水車ボランティア(+山家鳥虫歌)

ボランティア解説員としての見聞から始めた、ボケ防止メモ。12年目。新たに「山家鳥虫歌(近世諸国民謡集)」を加える。
 

古今集(31)

2014-11-14 09:48:30 | 古今和歌集
165 蓮葉(ハチスバ)の にごりにしまぬ心もて なにかは露をたまとあざむく
はちすの露を見てよめる
僧正遍昭

蓮の葉にたまる露のように、心をいつもきれいにしていたいものです。どうして、露を玉だ、とごまかそうとする人がいるのでしょうか。

僧正遍昭:816~890、俗名;良岑宗貞、号;花山僧正、桓武天皇の孫、850に出家、古今集に16首採録。
古今集の序に、「近きよにその名きこえたる人」として、挙げられた6人のひとり。
が、その評価は決して、いいとはいえない。曰く、
「歌のさまは得たれども誠すくなし。たとへば、絵にかける女を見て、いたづらに心を動かすがごとし」


この評価は、納得できません。例えば、出家する前によんだ、百人一首にも入っている歌があります。

872 天つ風、雲のかよひぢふきとじよ をとめの姿しばしとどめん
五節のまひひめを見てよめる
よしみねのむねさだ

舞姫を天女にみたて、天上に帰るのをおくらせるために、帰り道を雲でとじてしまえ、と歌う世界は、とてもきれいだと思います。
これを「誠すくなし」と切り捨てるように言いきっていいものでしょうか?


この人の歌を、つらつらながめていたら、興味深い、歌のつながりをみつけました。

226 名にめでて折れるばかりぞ 女郎花(オミナエシ) 我おちにきと人にかたるな
題しらず
僧正遍昭

227 をみなえしうしと見つつぞ行きすぐる 男山にしたてりと思えば
僧正遍昭がもとに、奈良へまかりける時に、男山にてをみなえしをみてよめる
ふるのいまみち

名前が気に入って折り取っちゃっただけですから、どうか、(私のことを、きれいな花を無粋に折るような)堕落した人間、といいふらさないでください。

道端に咲いているおみなえしを、「変な花」と思いながら通りすぎます。ここはなにせ、「男山」ですから。


227は、たぶん 226を知って、作られた歌でしょう。
作者の真意は、なんであったのでしょうか?ほんの座興でしょうか、いやみ、でしょうか、それとも深い意味があるのでしょうか。

そしてまた、選者が、なぜこのふたつをならべたのでしょうか?


興味尽きません。



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