「競馬」は、海外でも古くからペイアウトのあるコインマシンに採り入れられてきたテーマです。日本でも、メダルゲーム機の開発を始めたごく早い時期から現代に至るまで、多くの競馬ゲームが作られてきました。
ワタシは、初の国産競馬ゲーム機は、セガの「ハーネスレース」(Harness Race, 1974)であると考えています。これには若干の注釈が必要だと思うのですが、それは本文の最後で改めて触れることにして、まずは本題から記録していきます。
ハーネスレースのフライヤー。A3判を二つ折りにしているうち、表紙側(上)と中側(下)。
ハーネスレースとは、馬に一人乗りの二輪馬車を引かせて行う競馬のことです。日本でも「繋駕(けいが)速歩競走」と称して細々と行われてはいましたが、あまりになじみが薄いためか、フライヤーには平凡社の百科事典の解説が記載されています。セガの「ハーネスレース」は、その名の通り騎手が乗る車を引っ張る馬の人形がトラックを走行しました。
「ハーネスレース」のフライヤーから、プレイフィールド部分のアップ。車輪の付いた台に騎手が乗っている人形が確認できる。ときに、スケール感がおかしい観客席の観衆と同じタッチの絵は、1970年代中頃から80年くらいまでの時期にセガが製造していたフリッパー・ピンボール機をはじめ多くのゲーム機で見られるが、このアーティストの名前は残念ながら伝わっていない。
「ハーネスレース」のレースプログラムは毎ゲーム同じで、5頭立ての連複のみ、1番人気の3倍から大穴の28倍まで10種類の組み合わせがありました。一つの組み合わせにメダル4枚までベットでき、ベット数はLEDランプの点灯数で示していました。まだ払い出し機構にホッパーが使われない時代で、大量のメダルを払い出すことができなかった時代のことなので、これでも用が足りていたのでしょう。
また、この頃のメダルゲーム機はクレジット機能という概念も無かった時代でもあったので、メダルを1枚投入するたびに任意の一か所にベットするというスタイルだったのですが、「ハーネスレース」では、メダル投入後にベットボタンを拳などで強く叩くと、その衝撃に同時に反応した全ての組み合わせにメダルがベットされたことになってしまうという設計上の不備が発見されてしまいました。この不正行為は比較的よく広まったため、ロケーションによっては二つのL字型の金属板をボタンの左右を挟むように取り付けるなどして、ボタンを叩けないようにする改造を行うところもありました。
コントロールパネル部分のアップ。
ハーネスレースでは、各馬が1着になる確率をビルボードに明示していたので、レース結果を毎回記録して次の出目を予想する人を良く見かけたものでした。そんなことをしても出目の予想の材料としては意味はないのですが、それを意味があると錯覚させる演出は秀逸だったと思います。
ハーネスレースのビルボードのアップ。組み合わせのオッズと、各馬が1着になる確率が明示されている。
この1着になる確率の掲示を見たとき、既に中学校の数学の時間で確率は習っていたワタシは、この数字から連複の確率も計算できるのではないかと思いました。そして、いつか暇なときに計算してみようと思いはしたのですが、それから今日までの40年余りの間、ずっと放置しておりました。しかし、このたび本記事を書くことを好機として、長年の積み残し案件を解決することにしました。
実際の着順を決めるアルゴリズムはわかりませんが、1着になる確率が高い馬ほど2着になる確率も高いことは明らかです。そこで、ある馬を1着とした場合、それ以外のすべての馬の1着になる確率(A)を合計した数(B)に対して、1着以外の各馬の(A)が占める割合が2着になる確率であると考え、これを1~5の馬それぞれが1着になった場合のすべてについて計算してみました。
ハーネスレースの各出目の出現率とペイアウト率。「トゥルーオッズ」とは、フルペイとする場合の配当率のこと。「P/O」はペイアウト率のことで、トゥルーオッズに対してゲームオッズが何%あるかを示している。
その結果、「ハーネスレース」の平均ペイアウト率は70.5%と判明しました。同時期の「ファロ」の平均ペイアウト率が85.2%だったので、おそらくハーネスレースもそのくらいかと思っていたので、これは意外なほどに低い設定です。仮に全てのオッズを+1したとしても、平均ペイアウト率は80.5%にしかなりません。
特に気になるのは、オッズの高い組合せの方がペイアウト率が高く設定されているという点です。多くのカジノのゲームでは、オッズが高い賭けほどペイアウト率を抑えるのが通例なのですが、「ハーネスレース」はその逆の傾向を示しています。
