58 たれしかもとめて折りつる 春霞立ち隠すらん山のさくらを
折れる桜をよめる
つらゆき
(ここにかざってある)桜、誰が探し、折り、持ってきたのでしょうか。霞がかかった、あの山のものにちがいないのですが。
この歌は、「とめる=尋(ト)める=探す」であることに気づけば、解釈が容易となる。
今目の前にある山桜の切り枝について、その背後に、かかわったであろう多くの人々の労苦に思いを寄せた歌なのでしょうか?
紀貫之さんの、人となりを想像させる歌、のような気がします。
桜に限らず、花の鑑賞は、自然のままがいいのか、切り花がいいのか?
折れる桜をよめる
つらゆき
(ここにかざってある)桜、誰が探し、折り、持ってきたのでしょうか。霞がかかった、あの山のものにちがいないのですが。
この歌は、「とめる=尋(ト)める=探す」であることに気づけば、解釈が容易となる。
今目の前にある山桜の切り枝について、その背後に、かかわったであろう多くの人々の労苦に思いを寄せた歌なのでしょうか?
紀貫之さんの、人となりを想像させる歌、のような気がします。
桜に限らず、花の鑑賞は、自然のままがいいのか、切り花がいいのか?