富谷教会ホームページ・礼拝説教

富谷教会は宗教法人の教会です。教会は礼拝室と二つの茶室からなる和風の教会です。ゴルフ場に接する自然豊かな環境にあります。

「ニネベを憐れむ神から逃亡した預言者」 ヨナ書1-11節

2014-08-30 23:29:17 | 礼拝説教

〒981-3302宮城県黒川郡富谷町三ノ関字坂ノ下120番地12 TEL:022-358-1380 FAX:022-358-1403

          日本キリスト教 富谷教会 週報

聖霊降臨節第十三主日   2014年8月31日(日)     5時~5時50分 

礼   拝    

前 奏           奏楽 辺見トモ子姉

讃美歌(旧) 358(こころみの世にあれど)  

交読詩編   69(神よ、わたしを救ってください) 

主の祈り   93-5、A

使徒信条   93-4、A

聖 書   ヨナ書4章1~11節

説 教 「神の愛を理解できない預言者ヨナ 

辺見宗邦牧師

賛美歌(21)494(ガリラヤの風)

献 金

感謝祈祷          

頌 栄(21)    24(たたえよ、主の民)

祝 祷

後 奏

               次週礼拝 9月7日(日)夕礼拝 午後5時~5時50分

               説教題  「ヨブの叫びに答えられた神」

               聖 書   ヨブ記42章1~6節

               交読詩篇 40  讃美歌(21)219 364  24

   本日の聖書

  1ヨナにとって、このことは大いに不満であり、彼は怒った。 2彼は、主に訴えた。「ああ、主よ、わたしがまだ国にいましたとき、言ったとおりではありませんか。だから、わたしは先にタルシシュに向かって逃げたのです。わたしには、こうなることが分かっていました。あなたは、恵みと憐れみの神であり、忍耐深く、慈しみに富み、災いをくだそうとしても思い直される方です。 3主よどうか今、わたしの命を取ってください。生きているよりも死ぬ方がましです。」 4主は言われた。「お前は怒るが、それは正しいことか。」 5そこで、ヨナは都を出て東の方に座り込んだ。そして、そこに小屋を建て、日射しを避けてその中に座り、都に何が起こるかを見届けようとした。 6すると、主なる神は彼の苦痛を救うため、とうごまの木に命じて芽を出させられた。とうごまの木は伸びてヨナよりも丈が高くなり、頭の上に陰をつくったので、ヨナの不満は消え、このとうごまの木を大いに喜んだ。 7ところが翌日の明け方、神は虫に命じて木に登らせ、とうごまの木を食い荒らさせられたので木は枯れてしまった。

  8日が昇ると、神は今度は焼けつくような東風に吹きつけるよう命じられた。太陽もヨナの頭上に照りつけたので、ヨナはぐったりとなり、死ぬことを願って言った。「生きているよりも、死ぬ方がましです。」 9神はヨナに言われた。「お前はとうごまの木のことで怒るが、それは正しいことか。」彼は言った。「もちろんです。怒りのあまり死にたいくらいです。」 10すると、主はこう言われた。「お前は、自分で労することも育てることもなく、一夜にして生じ、一夜にして滅びたこのとうごまの木さえ惜しんでいる。 11それならば、どうしてわたしが、この大いなる都ニネベを惜しまずにいられるだろうか。そこには、十二万人以上の右も左もわきまえぬ人間と、無数の家畜がいるのだから。」

           本日の説教

  ヨナ書は、旧約聖書のホセア書から始まる十二預言書の5番目に配置されていますが、預言を集めた預言書ではなく、ヨナという預言者を主人公とした創作物語です。偏狭なユダヤ民族主義を風刺して、異邦人にも神の愛が及ぶことを説いた作品です。成立年代は捕囚期後と見做されています。