もう一つ、組合せ「1-4」と「2-3」の出現率は殆ど同じなのにオッズに1倍の差がある点も気になります。これにより、「1-4」のペイアウト率が異様に低く、逆に「2-3」が(比較の上では)お買い得になっています。
この表を見て思うこととして、本当は手を出しちゃいけないゲームだけど、どうしても遊ばなければならないなら、常に「4-5」一点張りに徹するのが、ワタシからの推奨手という結論に達しました。今は表計算ソフトなどという便利なものがあるので計算自体は案外簡単にできましたが、長年抱えていた懸案事項が解決して、ワタシは今とても清々しい気分です。
さて、話変わって「ハーネスレース」の機構についても述べておこうと思います。ダートの静電植毛されたプレイフィールドの下には、トラックを一周する台があり、この台の上に、プレイフィールド上の各馬を引き付ける磁石が乗っていました。この磁石は、台の上で前後に動くようになっており、馬の全体的な移動は台を走行させて行い、順位の差は台上の磁石を前後させることで付けていました。
ハーネスレースの機構概念図。トラックを一周する台(クリーム色の直方体)の上に各馬に対応する磁石(赤い円)が付いている。磁石は、台の上で一定の範囲で前後する。
ハーネスレースは、定価410万円、業者価格で320万円(1977年に発行されたプライスリストによる)という、当時としてはたいへん高価な機械でしたが、数か月前に発売されたファロ(関連記事:初の国産メダルゲーム機の記憶)とともに、当時のほとんどのメダルゲーム場に設置される大ヒット機となりました。
「ハーネスレース」が発売されてからおよそ半年くらい後のこと。「フジ・エンタープライズ」という会社が、「ハーネスデラックス」(Harness Delux)という機種の広告を、業界誌アミューズメント産業の1975年5月号に掲載しました。
フジ・エンタープライズが業界誌に掲載した「ハーネスデラックス」の広告。
よく見ると、コントロールパネルの仕様はオリジナルとほとんど同じに見うけられます。観客席の絵もオリジナルと雰囲気は似ていますが、これは新たに描きおこしているようです。おそらくは、セガの「ハーネスレース」を土台として、主に外装を作り直したものと思われます。合皮張りのアームレストや本体は、確かにオリジナルよりもはるかに豪華に見えます・・・
・・・と思っていたら、フジ・エンタープライズはその年の業界のトレーディングショウに、「ハーネスデラックス・トウェンティ」という機種を出してきたようです。
アミューズメント産業誌1975年12月号に掲載された、ショウに出品された製品紹介から、「ハーネスデラックス・トウェンティ」のページ。
詳しいことはわからないのですが、「ハーネスデラックス・トウェンティ」は、席数を20席に大幅に拡張し、長さはオリジナルよりも倍以上のサイズとなっているので、全く新規に開発したものと思われます。これがどの程度売れたのかはわかりませんが、席によってはフィニッシュラインが遠くて見づらく、またゲーム時間も長くなってしまうので、あまり普及しなかったのではないかと思います。
***************************
冒頭で「初の国産メダル競馬ゲーム機はセガのハーネスレースだがこれには若干の注釈が必要」と述べた件についてご説明いたします。ワタシはこれまで、初の国産メダルゲーム機はセガの「ファロ(FARO, 1974)」と「シルバーフォールズ(Silver Falls, 1974)だと何度か述べてまいりました。
しかし、ゲームの結果によって払い出しが行われるゲーム機自体は、ファロ以前から既に国内で製造されていました。そのような機械は、日本にまだメダルゲームというジャンルが定着する以前の1960年代から、飲食店などで違法なギャンブル機として使われていました(関連記事:ロタミントの記憶 / セガのスロットマシンに関する思いつき話)。
AM業界では、そのようなアングラ市場での稼働を前提とするゲーム機を「Gマシン」(GはGambleのG)と呼んでいます。拙ブログでは、Gマシンはメダルゲームとして作られたものではないという理解から、メダルゲームとは区別して考える方針でおり、従って初の国産メダルゲーム機はあくまでも「ファロ」であるとするのがワタシの見解です。「ハーネスレース」も同様で、それ以前から競馬をテーマとしたGマシンは存在していましたが、メダルゲームとしての初の競馬ゲーム機は、セガの「ハーネスレース」であると判断しています。
