オールドゲーマーの、アーケードゲームとその周辺の記憶

コインマシンやギャンブルゲームやカジノの歴史的エピソードとか、時々カジノ旅行記とか、たまにスポーツやマンガとか。

大阪レゲエ紀行(6) DAY 2・その1:tさんとGマシンなどの話で盛り上がるの巻

2019年04月13日 16時14分39秒 | ロケーション
【DAY2の予定】
・12時にホテルをチェックアウト。
・午後、拙ブログをご高覧くださっているtさんとお会いする。
・大阪駅前第2ビルのゲーセン「ZERO」を見る。
・新大阪駅で蓬莱551の豚まんを買って東京に戻る。


【ハートンホテル心斎橋~シルバーボールプラネット】
10時半にセットしておいたアラームで目覚めた。それよりも早く自然に目が覚めるだろうと思っていたのだが、やはり相当の寝不足だったらしい。昨夜は帰るなりあっさり寝てしまったので、シャワーを使い、12時ちょうどにホテルをチェックアウトしてシルバーボールプラネットへ向かう。弱い雨が降っていたが、すぐ近くでもあるので傘は買わなかった。

今日はこれから、かねてより拙ブログをご高覧くださり、しばしばコメントもいただくtさんという方とお会いすることになっている。tさんは大阪を地元とする、古いゲームがお好きな方だ。予定時刻の12時半にはまだ少し時間があったので、昨日写真を撮り損ねていた機種の写真を撮り(それでもまだ撮り逃しがあったことにあとで気づく)、「Rolling Stones (Bally, 1980)」を遊んだりしているうちにtさんからケータイに電話が入り、無事に落ち合うことができた。


tさんが到着していた時に遊んでいた「Rolling Stones (Bally, 1980)」。この機種の存在はリアルタイムで知ってはいたが、当時はローリング・ストーンズというロックバンドに興味が無かったので眼中に入らず、今日まで一度たりとも遊んだことがなかった。今見ると、80年代半ば以前の機種の特徴である、ランプレーンやマルチレベルなどでゴテゴテしていないところが好もしい。

少し遅めだが昼時でもあったので、tさんと近くのファミレスに入って、軽く食事をとりながらいろいろとお話を伺った。tomさんはIT技術系のお仕事をしており、電子工作系の趣味もされているとのことで、ゲームの技術的な方面にも明るい方だったが、それ以上に、1970年代の日本のアングラ市場で稼働していたGマシンについても詳しいことに驚かされた。

「ウィンターブック(WINTER BOOK)」という、米国H. C. Evans & Co. 社製の競馬をテーマとする電光ルーレット機(関連記事:初期の国産メダルゲーム機(4) 競馬ゲームその2・1975年の競馬ゲーム)が日本のアングラ市場に出回っていたのは1960年代のことらしい。ワタシも1970年前後に長野県のリゾート地のレストランでこれを見ている(関連記事:セガのスロットマシンに関する思いつき話)。


sigmaの創業者である故真鍋勝紀氏がコレクションしていた米国H. C. Evans & Co. 社製のギャンブル機「ウィンターブック」のバージョン違い「BANG TAILS」。真鍋氏はこれを「最高傑作」とべた褒めしており、開業間もないころの「ゲームファンタジア」に何台も設置していた。この写真の個体はそのうちの1台と思われる。

「ウィンターブック」は1940年代から50年代にかけて製造されていたが、日本国内では1970年代に入ってもその類似機種が多く作られており、それらは一般に「ダービー」などと呼ばれて、警察白書にも押収した賭博機としてその名が出てくる(関連記事:「ロタミント」の記憶)。例えばユニバーサルは1975年に「ニューウィンターブック」というリメイク版を発売している(関連記事:初期の国産メダルゲーム機(6) ユニバーサル その2a)し、また、小型化したり、単勝式しかなかった本家を連複式に翻案した機種が、70年代の特に半ばくらいまでに、かなりの数がつくられている。それらは通常のゲームセンターに設置されるケースもたしかにあったが、それ以上に飲食店ロケなどでの違法な賭博営業で稼働していたようだ。



ユニバーサルがリメイクした「ニューウィンターブック(1975)」の広告と盤面の拡大図。「知る人ぞ知る価値」のコピーが何を意味するかは見る者の想像に任されている。


一般に「ダービー」と呼ばれた電光ルーレット機は山ほどあるが、きりがないので一つだけ、業界誌「アミューズメント産業」74年9月号に掲載された「大阪マシン」社の広告。「ハスラー」は、1970年代前半に流行ったドイツ製ギャンブル機「ロタミント」を意識した作りと思われ、ネットオークションではこの種の「ダービー」機が「ロタミント」と称して出品されているところを見かけることがある。


アミューズメント産業1974年9月号に掲載された「ダービー」の類の広告。このような電光ルーレット機のメーカーはいくつもあるが、「関西企業」、「高砂電器」、「大阪パブコ」、「KKバリー」、「Wipe(旧・本木)」など、大阪や兵庫といった関西圏に拠点を置いているケースが非常に多い。また、それらの中にはのちにパチスロメーカーに進展していったところもある。

などと知ったようなことを語るワタシは、実はこの時代のGマシンについてそれほど多くを知っているわけではない。また、「ダービー」は、ほとんどのオールドゲームファンの興味の対象からは外れているジャンルのようで、このテーマで話ができる人と出会った経験はこれまでなかった(と言うか、そもそも話題に上らない)のだが、tさんは良くご存知だった。もしかしたら、この種のゲーム機が関西に多かったということなのかもしれないが、何にしろ、この分野でのお話をいろいろと伺えたのは大変にうれしいことだった。

楽しい話は尽きなかったが、これから大阪駅前第2ビルのゲーセン「ZERO」に行かなければならず、そして6時には新大阪駅に着いておきたかったので、3時ころにファミレスを出た。tさんは、「土地勘のない人には少し行きにくいかも」と言って、わざわざ大阪駅まで同行して案内してくださった。この地下街は「日本最大級の地下迷宮」とまで言われているらしく、確かに一人だったら迷いそうな道筋だった。時間も限られている中、さして迷うこともなくZEROに無事にたどり着くことができたのは、tさんのご親切のおかげだ。tさん、その節はどうもありがとうございました。もしこちらにいらっしゃることがあればぜひお知らせください。大阪ほどオールドゲームのポイントは多くありませんが、いくらかご案内させていただきます。

(次回大阪レゲエ紀行(7) DAY 2・その2(最終回)につづく)