月号に掲載されている三協音機の会社情報(下)。

ここで、現時点で判明している三共音機の所在地の移り変わりを整理してみます。

 時期     所在地        出典
不明(1968以降) 熱海市 昭和町 (今回取り上げたフライヤーを頒布していた時期)
        →小田原市中町(他2か所)に営業所との記載あり
1972年 小田原市 中町 (73/74全レジャー産業・設備・機器・製品情報集)
1973年 小田原市 中町 (アミューズメント誌73年1月号)
1974年 熱海市 梅園町 ('74-'75遊戯機械名鑑)
1980年 熱海市 梅園町 ('80遊戯機械総合年鑑)

素直に考えれば、本社が熱海市昭和町にあった時期にこのフライヤーを頒布し、後に本社機能を小田原市中町の営業所に移したものの、1973年~74年の間に熱海市の梅園町に新設した本社に再移動したと言うことだと思います。

ただ、最初は小田原に本社があって、1973年以降に旧小田原本社は営業所として残して熱海の昭和町に移ってからこのフライヤーを頒布し、すぐに梅園町に引っ越したと可能性も考えられます。現在確実に言えることは、この新旧ごちゃまぜのフライヤーが頒布された時期は1968年以降であるということまでで、それ以上絞ることはできませんでした。

***************** 前回情報の補足

ところで、前回記事「『三協音機』って知ってる?(1)」について、拙ブログをご高覧下さっている方々から情報をいただきましたので、補足します。

(1)不明だったガンゲーム
ブログ「しいたけと猫が好き」で、昭和時代の観光ホテルのゲームコーナー画像を豊富に紹介されていらっしゃるaccs2014さんより、正体不明のガンゲームは米国「Bally」の「Sharpshooter」であろうとご教示をいただきました。こちらでも調べたところまさにその通りで、1961年にリリースされている製品でした。

Sharp Shooter (Bally, 1961)と特定されたガンゲーム。

Bally Sharpshooterについては、英文表記ですがより詳しい情報と画像がこちらにありますので、興味のある方はご覧ください。

(2)見当がつかなかった機械のうち1台
記事中で「おそらくはカラフルなトッパ―の機械」と指摘していた機械が、タイムリーなことにaccs2014さんのブログ「しいたけと猫が好き」の最新記事に一部映り込んでおり、「天龍工業」の「クレミー」であることが判明しました。

①が「クレミー」(天龍工業、1960年代)と特定できた機械。②と③は依然として不明。

「クレミー」と「天龍工業」については次回、本シリーズの番外編でもう少し詳しく触れようと思います。

次回番外につづく