そもそもメダルゲームというジャンル自体が海外のギャンブル機から始まったものですし、またメダルゲーム機だってGマシンに転用することは可能であり、そしてその逆もまた真で、メダルゲームとGマシンの本質的なゲーム性には違いはありません。しかし、良い喩えではないかもしれませんが、天然の鮭と養殖の鮭を混同して扱ってしまうと、どこかで何らかの支障が生じる予感がするのに似た警戒感があって、ワタシはメダルゲーム機とGマシンは区別することにしています。
(競馬ゲームその2につづく)
ワタシは、初の国産競馬ゲーム機は、セガの「ハーネスレース」(Harness Race, 1974)であると考えています。これには若干の注釈が必要だと思うのですが、それは本文の最後で改めて触れることにして、まずは本題から記録していきます。
ハーネスレースのフライヤー。A3判を二つ折りにしているうち、表紙側(上)と中側(下)。
ハーネスレースとは、馬に一人乗りの二輪馬車を引かせて行う競馬のことです。日本でも「繋駕(けいが)速歩競走」と称して細々と行われてはいましたが、あまりになじみが薄いためか、フライヤーには平凡社の百科事典の解説が記載されています。セガの「ハーネスレース」は、その名の通り騎手が乗る車を引っ張る馬の人形がトラックを走行しました。
「ハーネスレース」のフライヤーから、プレイフィールド部分のアップ。車輪の付いた台に騎手が乗っている人形が確認できる。ときに、スケール感がおかしい観客席の観衆と同じタッチの絵は、1970年代中頃から80年くらいまでの時期にセガが製造していたフリッパー・ピンボール機をはじめ多くのゲーム機で見られるが、このアーティストの名前は残念ながら伝わっていない。
「ハーネスレース」のレースプログラムは毎ゲーム同じで、5頭立ての連複のみ、1番人気の3倍から大穴の28倍まで10種類の組み合わせがありました。一つの組み合わせにメダル4枚までベットでき、ベット数はLEDランプの点灯数で示していました。まだ払い出し機構にホッパーが使われない時代で、大量のメダルを払い出すことができなかった時代のことなので、これでも用が足りていたのでしょう。
また、この頃のメダルゲーム機はクレジット機能という概念も無かった時代でもあったので、メダルを1枚投入するたびに任意の一か所にベットするというスタイルだったのですが、「ハーネスレース」では、メダル投入後にベットボタンを拳などで強く叩くと、その衝撃に同時に反応した全ての組み合わせにメダルがベットされたことになってしまうという設計上の不備が発見されてしまいました。この不正行為は比較的よく広まったため、ロケーションによっては二つのL字型の金属板をボタンの左右を挟むように取り付けるなどして、ボタンを叩けないようにする改造を行うところもありました。
コントロールパネル部分のアップ。
ハーネスレースでは、各馬が1着になる確率をビルボードに明示していたので、レース結果を毎回記録して次の出目を予想する人を良く見かけたものでした。そんなことをしても出目の予想の材料としては意味はないのですが、それを意味があると錯覚させる演出は秀逸だったと思います。
ハーネスレースのビルボードのアップ。組み合わせのオッズと、各馬が1着になる確率が明示されている。
この1着になる確率の掲示を見たとき、既に中学校の数学の時間で確率は習っていたワタシは、この数字から連複の確率も計算できるのではないかと思いました。そして、いつか暇なときに計算してみようと思いはしたのですが、それから今日までの40年余りの間、ずっと放置しておりました。しかし、このたび本記事を書くことを好機として、長年の積み残し案件を解決することにしました。
実際の着順を決めるアルゴリズムはわかりませんが、1着になる確率が高い馬ほど2着になる確率も高いことは明らかです。そこで、ある馬を1着とした場合、それ以外のすべての馬の1着になる確率(A)を合計した数(B)に対して、1着以外の各馬の(A)が占める割合が2着になる確率であると考え、これを1~5の馬それぞれが1着になった場合のすべてについて計算してみました。
ハーネスレースの各出目の出現率とペイアウト率。「トゥルーオッズ」とは、フルペイとする場合の配当率のこと。「P/O」はペイアウト率のことで、トゥルーオッズに対してゲームオッズが何%あるかを示している。
その結果、「ハーネスレース」の平均ペイアウト率は70.5%と判明しました。同時期の「ファロ」の平均ペイアウト率が85.2%だったので、おそらくハーネスレースもそのくらいかと思っていたので、これは意外なほどに低い設定です。仮に全てのオッズを+1したとしても、平均ペイアウト率は80.5%にしかなりません。
特に気になるのは、オッズの高い組合せの方がペイアウト率が高く設定されているという点です。多くのカジノのゲームでは、オッズが高い賭けほどペイアウト率を抑えるのが通例なのですが、「ハーネスレース」はその逆の傾向を示しています。
もう一つ、組合せ「1-4」と「2-3」の出現率は殆ど同じなのにオッズに1倍の差がある点も気になります。これにより、「1-4」のペイアウト率が異様に低く、逆に「2-3」が(比較の上では)お買い得になっています。
この表を見て思うこととして、本当は手を出しちゃいけないゲームだけど、どうしても遊ばなければならないなら、常に「4-5」一点張りに徹するのが、ワタシからの推奨手という結論に達しました。今は表計算ソフトなどという便利なものがあるので計算自体は案外簡単にできましたが、長年抱えていた懸案事項が解決して、ワタシは今とても清々しい気分です。
さて、話変わって「ハーネスレース」の機構についても述べておこうと思います。ダートの静電植毛されたプレイフィールドの下には、トラックを一周する台があり、この台の上に、プレイフィールド上の各馬を引き付ける磁石が乗っていました。この磁石は、台の上で前後に動くようになっており、馬の全体的な移動は台を走行させて行い、順位の差は台上の磁石を前後させることで付けていました。
ハーネスレースの機構概念図。トラックを一周する台(クリーム色の直方体)の上に各馬に対応する磁石(赤い円)が付いている。磁石は、台の上で一定の範囲で前後する。
ハーネスレースは、定価410万円、業者価格で320万円(1977年に発行されたプライスリストによる)という、当時としてはたいへん高価な機械でしたが、数か月前に発売されたファロ(関連記事:初の国産メダルゲーム機の記憶)とともに、当時のほとんどのメダルゲーム場に設置される大ヒット機となりました。
「ハーネスレース」が発売されてからおよそ半年くらい後のこと。「フジ・エンタープライズ」という会社が、「ハーネスデラックス」(Harness Delux)という機種の広告を、業界誌アミューズメント産業の1975年5月号に掲載しました。
フジ・エンタープライズが業界誌に掲載した「ハーネスデラックス」の広告。
よく見ると、コントロールパネルの仕様はオリジナルとほとんど同じに見うけられます。観客席の絵もオリジナルと雰囲気は似ていますが、これは新たに描きおこしているようです。おそらくは、セガの「ハーネスレース」を土台として、主に外装を作り直したものと思われます。合皮張りのアームレストや本体は、確かにオリジナルよりもはるかに豪華に見えます・・・
・・・と思っていたら、フジ・エンタープライズはその年の業界のトレーディングショウに、「ハーネスデラックス・トウェンティ」という機種を出してきたようです。
アミューズメント産業誌1975年12月号に掲載された、ショウに出品された製品紹介から、「ハーネスデラックス・トウェンティ」のページ。
詳しいことはわからないのですが、「ハーネスデラックス・トウェンティ」は、席数を20席に大幅に拡張し、長さはオリジナルよりも倍以上のサイズとなっているので、全く新規に開発したものと思われます。これがどの程度売れたのかはわかりませんが、席によってはフィニッシュラインが遠くて見づらく、またゲーム時間も長くなってしまうので、あまり普及しなかったのではないかと思います。
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冒頭で「初の国産メダル競馬ゲーム機はセガのハーネスレースだがこれには若干の注釈が必要」と述べた件についてご説明いたします。ワタシはこれまで、初の国産メダルゲーム機はセガの「ファロ(FARO, 1974)」と「シルバーフォールズ(Silver Falls, 1974)だと何度か述べてまいりました。
しかし、ゲームの結果によって払い出しが行われるゲーム機自体は、ファロ以前から既に国内で製造されていました。そのような機械は、日本にまだメダルゲームというジャンルが定着する以前の1960年代から、飲食店などで違法なギャンブル機として使われていました(関連記事:ロタミントの記憶 / セガのスロットマシンに関する思いつき話)。
AM業界では、そのようなアングラ市場での稼働を前提とするゲーム機を「Gマシン」(GはGambleのG)と呼んでいます。拙ブログでは、Gマシンはメダルゲームとして作られたものではないという理解から、メダルゲームとは区別して考える方針でおり、従って初の国産メダルゲーム機はあくまでも「ファロ」であるとするのがワタシの見解です。「ハーネスレース」も同様で、それ以前から競馬をテーマとしたGマシンは存在していましたが、メダルゲームとしての初の競馬ゲーム機は、セガの「ハーネスレース」であると判断しています。
