米大リーグのスーパースター、ハンク・アーロン(敬称略・以下同)と日本のホームランキングである王貞治が、後楽園球場で「ホームラン競争」を行ったのは、今調べると、1974年の11月2日のことらしい。そしてこの日、ワタシが一人で後楽園にいたのも、この日米の大スラッガーによるホームラン競争を観ることが目的だったはずでした。
それより2~3年前、ワタシは、数人の級友どもと後楽園のローラースケート場に来ていたので、後楽園にはゲーム場がいくつもあることは知っていました。というわけで、せっかく後楽園に行くのであればゲーセン巡りをしようと企んだワタシは、早めに後楽園に行くことにしました。
当時の後楽園のゲームセンターのひとつ。この風景は、ワタシがローラースケート場に行った時の記憶とほぼぴったり合致する。アミューズメント産業(アミューズメント出版社)72年2月号P.18より。
さて、1974年の秋ともなると、メダルゲームというジャンルはそろそろ業界に広く浸透しており、後楽園のゲーム場にも多数のメダルゲームが設置されていました。しかし、まだ国産のメダルゲーム機は少なく、そのほとんどは外国製のゲーム機でした。ワタシのフライヤーコレクションの中には、この時に遊んだ記憶のある機械のものがいくつかあります。
英国ストリート社製の「コロラマ」。ルーレットの一種で、プレイフィールドは赤、青、黄、緑、白に塗り分けられており、何色のエリアにボールが入るかを予想する。赤、または青は2倍、黄は4倍、緑は6倍、白は10倍になる。現在、これと同名の機種が、リデンプションマシンとして、アメリカなどで見ることができる。
上から、英国ストリート社製「ダービーレーサー」、英国ホイタッカー兄弟社製「ルマン」、同じく英国ホイタッカー兄弟社製「ケンタッキーダービー」。一位になる馬や、「WIN」と描かれたエリアに停止する車の色を予想する。色と配当は、前述コロラマと同じ。
これらのゲーム機の特徴は、1ゲームでの最大の払い出し枚数がわずか10枚であることです。これについて、アミューズメント産業74年5月号では、 「ゲームセンター『カーニバル』(後楽園) 二つの新機軸を打ち出す」という見出しで、「メダルゲーム場の主力と目されているスロットマシン・ビンゴゲーム等をいっさい用いず(中略)すべてペイアウト率(メダルの)十倍までの機種を選んでいる」とあります。この意図として、このゲーム場は、これらの機械を扱うディストリビューターとタイアップしたショールームとしての機能もあったとのことです。しかし、これらの機械は、このころはあちこちで見られたものでしたが、国産のメダルゲーム機が増えてくる70年代の終わりころになると、ほとんど姿を消してしまいます。
さて、当時の中学生にとって、メダルゲームは高価な遊びでしたので、この時のワタシは、1枚のメダルを惜しみながら、今度は何をやろうか、どれに賭けようかとさんざん逡巡を重ねながらちびちびと遊んだものでした。だからこそ、当たった時の嬉しさも大きかったものです。それぞれのゲーム機はいずれも興奮させられるものでしたが、中でも特に熱中したのが「ペニーボウル」という機種でした。
ペニーボウル。たぶん英国のクロンプトンStreet社製。手前の投入口から投入したメダルはプレイフィールドの奥に向かって転がっていき、フィールドの終端で横に並んでいるボウリングのピンに当たると、ピンに描かれた数字(2~10)の枚数のメダルが払い出される。
ペニーボウルは、手持ちのメダルを全部投入しても、たいていの場合、その8割~11割程度のメダルがコインボウルに払い出されており、繰り返し、何度でも遊べたものでした。ゲームの結果が完全にアナログで、インチキの可能性を感じさせないところも良かったです。
こうしてメダルゲームに耽溺していると、気がつけば時刻はもう夕方ころになっていました。アーロンと王のホームラン競争はとうに終わっており、この時はおそらく日米野球が行われていたのではないかと思いますが、もはやメダルゲームを超える興味はなくなっていたので、そのまま家路につきました。つまりワタシは、今も日本プロ野球界の歴史の一つとして語り草となるイベントを見逃したわけですが、後悔というものは全然していません。
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私も1970-72年頃に後楽園の遊園地に行きましたね。でもゲームよりもお化け屋敷の方が記憶に残っていますね。