
↑ ライオンの穴の中のダニエル(部分) リュベンス ワシントン、ナショナル・ギャラリー
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日本キリスト教 富谷教会 週報
聖霊降臨節第十二主日 2014年8月24日(日) 5時~5時50分
礼 拝
前 奏 奏楽 辺見トモ子姉
讃美歌(21) 528(あなたの道を)
交読詩編 51(神よ、わたしを憐れんでください)
主の祈り 93-5、A
使徒信条 93-4、A
聖 書 ダニエル書3章16~30節
説 教 「たとい『そうでなくとも』という信仰」~殉教も恐れなかったダニエルたち~
辺見宗邦牧師
賛美歌(21)535(正義の主イエスに)
献 金
感謝祈祷
頌 栄(21) 24(たたえよ、主の民)
祝 祷
後 奏
次週礼拝 8月31日(日)夕礼拝 午後5時~5時50分
説教題 「ニネベの人々の滅びをのぞむヨナと主なる神の思い」
聖 書 ヨナ書4章1~11節
交読詩篇 130 讃美歌(21)旧258 566 24
本日の聖書
16シャドラク、メシャク、アベド・ネゴはネブカドネツァル王に答えた。/「このお定めにつきまして、お答えする必要はございません。 17わたしたちのお仕えする神は、その燃え盛る炉や王様の手からわたしたちを救うことができますし、必ず救ってくださいます。18そうでなくとも、御承知ください。わたしたちは王様の神々に仕えることも、お建てになった金の像を拝むことも、決していたしません。」
19ネブカドネツァル王はシャドラク、メシャク、アベド・ネゴに対して血相を変えて怒り、炉をいつもの七倍も熱く燃やすように命じた。 20そして兵士の中でも特に強い者に命じて、シャドラク、メシャク、アベド・ネゴを縛り上げ、燃え盛る炉に投げ込ませた。 21彼らは上着、下着、帽子、その他の衣服を着けたまま縛られ、燃え盛る炉に投げ込まれた。 22王の命令は厳しく、炉は激しく燃え上がっていたので、噴き出る炎はシャドラク、メシャク、アベド・ネゴを引いて行った男たちをさえ焼き殺した。23シャドラク、メシャク、アベド・ネゴの三人は縛られたまま燃え盛る炉の中に落ち込んで行った。
24間もなく王は驚きの色を見せ、急に立ち上がり、側近たちに尋ねた。/「あの三人の男は、縛ったまま炉に投げ込んだはずではなかったか。」/彼らは答えた。「王様、そのとおりでございます。」
25王は言った。/「だが、わたしには四人の者が火の中を自由に歩いているのが見える。そして何の害も受けていない。それに四人目の者は神の子のような姿をしている。」
26ネブカドネツァル王は燃え盛る炉の口に近づいて呼びかけた。/「シャドラク、メシャク、アベド・ネゴ、いと高き神に仕える人々よ、出て来なさい。」すると、シャドラク、メシャク、アベド・ネゴは炉の中から出て来た。 27総督、執政官、地方長官、王の側近たちは集まって三人を調べたが、火はその体を損なわず、髪の毛も焦げてはおらず、上着も元のままで火のにおいすらなかった。 28ネブカドネツァル王は言った。/「シャドラク、メシャク、アベド・ネゴの神をたたえよ。彼らは王の命令に背き、体を犠牲にしても自分の神に依り頼み、自分の神以外にはいかなる神にも仕えず、拝もうともしなかったので、この僕たちを、神は御使いを送って救われた。29わたしは命令する。いかなる国、民族、言語に属する者も、シャドラク、メシャク、アベド・ネゴの神をののしる者があれば、その体は八つ裂きにされ、その家は破壊される。まことに人間をこのように救うことのできる神はほかにはない。」30こうして王は、シャドラク、メシャク、アベド・ネゴをバビロン州で高い位につけた。
本日の説教
今日の聖書の個所に入る前に、イスラエルの歴史とその背景についてお話しいたします。イスラエル民族の始祖アブラハムは、神に示されたカナンの地に移住しました。後に、パレスチナと呼ばれるようになるカナンは旧約聖書の舞台となりました。