そもそもメダルゲームというジャンル自体が海外のギャンブル機から始まったものですし、またメダルゲーム機だってGマシンに転用することは可能であり、そしてその逆もまた真で、メダルゲームとGマシンの本質的なゲーム性には違いはありません。しかし、良い喩えではないかもしれませんが、天然の鮭と養殖の鮭を混同して扱ってしまうと、どこかで何らかの支障が生じる予感がするのに似た警戒感があって、ワタシはメダルゲーム機とGマシンは区別することにしています。
(競馬ゲームその2につづく)
サテライトの解説をありがとうございました。制御方法を考えてみたのですが、メイン部(M)は各サテライト(S)への指示のみとして、ベット情報はS側で管理した方が簡単になりそうです。
MにはTTL-ICを使い、Sにも10枠分の投票数管理およびコマンド実行のためにTTL-ICを使います。筐体内部はノイズだらけですが、ICを基板上に集約して信号レベル変換回路を使えば従来の布線とコネクタで接続可能と考えます。
M-S間の信号は次の通りで全Sを並列に接続します。
COM1,2(M→S):コマンド種別表示(00=開始,01=締切,10=払戻,11=予備)
SEND(M→S):コマンド送信(COM1,2を設定してからSENDにパルスを出力する)
WIN1~4(M→S):当選枠番号通知(10通りあるので4信号を使う)
WAIT(S→M):待機要求(全Sの待機要求が論理和されてMに伝わる)
そして従来のゲームと同様に、本ゲームでもM内のシーケンス制御回路がゲームを進めます。
・開始コマンドで投票受付を指示する
・投票受付時間のタイミングをとる(1分程度?)
・締切コマンドで投票締切りを指示し(注1)、WAITのOFFを待つ
・レース実行用シーケンス制御回路を起動し、その終了を待つ
・払戻コマンドで払い戻しを指示し(注2)、WAITのOFFを待つ
・最初に戻る
(注1)参加者のメダル投入と締切コマンドは非同期なので、思いがけないメダルの没収を防ぐためにSはWAITをONしてガードタイミングを取ります。
(注2)SはWAITをONし、WIN1~4で示された当選枠の投票数を見て自律的にメダルの払戻しを行なって払戻しが完了するとWAITをOFFします。
次に、着順決定方式について述べます。
各馬の1着確率を実現するために機械的な回転盤を使うよりも、カウンタをTTL-ICで組んだ方が簡単でメンテ不要です。そして同一機構で1着-2着を決定しても適当なペイアウト率を実現できるので、この抽選方式を使った可能性はあると思います。
1着-2着を決めれば他の3頭は自動的に決まりますが、3頭の着順が固定すると着順決定論理の不備を指摘されるのではないかという事でした。6ビットカウンタを2ビット増やす事は簡単ですが、こうすれば3頭の着順6通りのうち4通りが登場するのでうまく行くでしょうか。
それではまた。
サテライトとは、マルチプレイヤーゲーム機における、プレイヤーが操作して遊ぶ席のことです。メーカーによっては「ステーション」などと呼ぶところもあるようです。システムとしては、運営を制御する「メイン」に「サテライト」が従属するという感じで、本体から離れているかどうかは問題にはなりません。「メインとサテライト」は、少なくとも80年代以降の大型メダルゲーム機では標準的な構成で、サテライトはメインから受け取る指令に従って、ベットを受け付けたり、ベットを閉め切ってベット情報をメインに返したり、またあるいはメインから受け取ったゲーム結果に従ってどれだけ払出したかをメインに報告したりするわけですが、電子技術がまだ発展途上だったハーネスレースの時代に、「メインとサテライトの通信」がどう行われていたのか、あるいは全然異なるシステムだったのかなどが謎なのです。
レース展開の制御方法のご推察、拝読しました。区画単位で調整していたとの仮定は大いにありそうだと思います。ただ、当時は着順を克明にメモするような人が珍しくなく、もし3着以下のパターン決定のロジックがあまりにぞんざいだと、指摘されていたようにも思います。当時の電子技術、おそらくまだCPUが使われていない時代にどのくらいのことが出来たのかが全く想像がつきません。
ハーネスレースのサテライトというものが分からないのですが、写真に写っている本体上の10か所以外でもプレイできるシステムがあったのでしょうか?
さて前回の続きで、簡単な制御で各馬が競っている様に見せるにはどうすれば良いか。私の想像は以下の通りです。
・レース区間を複数に分割する。
・台上の各馬に1(前方)~5(後方)の5か所の位置を定義して、初期位置はすべて3(中央)とする。
・レース開始前の内部抽選で1着~5着の馬番を決定(注1)し、n着馬は位置nでレースを終える。
・レース中は台を前進させながら各区間内で展開情報(注2)により5頭を指定された位置へゆっくり移動する(位置を後退させた時は馬が逆走しないこと)。
・最終区間には5着の馬がゴールラインを越えてから台を停止するまでの余裕を設ける。
・次レースの準備を開始すると台がスタート位置まで前進しながら馬位置を初期化する。
(注1) 3着以降の馬番は任意なので前コメントの64区画それぞれで3,4,5着の馬番も決めておけば簡単です。1着-2着=5-2の様に1区画しかない場合は3着以降の着順が固定になりますが、気にする人はいないと思います。
(注2) n着馬の移動パターンをパターンnと呼び、あらかじめ複数(10個程度?)のパターンnを準備します。そしてレース毎にパターンnを1個選び(n=1~5の計5個がランダムに選ばれる)、展開情報を組み立てます。以下は区間分割数を6とした時の展開情報例です。
1番 (パターン2) →2→3→2→3→2→2
2番 (パターン4) →2→2→3→3→3→4
3番 (パターン1) →3→2→1→2→2→1
4番 (パターン3) →4→5→4→3→2→3
5番 (パターン5) →2→3→3→4→4→5
難しいのは各区間毎の展開情報(位置が5通り×5頭分)を台へ伝える方法です。台はレース毎に1回転するので台移動中に情報を伝達するよりも、スタート待機中に台と接触する専用接点を設けて台上のレジスタICに必要な情報を書き込んでしまい、スタート後は各区間の最初のタイミングのみを台へ入力したらどうかと考えました。
それではまた。
どうやってゲーム結果を決定しているのかはずっと謎でしたが、ワタシは電機、電子は全然わからないのでここまで具体的な推察は到底できません。確かに回転盤を回すという方法も考えられるし、この時代であればTTLでロジックを組んでいたことも考えられそうですね。それにしても、ワタシとは異なるアプローチで似たような数字が出てくるというのも面白いですね。
レース展開の動作も謎ですが、それほど複雑なことはしていないはずだと思います。とはいえ、興を削がないように動かすのは案外難しそうです。
実は、サテライトの制御も謎なのです。当時の技術で、どうやってゲーム結果をサテライトに伝えていたのでしょうか。そもそもメインとサテライトと言う構造なのかどうかもわかりませんが、EM好きおじさんならどんなシステムを組まれますか?
このゲームで表示された各馬の1着確率|0.33|0.25|0.19|0.14|0.09|は分数n/64の小数点以下第3位を四捨五入した値に思えてきました。
n=21:0.328125→0.33
n=16:0.25→0.25
n=12:0.1875→0.19
n=9:0.140625→0.14
n=6:0.09375→0.09
内部抽選用には64区画を持つ回転盤が必要ですが、64は2の6乗なのでTTL-ICで作った6ビットカウンタを高速で回してだれかがベットを開始した時点で停止すれば簡単です。誰もベットしなかった場合は適当な時間でカウンタを停めてデモへ進めば良いのです。
さらに64区画を1着-2着で決まる20パターンに割り当てて抽選機構を1個で済ませる事も可能で、例えば次表の様に割り当てると本記事内の推定確率に近くなります(ペイアウト率は71.4%)。なお1-5枠は1-5よりも5-1の方が多くなりますが「1着確率」は守られているので良しとします。
1-2枠:1-2(9),2-1(6) 15/64=23.4%
1-3枠:1-3(6),3-1(5) 11/64=17.2%
1-4枠:1-4(4),4-1(4) 8/64=12.5%
1-5枠:1-5(2),5-1(3) 5/64=7.8%
2-3枠:2-3(4),3-2(3) 7/64=10.9%
2-4枠:2-4(4),4-2(2) 6/64=9.4%
2-5枠:2-5(2),5-2(1) 3/64=4.7%
3-4枠:3-4(2),4-3(2) 4/64=6.3%
3-5枠:3-5(2),5-3(1) 3/64=4.7%
4-5枠:4-5(1),5-4(1) 2/64=3.1%
さて1着2着の抽選方法の次は「トラックを一周する台」上の各馬の制御に興味があります。磁石の移動方法、レース前半で結果を予想させないための方法、抽選で決まった1着-2着の実現方法、3着以下の馬の順位制御等々、想像するのは楽しいですね。(もちろん当時の設計の方々の苦労は大変だったと思いますが)
