オールドゲーマーの、アーケードゲームとその周辺の記憶

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柿の木坂トーヨーボール & キャメル

2016年03月27日 21時57分05秒 | ロケーション


2007年2月に撮影した柿の木坂トーヨーボール。この時点ですでにクローズしている。

その昔、東横線都立大学駅の近くの目黒通り沿いに、「柿の木坂トーヨーボール」というボウリング場がありました。オープンは1965年、クローズが2005年で、現在その跡地には外車の販売店が建っています。

このセンター(ボウリング場は、慣例的に「センター」と呼ばれるケースが多い)の経営母体は、2016年3月20日の拙ブログにアップした(関連記事:さよならダイエー碑文谷店)で触れている「トーヨーボール」と同じで、互いの距離は600m程度しか離れていません。こんな至近距離に自ら競合店を建てるなんて、今考えると全く信じがたいことのように思えますが、それだけ当時のボウリングブームがすさまじかったということなのでしょう。

柿の木坂トーヨーボールは5階建てで、1フロアに14レーンずつ設置されていましたが、ブームが過ぎてからは上の階をいくつか休止状態とし、末期にはボウリング設備を潰して卓球やビリヤードの営業を行うフロアもありました。センターのエントランスは、14~5年前にTVで放映されていた「ゴールデンボール(主演・金城武/黒木瞳=敬称略)」というTVドラマのロケで使われていたので、見覚えがある人もいるかもしれません。


トーヨーボールのエントランス。なお、「ゴールデンボール」劇中で、ボウリング場の中のシーンは別のセンターで撮影されていた(田町の東京ポートボール?)。

この柿の木坂トーヨーボールは、1972年から73年にかけてくらいのころ、1階の、それまではおそらく飲食店にしていた一角を、メダルゲームコーナーに改装しました。シグマ社がゲームファンタジア・ミラノの営業を始めたのが1971年の12月下旬ですから、それから約1年後くらいのことで、メダルゲーム場というジャンルが拡大していくペースがなんとなく伝わってくるような気がします。

ずっと後に30席程度の喫茶店となるこのメダルゲームコーナーは、さほど広くはなく、壁沿いにバーリーのスロットマシンが20台くらいと、やはりバーリーのピンビンゴが2台、フロア中央にニューペニーフォールが1台あるだけでした。しかし、そのメダルゲーム場も長くは続かず、1970年代半ばからは、主にピンボールが置かれるゲームコーナーとなったように記憶しています。実は1975年ころ、都立大学駅前に「キャメル」というメダルゲーム場ができていますが、これが関係していたかどうかは不明です。

余談(1) メダルゲーム場に改装する際、表通り側の外壁には、バーリー社のあのベリーシェイプの大きなロゴと、たくさんの電球でまばゆく光り輝いて入り口を指し示す大きな黄色い矢印が設置されましたが、その後いつしかバーリーのロゴは撤去され、更に黄色の矢印の中の電球はエントランスの看板の周囲を飾る電飾に流用するために何度も間引かれ、その状態がセンターが閉鎖されるまで続きました。


喫茶店となった後のメダルゲームコーナーの入り口付近。上部の大きな黄色い矢印は、メダルゲーム場に改装する際に取り付けられたもの。この時点ではすべての電球が取り去られている。

余談(2) 「キャメル」の経営母体は「恵通観光」といい、隣駅の自由が丘で「自由が丘劇場」という映画館をオペレートしていた関係で、キャメルに設置してあるビデオゲームで高得点を挙げると、そこの招待券がもらえました。この「恵通観光」は、「JOYPACK(ジョイパック)」というブランドを持ち、映画館、ゲームセンター、ボウリング場、パチンコ店、更には外国映画の配給などにも手を広げ、現在は「HUMAX(ヒューマックス)」として、日本でも有数の娯楽関連企業となっています。


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