  預言者ヨナは実在した人物で、「ガト・ヘフェル出身の預言者、アミタイの子ヨナ」と列王記下14:25に記されています。「ガト・ヘフェル」は、ガリラヤ湖の西20キロ位のところにある町です。ナザレとカナの間にヨナの墓が古跡としてあるとのことです。ヨナは、ヤロブアム二世(B.C.786~746年)の時代の預言者です。北イスラエル王国の繁栄を預言した国粋的な預言者として知られている、この預言者ヨナを、ヨナ書の作者が物語の主人公に用いたのです。実在した預言者ヨナとヨナ書のヨナとは、とくに関係はありませんが、時代的にはアッシリアの繁栄した時代なので一致しています。

 主の言葉がアミタイの子ヨナに臨んだ。『さあ、大いなる都ニネベに行ってこれに呼びかけよ。彼らの悪はわたしの前に届いている。』しかしヨナは主から逃れようとして出発し、タルシシュに向かった。ヤッファに下ると、折よくタルシシュ行きの船が見つかったので、船賃を払って乗り込み、人々に紛れ込んで主から逃れようと、タルシシュに向かった。(ヨナ書1章1~3節)

  ヨナは都ニネベに行って宣教するように、神から命じられました。遠いアッシリアの都ニネベに行き、その罪を責め、悔い改めなければ滅亡することを語るように命じられたのです。ニネベは、アッシリア帝国のセンナケリブ王が紀元前705年に首都と定めてから、紀元前612年の滅亡の時まで、繁栄をきわめました。しかしヨナはこの神の命令から逃れようとして、ニネベとは反対方向のタルシシュを目指し出発しました。タルシシュは、スペイン南西部(アンダルシア地方の西部)にある古代商業都市タルテソスを指すようです。他にはキリキア(トルコ南部の地中海に面した地域)のタルソス(パウロの生誕地)とする説があります。

  ヨナは港町ヤッファに下ると、タルシシュ行きの船が見つかったので、人々に紛れて乗船しました。海上で、突然大嵐が起こり船は大波で難破寸前となりました。船員たちは神々の助けを求め、貴重な船荷まで捨てて船を軽くし、難破しないように努力を続けました。

  一方ヨナは船底で熟睡していました。彼は神の手の届かないところにいると思って安心したのか、この災難に気付かずにいました。船長はヨナのところに来て、平気で眠っている彼に、「起きて、あなたの神を呼べ」と、神の助けを祈るように求めました。

  人々は誰のせいで災難が降りかかったのかを知ろうとして、くじを引くことにしました。そのくじがヨナに当ったので、人々は彼に詰め寄って、「あなたは何の仕事で行くのか。どこから来たのか。国はどこで、どの民族の出身なのか」と、災いの原因を探ろうと訊ねました。

  ヨナは、「わたしはヘブライ人だ。海と陸とを創造された天の神、主を畏れる者だ。」と答えました。

 人々はヨナが天地の創造主から逃げて来たことを知り、非常に恐れ、「何という事をしたのだ。」とヨナを責めました。そして、「あなたをどうしたら、海は静まるのだろうか。」とヨナに問いました。海は荒れる一方だったので、ヨナは、「わたしの手足を捕えて海にほうり込むがよい。そうすれば、海は穏やかになる。わたしのせいで、この大嵐があなたたちに見舞ったことは、わたしが知っている」と答えました。彼らがヨナを海へほうり込むと、荒れ狂っていた海は静まりました。 

  主は巨大な魚に命じて、ヨナを呑み込ませられました。ヨナは三日三晩魚の腹の中にいました。ヨナは主に祈りました。主が命じられると、魚はヨナを陸地に吐き出しました。なんと、ヨナは魚に飲まれ、魚の腹の中で三日間も生き、神に救いを求めて祈ったのです。すると魚はヨナを陸地に吐き出したので、ヨナは助かりました。

  勿論これは、創作の物語です。イエス様はこの寓話を、復活するまで陰府(よみ)にいた三日間にたとえています。「ヨナは三日三晩、大魚の腹の中にいたように、人の子も三日三晩、大地の中にいることになる。」(マタイ12:40)と言われています。