それではまた。
EVRレースは設置されないメダルゲーム場は無いと言ってもいいのではないかと思うほど普及しましたが、ひょっとすると攻略が可能であったこともヒットの原因の一つだったかもしれませんね。
ワタシがダイエー碑文谷店のゲームコーナー(オペレーターはマル三商会だった)でアルバイトをしていた時も、EVRベースボールはよく故障していました。
EVRレースの記事拝見しました。
確かに当時はよく壊れるというか、流れと言われていた状態になり易く、頻繁に店員さんが対応されていたロケーションもありました。
流れとはレースが終わっても、そこで終わらずに次のレースにそのまま行ってしまう現象で、2レース〜テープの最後までその状態が続くというものです。
続いた場合は、その間は何も出来なくなるので、店員さんを呼びに行って対応してもらってました。
この現象はEVRベースボールでも同様に発生したのですが、こちらの場合は攻守の切り替え時に頻繁に発生し、その間にメダルを抜くことが出来たので、店員は呼ばないで、メダル抜いてました(笑)。
なので、ベースボールの方はランプ攻略が出回るまでは攻略法の1つでした。
そして、店員さんが対応した際にテープを切るケースもあり、周りにテープの切れ端が散乱しているロケーションもあったりしました。
そのせいで、正規のテープより短くなっていき、順番が変わるということが起こるため、テープ攻略知ってから初見の店でやる時は順番を再確認する必要がありました。
やましんさんのフォローのおかげで、ワタシのあやふやな記憶もかなりFIXされました。それにしても、ホッパーエンプティを自ら判断しない機械とは、今では考えられない仕様ですね。アナウンスについては、いいかげんなことを言ってしまいましたね。すみません。
ところで、休刊中の業界紙「ゲームマシン」のアーカイブが無料で公開されたのはご存知でしょうか。現時点では、74年創刊時から1980年までの同紙が公開されています。76年にはEVRレースは故障が多くて困るというオペレーターの声が紹介されています。よろしければご参照ください。
https://onitama.tv/gamemachine/archive.html
EVRレースの赤いランプと白いランプですが、管理人様が仰っている通り、払い出しの際に赤ランプ点滅、ベット時間に白ランプ点滅していました。
ちなみにホッパーメダル切れでもエラーにはならないので、ホッパーがカラカラいっているときにメダルを入れて少しして1枚払い出されたらメダル切れと判断して店員を呼んでました。
また白ランプは消えたらベットできないのですが、テープが止まって結果が既に決まっている状態でも白ランプは点滅し続け暫くベットが出来る仕様しかなかったのが、後期にはテープが止まると同時に白ランプが消える仕様のものも出回っていました。
これは、EVRデッキのランプの状態でテープがどれだけ進んだかがわかるので、テープの順番を覚えていると今の位置→前のレース結果から逆算して何になるかわかるという攻略に対する対策でした。
後、実況に関しては結構しっかりしていて、実況だけでも1着2着が何かわかるというなかなかしっかりした実況でした。
未だに当時ラジカセに録音したテープがあるのでたまに聞いて当時を懐かしんでいます。
さて、ご質問の件ですが、実はワタシは「EVRレース」は面白いと思えず、殆ど触れていなかったので、細かいところまではあまり覚えておりません。
各席に赤と白のランプが付いていたことは、言われて思い出しました。しかし、それがどう使われていたかまでは定かな記憶がありません。おぼろげな記憶では、白はベット受付中に、赤はゲームに勝った時に、それぞれ点灯していたような気もしますが、自信はありません。
音声については、走行音と、どんなシチュエーションでもマッチするテキトーなセリフを繰り返すアナウンサーの声があったような記憶があります。
あまり明解なお答えができず、すみません。
このサイトは懐かしいものばかりです。
確認したいのですが、EVRレースは、賭ける台の上に
赤いランプと白いランプはありましたでしょうか。
また、ビデオが流れているときに音声は馬の走る音と、解説者の声もありましたでしょうか。
グランプリフォー、ワタシが資料を見間違えておりました。おっしゃる通り、1978年辺りで良いようですね。失礼しました。
近々、グランプリフォーについて触れた記事をアップしようと思いますので、少しお時間をください。