アブラハムの孫ヤコブの時代に、一族はカナンで起きた飢饉から逃れてエジプトに移住しました。エジプトで420年も過ごすうちに、エジプト王によって強制労働を強いられ、奴隷状態になりました。紀元前1230年頃に、指導者モーセに率いられてエジプトを脱出し、40年間も荒野の旅を続けました。後継者ヨシュアに率いられてカナンの地に入り、ヤコブの子孫の12部族はカナンの土地を分割して定住しました。
統一王国を築いたサウロ王の後、ダビデが王となり、紀元前992年にエルサレムを首都としました。ダビデの後を継いだソロモン王が没した後、イスラエル統一王国は分裂し、北イスラエル王国と南ユダ王国の二つの王国として共存しました。
新アッシリア帝国(前934~609年)が抬頭(たいとう)し、紀元前722年に北イスラエル王国は攻撃され滅亡しました。
新たに抬頭した新バビロン帝国(前626~539年)は、アッシリアを滅ぼし、南ユダ王国もその支配下におきました。バビロン帝国によって、紀元前597年にエルサレムが攻撃され、陥落しました。多くの主だったユダの民は三度にわたって捕囚地バビロンに連行されました。これ以後イスラエルの民はユダヤ人、ユダの民と呼ばれるようになります。
次にぺルシヤ帝国(前559~332年頃)が抬頭し、キュロス王は紀元前539年にバビロンを征服し、捕囚のユダヤ人を解放し、ユダの地への帰還を許しました。バビロン捕囚期間は48年~58年でした。
ギリシアの北部にあるマケドニアのアレキサンドロス大王の東方遠征により、紀元前332年にぺルシヤ帝国は滅ぼされ、パレスチナ(ぺリシテ人の住む地の意)はマケドニア帝国(前332~148年)に支配され、ヘレニズム時代(ギリシア風の文化)(前334~30年)を迎えました。
アレキサンドロスの死後、四人の将軍に領地は分割され、ユダヤは、最初はエジプトのアレキサンドリアで王位についたプトレマイオス一世(王朝は前323~30年)に支配されました。紀元前198年には、シリアのアンテオキアで王位についたセレウコス一世(王朝は前312~前63年)の支配下になりました。
紀元前167年、セレウコス王朝のアンティオコス四世による、ユダヤ教徒に対する大迫害が起こりました。エルサレム神殿にゼウス像が祭られ、ユダヤ人が守っていた安息日、食事規定、割礼の遵守は禁止になりました。この迫害に対してマカバイ家の反乱が始まりました。これがマカバイ戦争(紀元前167~164年)です。反乱を率いたのはユダ・マカバイでした。この戦争の終わり頃、激しい迫害の下に書かれたのがダニエル書です。
紀元前143年に、ユダヤは政治的独立を勝ち取り、ユダヤ人によるハスモン王朝(前167~37年)が続きました。ハスモンとは、迫害に抵抗したマカバイ一族の先祖の名です。
ユダの民はおよそ400年の間に、4度も大帝国(アッシリア、バビロニア、ペルシア、マケドニア)に支配されましたが、厳しい圧政の下で、主なる神(ヤハウェ)への信仰を貫き通しました。ユダヤ人は、「ヘブライズム(ユダヤ風の文化)」を維持し、「ヘレニズム」と共に欧州文化の二大源流の一つとなったのです。
ダニエル書は旧約聖書の中で成立年代が最も遅い書です。激しい迫害の下に書かれたことが黙示文学の表現形式を取らせたと考えられています。書いた著者は、異教的帝国の支配下で、ユダヤ教の信仰を守り抜こうとした敬虔な人々からなる集団でした。ダニエル書は将来についての預言を記した預言書と見做されて、旧約聖書のエゼキエル書の後に置かれています。ダニエルは伝説的人物で、エゼキエル書の中で最高の義人として、ノアとヨブに並んでその名が挙げられています(エゼキエ14:14,20、28:3)。ダニエル書はこの伝説的人物のダニエルを主人公としています。
前半(1~6章)では、3人の友人と共に、バビロン王ネブカドネツァルの時代からペルシア王キュロスの治世にいたるまで帝国の宮廷で活動した敬虔なユダヤ人として登場しています。 後半(7~12章)では、ベルシャツァル(バビロン王)、ダレィ(ペルシア王)、キュロス(ぺルシア王)の治世に、ダニエルが見た四つの幻を記しています。この中でユダヤの歴史と世界の終末及び救済が語られます。