  神の命に従わず、神の御許から離れようと、逃げたヨナでしたが、ついには自滅の道を選んだことになります。しかし神はこのヨナを救われたのです。伝道者として召されながら、主の委託に応えて献身せず、自分で選んだ道を歩み、ついには絶望的な状況に追い込まれ、死の淵から助けを求めて救われた伝道者は、ヨナだけではありません。私もその一人です。(ブログの記事一覧の中に「証し『神の力は弱さの中で発揮される。』」という題で掲載しています。)

  神に救助されたヨナの感謝の歌が、2章3~10に記されています。「苦難の中で、わたしが叫ぶと、主は答えてくださった。陰府(よみ)の底から、助けを求めると、わたしの声を聞いてくださった。……わたしは感謝の声をあげ、いけにえをささげ、誓ったことを果たそう。救いは、主にこそある。」 

 主の言葉が、再びヨナに臨みました。ニネベに行って主の言葉を語るように、ヨナは命じられました。ヨナは言われたことを、直ちに実行しました。ニネベの都に入ってから、ヨナは一日歩きながら叫び続けました。「あと四十日すれば、ニネベの都は滅びる。」ヨナは悔い改めを呼び掛けるよりも、罪のゆえにニネベの都が滅びることを告げました。すると、ヨナが予想していなかったことが起きました。ニネベの人々は神を信じ、断食して悔い改めたのです。

  このことが、ニネベの王に伝えられると、王も大臣も断食して悔い改め、「おのおの悪の道を離れ、その手から不法を捨てよ。そうすれば神が思い直されて激しい怒りを静め、我我は滅びを免れるかもしれない」という布告を、王はニネベの住民に出したのです。

 「神は彼らの業、彼らが悪の道を離れたことを御覧になり、思い直され、宣告した災いをくだすのをやめられました。」

 「ヨナにとって、このことは大いに不満であり、彼は怒った。彼は、主に訴えた。『ああ、主よ、わたしがまだ国にいましたとき、言ったとおりではありませんか。だから、わたしは先にタルシシュに向かって逃げたのです。わたしには、こうなることが分かっていました。あなたは、恵みと憐れみの神であり、忍耐深く、慈しみに富み、災いをくだそうとしても思い直される方です。主よどうか今、わたしの命を取ってください。生きているよりも死ぬ方がましです。』」(ヨナ書3章10節~4書3節)

  ここにヨナが何故タルシシュに逃げたのか、その理由が明らかにされました。ヨナは、偶像を崇拝する汚れた民、イスラエルを脅かす残忍な民の滅びを望んでいたのです。主に命じられたように、ニネベに行って彼らの悪に対する神裁きを宣言すれば、慈しみ深い神は彼らを憐れみ、神は定めた災いを撤回するだろうと予感しました。ヨナは神が彼らを憐れむことが気に入らず、逃げたのです。

   いやな予想が的中し、神がニネベを憐れみ、宣告した災いを取りやめたことに、ヨナは非常に不満であり、怒ったのです。もう死んだ方がましだ、とまで言って、神に不服を訴えました。

 神がニネベを憐れみ、宣告した災いを取りやめたことに、ヨナは非常に不満であり、怒ったのです。もう死んだ方がましだ、とまで言って、神に不服を訴えました。

  主は言われました。「お前は怒るが、それは正しいことか。」ヨナ自身も神の憐れみによって救出されていながら、神がニネベの人々を憐れんで救われるのを認めようとしないのです。

  ヨナは都を出て東の方に小屋を建て、日射しを避けてその中に座り、神が都をどうなさるのかを見届けようとしました。

  すると主なる神は、ヨナを暑さの苦痛から救うために、とうごまの木を生えさせ、ヨナの背丈よりも高くし、蔭をつくって涼しくしたので、ヨナの不満は消え、ヨナはとうごまの木を喜びました。

【トウゴマ(ひま)は熱帯アフリカ原産の植物で、暑い気候の土地では、樹木のように成長して、1~4㍍あまりの高さになります。】

   ところが翌日の明け方、神は虫に命じて木を食い荒らさせ、木を枯れさせました。日が昇ると、神は東から熱風を送り、太陽も頭上に照りつけさせたので、ヨナはