前回までラスベガス巡礼の記録を7回に渡って掲載している間に、拙ブログではおなじみのカナダのCaitlynから、「このオークションに友人と入札しようと話し合っているのだが」と、日本のネットオークションに関する相談を受けました。そのオークションはワタシにとっても非常に興味深いものだったので、「ワタシもオークションに協力したい」と返答し、まずはその時点でビッドできる最低額で入札しました。オークションはそのまま終了直前まで平穏に進んでいたのですが、終了15分前くらいから動きが活発になり、最終的には我々が想定するよりもはるかに高い額に跳ね上がってしまって、残念ながら勝つことはできませんでした。
オークションサイトのスクリーンショット。終了寸前まで1100円だったものが最後に51000円まで高騰して終了した。
このオークションで出品されているのは、「スーパーホームランゲーム」というゲーム機のフライヤーです。ワタシはこれまでこのゲーム機について見聞したことはありません。写真を見るとどうもフリッパー機のようです。Caitlynは「ひょっとするとこれは1965年発売の『クレイジー15(こまや)』(関連記事:初期の国産フリッパー・ピンボール:「クレイジー15ゲーム」)よりも古いものではないか」と言っていますが、オークションページの商品説明にはこのフライヤーが作成、頒布された時期が特定されていません。
「スーパーホームランゲーム」は、得点の表示を、機械式のリールではなくランプの点灯で行っているようです。このようなピンボール機は、米国では1940年代から1961年までの間に製造されています。しかし、その事実だけでは「スーパーホームランゲーム」が「クレイジー15」よりも古いとする根拠にはなりません。
フライヤーは二つ折り4ページで、表紙、見開いた状態、裏表紙の3つの画像があります。表紙の冒頭では「日本遊戯機械生產史上に一大エポックを劃する/”最豪華遊戯の決定版”/スーパーホームランゲーム/PH-51型」と謳って、ピンボールに興じている人たちの写真が掲載されています。
フライヤーの表紙の画像。(推奨サイズでなるべく大きく表示するため歪みを補正してトリミングしてある=以下同じ)。
ここで気になるのは、「日本遊戯機械生產史上」の言葉です。これはつまり、「スーパーホームランゲーム」は日本国内で製造していると言っているように読めます。
続く2枚目の画像はフライヤーを見開いた図で、左ページは製品のアピール、右ページは機械の各部名称の説明図となっています。
フライヤーを見開いた内側の画像。フリッパーを「バット」と呼んでいる。
この見開きの左ページでも、「日本遊戯機械の革命」、「アメリカン遊戯の王座ピンボールマシンの日本版」と述べて、国内で製造されたものであることを示唆しています。
最後の画像はフライヤーの裏表紙で、ここでも「幾多の苦心と技術的ハンデーキヤツプを乗越へ遂にここに結実した弊社が斯界に誇る遊戯機械の最豪華版」と、自社で開発製造していると読める宣伝文句が謳われています。
フライヤーの裏表紙部分。
裏表紙にはさらに、社名や関連施設及びその所在地と、「直営宣傳場」としている「アタミセンター」の画像が掲載されています。「アタミセンター」は二階建てで、ネオンサインの背後の壁には何か文字が見えるのですが、やっと判読できたのは「高級喫茶」と「階上」の二つだけでした。ただ、このことから、アタミセンターはもともと娯楽施設であったことが推察されます。
フライヤーには年代を特定できる具体的な記述がないので、ワタシは裏表紙に記載されている三つの所在地に注目してみました。もし町名変更などで現存しない地名があれば、このフライヤーは少なくともその名が消える以前に作られたことなります。
すると、「アタミセンター」の所在地として記述されている「熱海市浜町(はまちょう)」が現存しないことを発見しました。現在、「浜町」の名は、「浜町観光通り」と「浜町通り」の二つの道路と、「渚町」と「銀座町」が属する町内会の名称としてのみ残っており、町名としては残っていません。しかし、「浜町」がなくなった時期がどうにも特定できません。
ならばということで「渚町」と「銀座町」がいつできたかを調べたところ、「銀座町」については詳しいことはわかりませんでしたが、「渚町」は「クレイジー15ゲーム」が売り出された後の昭和42年(1967)の住居表示実施により成立していることが判明しました。これでは「スーパーベースボール」の方が古いと主張する証拠もしくは傍証にはなりません。残念ながら地名から特定することはできませんでした。
次に、フライヤーに書かれている日本語に注目してみました。フライヤーの文言には、拗音や促音を大文字で記述する歴史的仮名遣いと、「產」や「劃」と言った旧字体が見えます。
仮名遣いが現代仮名遣いに改められたのは昭和21年(1946)、漢字が新字体に改められたのは昭和24年(1949)に、それぞれ内閣の告示があったとのことで、どちらも「クレイジー15」よりも圧倒的に早いです。ただ、これら旧日本語は告示の直後に完全に無くなったわけではなく、古い人の中には告示後も歴史的仮名遣いや旧字体を使い続ける人もいたので、完全な証拠にはなりません。とは言え、「スーパーホームランゲーム」が「クレイジー15」よりも古いものである可能性を思いつくには十分な状況証拠とは言えそうです。
Caitlynの考察によれば、「スーパーホームランゲーム」は、どうも米国製ピンボール機をコピーしたもののようです。詳しくは彼女自身のブログ「1950年代~ スーパーホームランゲーム [PH-51型] by 東洋プレーイングマシン」で述べられていますので、拙ブログをご高覧下さる皆様にもぜひご覧いただきたいと思います。
そして、どちら様でも、この「スーパーホームランゲーム」及びメーカーである「東洋プレーイングマシン」について何かご存じのことがございましたら、ぜひともコメント欄にてご教示いただけますようお願い申し上げます。