ダニエル書は、異教の為政者による弾圧の中で、殉教の精神をもって戦うべきことを教え、ヤハウェ(主なる神)の信仰の勝利を物語にたくして教えようとしたものです。
「ユダの王ヨヤキムが即位して三年目のことであった。バビロンの王ネブカドネツァルが攻めて来て、エルサレムを包囲した。主は、ユダの王ヨヤキムと、エルサレム神殿の祭具の一部を彼の手中に落とされた。ネブカドネツァルはそれらをシンアルに引いて行き、祭具類は自分の神々の宝物倉に納めた。」(ダニエル書1章1~2節)
ダニエル書のこの書き出しは歴代誌下36章5~7節の記述によっています。しかし、列王記下24章1~6節によれば、ヨヤキムは11年間エルサレムで王位にあり、「先祖と共に眠りにつき、その子ヨヤキンが代わって王となった」とあります。この列王記下の記述が正しいようです。第一回のバビン捕囚はヨヤキムが死んで、それに代わったヨヤキンの治世の始めに起こりました(王下24:8~17)。紀元前597年のことです。
バビロンの王ネブカドネツァル(在位前605-562)がエルサレムを包囲し、ヨヤキン王と主だった民を連れ去った第一回の捕囚では、捕囚民の数は、歴王記下24章16節によれば、「18歳のヨヤキン王と軍人7千人、職人と鍛冶千人」とあり、少なくとも8千人以上になります。しかし、エレミヤ書の記述では、この時の捕囚民は3023人(エレミヤ書52:28)と記しています。より正確な人数と思われます。指導者階層をバビロンに連行したのは、ユダ王国から抵抗力を奪い取リ、反乱をなくすためでした。
エルサレムからバビロンに連行されるユダの捕囚民
捕囚の民は、強制労働にも駆り出されたが、比較的自由でした。彼らは自分たちの住む集落をもっており(エゼキエル3:15)、家を建て、庭園を作り、収穫物は自由にでき、結婚もできました(エレミヤ29:5,6)。しかし彼らにとって、バビロンの地は異質な国であり、汚れた国(エゼキエル4:13)でした。エルサレム神殿での祭儀行為が出来なくなった今、安息日と割礼とが彼らの連帯のしるし、神との契約のしるしとして重要になりました。
ダニエル書1章3節以下によると、ネブカドネツァル王はユダヤ人の王族や貴族の中から、才能と知識と理解力に富んだ少年を集めて教育し、4人の少年を自分に仕えさせました。この少年たちの中にダニエルがいました。これらの少年たちはみな特別に有能だったので、すぐにバビロンの宮廷で認められる存在になりました。
2章には、誰にも解くことができなかったネブカドネツァルの夢をダニエルが解いたので、王はダニエルを高い位につけたことが記されています。
3章には、ネブカドネツァル王は金の像を造り、皆にその像を拝むように命じたことが記されています。王国の者は誰でも像を拝まなくてはならず、もし従わなければ、燃え盛る炉の中に投げ込む、という伝令が出されました。諸国、諸族、諸言語の人々は皆ひれ伏し、金の像を拝みました。金の像は、<高さは60アンマ>でした。1アンマは約45センチです。その像は27メートルもの巨大なものでした。
しかしダニエルの友人たち、シャドラク、メシャク、アベド・ネゴの三人の青年は、この像を拝まないという告げ口が王に伝えられ、三人は王の前に連れて来られました。王は激怒して、彼らにこう言いました。
「今、角笛、横笛、六絃琴、竪琴、十三絃琴、風琴などあらゆる楽器の音楽が聞こえると同時にひれ伏し、わたしの建てた金の像を拝むつもりでいるなら、それでよい。もしも拝まないなら、直ちに燃え盛る炉に投げ込ませる。お前たちをわたしの手から救い出す神があろうか。」(ダニエル書3:15)
三人は答えました。「このお定めにつきまして、お答えする必要はございません。わたしたちのお仕えする神は、その燃え盛る炉や王様の手からわたしたちを救うことができますし、必ず救ってくださいます。 そうでなくとも、御承知ください。わたしたちは王様の神々に仕えることも、お建てになった金の像を拝むことも、決していたしません。」
