【初めにお知らせ】概ね毎週日曜日の更新を目指して運営しております拙ブログですが、4/30(火)よりラスベガス巡礼に発ち、5/7(火)に帰国する予定でおりますので、来週5/5(日)の更新はお休みとさせていただきます。なにとぞご了承ください。
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sigmaの競馬ゲーム機「THE DERBY」シリーズは、拙ブログでもこれまでにも何度か触れてはいますが、それらはシリーズ中の個別の機種を部分的に取り上げただけでしたので、今回はシリーズ全体についてのメモを残しておこうと思います。
sigmaは、大型の競馬ゲーム機「THE DERBY」シリーズを、「VΦ」から「MARK-VI」まで、全8タイトルを開発しています。
第一号機である「THE DERBY Vφ」(「V0」と表記されることもある)のデビューは1975年7月で、もともと自社店舗に設置することを前提としていたので開発費に糸目を付けなかった結果5千万円にもなり(これが開発費なのか、それとも販売価格なのかは、なぜかワタシの中では判然としていません)、当時としてはあまりにも破格とされていました。洗練された未来的な筐体デザインから感じられる高級感は、当時の国産ゲーム機とは一線を画していました。ワタシは新宿の「ゲームファンタジア・リトルサーカス」(関連記事:新宿・ゲームファンタジア・リトルサーカス&ビンゴイン・サブナードの記憶)で何度かプレイしています。
THE DERBY φ
第二号機の「THE DERBY MARK II」のデビューは1976年8月で、前作から僅か1年後のことでした。筐体のシルエットはVφに似ますが、色調が赤と黒に変わり、また最大20席まで増設可能な処理能力を持つなど内部的には大きな変化があったそうです。ワタシはこの機種を、新宿のゲームファンタジア・ミラノでしか見たことがありません。ベットしたメダル数の表示を、4個のランプによる2進表示としていた(つまり、最大15ベットまで表示可能)ため、当時ボンクラだったワタシにはすぐには理解できませんでした。こんな表示を行っていたゲーム機は、私の知る限り、後にも先にもこれだけです。
THE DERBY MARK II。
第三号機「THE DERBY MARK III」のデビューは1981年12月です。前二機種よりもずっとコンパクトなセンターピース構造で、ゲーム内容も5頭立て連複のみとシンプルになり、一般にも販売され、大変広く普及しました。1000万円とも1500万円とも聞く販売価格は依然として破格ではありましたが、購入者にはメダルゲーム運営のノウハウまで提供するというサービスを行って、日本全国のメダルゲーム場に設置されました。
THE DERBY MARK III。
後に、MARK IIIをカジノ仕様に造り替えた「MARK III C7」を開発し、1985年8月には米国ネバダ州のライセンスを得て、ラスベガスのカジノの至る所に導入され、現在もダウンタウンのカジノホテル「The D」で絶賛稼働中です。
THE DERBY MARK IIIのカジノ仕様「C7」筐体。当初の国内版よりもずっと派手になったマーキーは、その後の国内版にも採用された。
第四号機の「MARK IV」のデビューは1984年4月です。再び大型化したためか、先代マークIIIのように広く普及はしませんでしたが、sigmaのロケで見かける機会はマークΦやIIよりは多かったように思います。ただ、8頭立てという多頭数とした結果、賭けの選択肢が多すぎて、与えられるベット時間では検討が間に合わないという事もしばしばあり、ワタシはやり過ぎだと思ったものですが、一般では結構受け入れられているようでした。9レースで1サイクルとなっており、最終第9レースは、第1~第8レースの1着の馬が出走するというシステムで、レースのベット受付中はレーストラックのフィールドから鼓笛隊の人形が現れて演奏するという演出がありました。しかし、故障が多かったらしく、いつの間にかどこの店でもこの演出は見られなくなってしまいました。
THE DERBY MARK IV。
第五号機は1989年12月に発売されましたが、それまでの慣例から外れて、「THE DERBY SX-1」と命名されました。これはおそらく、ザ・ダービー史上初めて直線コースにしたため、敢えてそれまでの例から外したネーミングにしたのではないかと想像しています。
