日本のAM業界には「メダルゲーム」というジャンルがあります。しかしこの呼称は、英語を母語とする人たちには何のことなのかさっぱり見当もつかない、意味の通じない言葉です。
「メダルゲーム」の「メダル」は和製の用法で、英語で同様の概念を言う際には、「トークン(token)」または「スラグ(slug)」とするのが正しいようです。そう言えばセガ社は、1974年頃に発売していたメダル貸出機の商品名を「スラグ・ディスペンサー」と称していました。また、米国が統治していたころの沖縄で流行したスロットマシン遊技機(今でいうパチスロの「沖スロ」の原点らしい?)は、現地では「スラグ・マシン」と呼ばれていました。
1974年頃のセガのメダルゲームカタログより。筐体には「メダル貸出機」とあるが、商品名は「セガ・スラグ・ディスペンサー」と表記されている。
また、「メダルゲーム」という呼称は、その業態が発生した当初からあったわけではありません。今回は「メダル」及び「メダルゲーム」という用語が生まれた経緯をメモしておこうと思います。
1969年3月、sigma社は、換金できない専用トークンでスロットマシン類を遊ばせる営業の実験店「ゲームファンタジア渋谷カスタム」を、渋谷のボウリング場の一角に設けました(関連記事:メダルゲームの曙を見た記憶)。
この「カスタム」には、「洗練された雰囲気を好む都会人向けにカスタマイズされた娯楽場」という意味が込められており、sigma社はこの運営方法を「カスタム方式」と名付けました。なにしろこの時代は、TVのクイズ番組で「夢のハワイ旅行」などという惹句が謳われるほど、多くの日本人にとって海外はまだまだ遠い存在だったので、カジノのスロットマシンがずらりと並ぶロケーションは、憧れの海外の雰囲気が感じられたことでありましょう。
しかし、カスタム方式が現れる以前から、日本には既に海外のギャンブルゲーム機を使用した賭博営業が新聞沙汰になるほどには浸透していたので(関連記事:ロタミントの記憶)、多くのAM業界人は、換金できないsigmaのこのチャレンジには大いに懐疑的でした。業界はカスタム方式を「シグマ方式」と呼びましたが、この呼称は、誰もsigmaに追随する者がおらず、sigmaただ一社が孤軍奮闘していたことを示しているようにも思われます。しかし、そんな業界の冷ややかな見方をよそに、プレイヤーは喜んでシグマ方式を受け入れ、その結果sigma社は、都内にシグマ方式の店舗を次々と新規開店しました。
1972年になると、そろそろシグマ方式が商売として成立する見極めがついたのか、ついにこれを模倣する同業他社が現れ始めます。このことから、ワタシは、今で言う「メダルゲーム」というジャンルが業界に確立されたのは1972年と考えています。
「シグマ方式」が一般化すると、そのような業態は「メダルイン・メダルアウト方式」と呼ばれるようになりますが、「コインゲーム」と呼ばれることもありました。また、トークンの呼称についても、少なくとも1973年時点では、元祖のsigma社でさえ「コイン」と称していた例が見られるように、この時点ではまだ「メダル」「メダルゲーム」という用語は定着していませんでした。
AM業界誌「アミューズメント産業」1972年3月号の一部。メダルゲームを「コインゲーム」と呼んでいる(傍線部)。
「アミューズメント産業」1974年1月号より。sigma社「ゲームファンタジア・イエローサブマリン」の店内の様子の写真。メダル貸出機に「ゲーム・コイン貸出機」とある。余談だが、画面左に見えるスロットマシンが米国ミルズ社製である。ワタシはメダルゲームとしてミルズ社の機械を見た覚えがなく、これは非常にレアな証拠写真だと思う。
長くなりそうなので、以下次回に続く。
「メダルゲーム」の「メダル」は和製の用法で、英語で同様の概念を言う際には、「トークン(token)」または「スラグ(slug)」とするのが正しいようです。そう言えばセガ社は、1974年頃に発売していたメダル貸出機の商品名を「スラグ・ディスペンサー」と称していました。また、米国が統治していたころの沖縄で流行したスロットマシン遊技機(今でいうパチスロの「沖スロ」の原点らしい?)は、現地では「スラグ・マシン」と呼ばれていました。
1974年頃のセガのメダルゲームカタログより。筐体には「メダル貸出機」とあるが、商品名は「セガ・スラグ・ディスペンサー」と表記されている。
また、「メダルゲーム」という呼称は、その業態が発生した当初からあったわけではありません。今回は「メダル」及び「メダルゲーム」という用語が生まれた経緯をメモしておこうと思います。
1969年3月、sigma社は、換金できない専用トークンでスロットマシン類を遊ばせる営業の実験店「ゲームファンタジア渋谷カスタム」を、渋谷のボウリング場の一角に設けました(関連記事:メダルゲームの曙を見た記憶)。
この「カスタム」には、「洗練された雰囲気を好む都会人向けにカスタマイズされた娯楽場」という意味が込められており、sigma社はこの運営方法を「カスタム方式」と名付けました。なにしろこの時代は、TVのクイズ番組で「夢のハワイ旅行」などという惹句が謳われるほど、多くの日本人にとって海外はまだまだ遠い存在だったので、カジノのスロットマシンがずらりと並ぶロケーションは、憧れの海外の雰囲気が感じられたことでありましょう。
しかし、カスタム方式が現れる以前から、日本には既に海外のギャンブルゲーム機を使用した賭博営業が新聞沙汰になるほどには浸透していたので(関連記事:ロタミントの記憶)、多くのAM業界人は、換金できないsigmaのこのチャレンジには大いに懐疑的でした。業界はカスタム方式を「シグマ方式」と呼びましたが、この呼称は、誰もsigmaに追随する者がおらず、sigmaただ一社が孤軍奮闘していたことを示しているようにも思われます。しかし、そんな業界の冷ややかな見方をよそに、プレイヤーは喜んでシグマ方式を受け入れ、その結果sigma社は、都内にシグマ方式の店舗を次々と新規開店しました。
1972年になると、そろそろシグマ方式が商売として成立する見極めがついたのか、ついにこれを模倣する同業他社が現れ始めます。このことから、ワタシは、今で言う「メダルゲーム」というジャンルが業界に確立されたのは1972年と考えています。
「シグマ方式」が一般化すると、そのような業態は「メダルイン・メダルアウト方式」と呼ばれるようになりますが、「コインゲーム」と呼ばれることもありました。また、トークンの呼称についても、少なくとも1973年時点では、元祖のsigma社でさえ「コイン」と称していた例が見られるように、この時点ではまだ「メダル」「メダルゲーム」という用語は定着していませんでした。
AM業界誌「アミューズメント産業」1972年3月号の一部。メダルゲームを「コインゲーム」と呼んでいる(傍線部)。
「アミューズメント産業」1974年1月号より。sigma社「ゲームファンタジア・イエローサブマリン」の店内の様子の写真。メダル貸出機に「ゲーム・コイン貸出機」とある。余談だが、画面左に見えるスロットマシンが米国ミルズ社製である。ワタシはメダルゲームとしてミルズ社の機械を見た覚えがなく、これは非常にレアな証拠写真だと思う。
長くなりそうなので、以下次回に続く。
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