グランプリフォーですが、年鑑を見る限り1979年のものに載っていますのでその頃で合っているようです。そこにはメダルとコインオペレートを切り替えられるという記述くらいしかありませんでした。自社ロケに小数置いた程度のマシンだったのかもしれないですね。
kt2さんもグランプリフォーの現物をご覧になったことはありませんでしたか。「SEGA RETR」というサイトによれば、1978年にアメリカのコインマシンのトレーディングショウであるAMOAに出展されたとあります(https://segaretro.org/Grand_Prix_Four)が、これはワタシは1987年の誤りではないかと思います。
「20世紀」という雑誌に寄稿されていたとはおみそれいたしました。調べてみたところ、紙ベースの雑誌は通常のルートでは入手不可になっているようですね。オンライン版もあるとのことですが、一部画像が欠けているとのことで悩ましいですが、近々入手してみてみたいと思います。情報をありがとうございました。
>ファンさん
ワタシもハーネスレースのPO率の低さに驚きました。まだできたばかりの市場で適正なPO率が掴めていなかったのか、それとも理論上のPO率に収束しにくい構造だったので低めに設定していたのか、理由はわかりませんが、今ではとても考えられない設定ですね。
また、小生が遊んでいたのはケンタッキーダービーではなくダークホースかもしれません。デパートにあったのですが、タイトーがテナントに入っていたようです。
そういえば当時このゲームで大学生と思われるおにいさんが、何やらレース結果をメモっていて、ある時連チャンで大量のメダルをゲットしていたのを見たことがあります。今思えば確率・統計の何かを見ていたのかなあと思います。ダークホースの記事を楽しみにしています。
kt2さん、こんばんは。
お返事くださりどうも有難うございます。一部分ヤフオクに出品されていたのですね。また、いろいろとご教授ください。
グランプリフォーはチラシでしか知らなくて、遊んだという人も出会った事がありません。アメリカのショーには出品されていたようですが販売には至らなかったようです。
といいますのも、私はちょっと縁があり20世紀という雑誌の第3号に競馬ゲームの記事を寄稿させて頂いた事があり、その時にレースゲームの資料を漁っていた時に目に付いたのが切っ掛けです。チラシは自分の持ち出しでしたが任天堂など掲載不可なメーカーやGマシンとしか思えないものもあって線引きでなかなか苦労しました。
> ファンさん
EVRレースはフランスの方から聞いただけでHPなどには載ってないですね。ただ去年頃にEVRレースのメインステーション部分がヤフオクに出ていたので、国内にその部分は残っているみたいです。
>ファンさん
ハーネスレースが発売された1970年代半ば頃は、ゲームセンターというものは東京でも盛り場にでも行かなければなかなかありませんでしたので、ファンさんは恵まれていたと言えるかもしれません。
多くの人は、過去に遊んだゲーム機のメーカーどころかタイトルすら意識していないものなのですが、ユニバーサルのケンタッキーダービーをご存知とは驚きました。同時期に、タイトーがこれと非常によく似た「ダークホース」という競馬ゲームを出しており、これらについては次回で触れる予定でおります。EVRレースもそうですが、なにしろ40年以上前の機械なのでメンテナンスしようにも部品もないので、現役稼働している機械は存在しないでしょう。あるとすれば、どこかの打ち捨てられたような倉庫で誇りをかぶったまま忘れられているか、kt2さんがおっしゃる個人所有(倉庫に退蔵されているものよりもさらに少ないと思いますが)くらいしかないと思います。
>kt2さん
初めまして。グランプリフォー、存じ上げております。1987年頃のセガの製品ですよね。フライヤーもありますので、なるべく早いうちにリクエストにお応えしたいとは思います。ただ、ワタシはこのマシンの現物を見たことがなく、フライヤーに書かれていること以外に語れることと言えば、もう30年以上前の事ですが、グランプリフォーは量産化されずお蔵入りになったはずだという話を業界関係者から聞いたことくらいのものです。もし差し支えなければ、kt2さんがこの機械をご覧になった時期や場所、その他覚えていらっしゃることなんでも、お聞かせ願えればありがたく存じます。お暇でしたら、ぜひお願い申し上げます。
ファンさん
EVRレースはフランスのコレクターが所有していると聞いたことがあります。
ところで、もうハーネスレースやユニバーサルのニューケンタッキーダービー、任天堂のEVRレース(ベースボールも含め)はこの世に存在しないのでしょうかnazox2016さま、他の読者の皆さまから情報はありませんでしょうか。今後も記事のアップロードを楽しみにしております。