「そうでなくとも」とは、神が救ってくださらなくとも、偶像は決して拝まないということです。この言葉に殉教の覚悟が表されています。彼らの返答に、王はますます怒り、炉をいつもより熱く燃やすように命じました。三人は衣服を付けたまま縛られ、燃え盛る炉へ投げ込まれました。炉から噴き出る炎は三人を引いていった男たちをさえ焼き殺しました。しかし、予期しなかったことが王と側近たちを驚かせました。
王は言いました。「わたしには四人の者が火の中を自由に歩いているのが見える。そして何の害も受けていない。それに四人目の者は神の子のような姿をしている。」 王は炉に近づいて呼びかけました。「シャドラク、メシャク、アベド・ネゴ、いと高き神に仕える人々よ、出てきなさい。」
炉から出てきた三人に、王は言いました。「シャドラク、メシャク、アベド・ネゴの神をたたえよ。彼らは王の命令に背き、体を犠牲にしても自分の神に依り頼み、自分の神以外にはいかなる神にも仕えず、拝もうともしなかったので、この僕たちを、神は御使いを送って救われた。わたしは命令する。いかなる国、民族、言語に属する者も、シャドラク、メシャク、アベド・ネゴの神をののしる者があれば、その体は八つ裂きにされ、その家は破壊される。まことに人間をこのように救うことのできる神はほかにはない。」 王は、シャドラク、メシャク、アベド・ネゴをバビロン州で高い位につけました。
6章には、ダニエルがダレイオス王の定めた、「三十日間王様を差し置いて他の人間や神に願い事をしてはいけない」という勅令を無視し、エルサレムに向かって日に三度の祈りと賛美を神に捧げたことで、獅子の洞窟に投げ込まれことが記されています。ダニエルは天使に守られて無事でした。
これらの物語は、偶像礼拝を拒否して、殉教していったマカバイ戦争時代の人々を励まし、また復活の希望を与えるために書かれたものです。復活の信仰については、「多くの者が地の塵の中の眠りから目覚める。ある者は永遠の生命に入り、ある者は永久に続く恥と憎悪の的となる。(12章2,3節)」と記されています。
たとい「そうでなくとも」という信仰は、たとい神が全能をもって危機から救ってくれなくても、神を信じるということです。命を失っても神のみこころに従うということです。
江戸時代の寛永年間に、東北地方には、2、3万人のキリシタン信徒と巡回する神父たちがいました。そのうち、990人が殉教しました。【秋田(久保田)140、青森(弘前)88、宮城(仙台、白石)370、岩手(南部)146、山形(米沢、庄内、山形、新庄)159、福島(白河、会津、二本松)87】(日本史小百科キリシタンH.チ―クリス監修、太田淑子編p.105) この人たちは、死にいたるまで父なる神と御子キリストに従順でした。この人たちに対する迫害も剣も死も、キリストと、父なる神の愛からこの人たちを引き離すことはできませんでした。この人たちは、キリストに結ばれて輝かしい勝利を収めたのです。
ナチスの迫害下で処刑されたD.ボンヘッファーの祈りが残されています。「生きようと死のうと、私はあなたと共にあります。そして汝、わが神は、私と共にあります。主よ、私はあなたの救いを待ち望みます。そしてあなたの御国を待ち望みます」。神と共にあることこそが、わたしたちにとって、最高の幸せなのではないでしょうか。
初めまして、お邪魔します。
聖書は文字だけ見ても、全て解ることができません。
聖書の1節を聖書でもって解釈すれば、聖書の文字の中に隠された本当の意味が見えてきます。
<御国の奥義> <セウォル号の難破原因> <聖書を見る方法>など
申玉珠牧師による命の御言葉を是非聞いてください。
すべての問題と解答は聖書の中にあります。
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