THE DERBY SX-1。
SX-1では、馬が通るスリットとスリットの間の地面は三角柱の一面が見えている構造になっており、レースによってはこの三角柱を回転させて別の面を上にすることで、芝コース(緑)とダートコース(茶色)という区別を付けていました。ただし、単に見かけが変わるというだけのことで、レースの内容に影響するというものではなかったと思います。
はっきりとは覚えていないのですが、三角柱の残るもう一つの1面は「障害レース」用だったように思います。障害を通過する際には、馬の人形は持ち上がって高い軌道を進むようになっていました。障害を飛越する途中で馬が止まってしまうことがたまにありましたが、これは「落馬」という概念だったのだそうです。色々とチャレンジングな機械で、一般にも販売されたはずでしたが、それほど普及はしなかったようです。
第六号機の「CRYSTAL DERBY」は、1992年11月の発売です。ワタシが初めてこれを見たのは同年秋に開催されたJAMMAショウでしたが、ベースはMARK IIIと同じで、筐体のデザインをやたらと豪華と言うか未来的にしただけのように見受けられ、メダルゲーム界の盟主であったsigmaがいよいよマンネリに苦しみながらも次の一手が見いだせず悪戦苦闘しているのではないかという懸念を抱きました。MARK IIIが依然として好評稼働中だったこともあってか、この機種もあまり普及しなかったように記憶しています。
CRYSTAL DERBY。
第七号機となったのは、「THE DERBY MARK V」です。発売は1993年11月で、間にSX-1とCRYSTAL DERBYを挟んではいるものの、MARK-IVから9年半も後のことになります。先月訪れた大阪西成の「TVランド・ポパイ」で現在も稼働中(関連記事:大阪レゲエ紀行(4) DAY 1・午後その3:ポパイ(西成)とTHE DERBY Mk-Vなど」ですが、この機械も数台程度しか生産されていないと思います。レーストラックが筐体に対して斜めに配置されているのが特徴です。
画像:THE DERBY MARK V。
THE DERBYシリーズ最後の第八号機となったのは、「THE DERBY MARK VI」で、1995年に発売されました。メカの競馬ゲームでは、セガが1988年に「WORLD DERBY」を出して以降、「ROYAL ASCOT」など「フリートラック」が当たり前になってきており、sigmaとしても従来通りのセパレートコースのゲームでは追い付けないと踏んだのか、MARK VIではシリーズ初めてフリートラックを搭載してきました。
THE DERBY MARK VI。シリーズ初めてフリートラックを搭載。
しかし、「フリートラック」とは言ってもあくまでも「疑似」でした。セガの競馬ゲームは、コースの下で、馬ごとに単独で走行するキャリアを操作していたので、互いにコースを左右に移動させながら差したり差されたりする、いわゆる「クリスクロス」が可能でしたが、MARK VIは各馬をひもで引っ張っていたので、アウトコースからスタートする馬が、よりインコースからスタートする馬をインコースから差す、という走行はできなかったように記憶しています。この辺、ワタシも記憶が曖昧なので、詳細をご存知の方はご教示いただければありがたく存じます。
sigmaは2000年にアルゼに吸収合併され、以降メカの競馬ゲームを開発することはありませんでした。現在残っている機種は貴重なので、見かけたらお布施をするよう心掛けています。
なお、ラスベガスでは現在唯一、ダウンタウンのカジノホテル「THE D」で大絶賛稼働中です(関連記事:ラスベガス半生中継・2018年10月 (7) DAY 7~帰国まで)。34年前に始まったカジノ向けのTEH DERBY MARKIII C7について、そう言えばsigmaの故真鍋氏は、「MARK IIIは頑丈に作りすぎて今でもちゃんと稼働している(ため、次の機種がなかなか売れない)」と何かのインタビューでお答えしていたことがありました。しかし、これこそがかつての日本製品が持っていた美徳だったのではないかと思います。ゲーム業界から「sigma」のブランドが消えてしまったのは、全く痛恨の極みです。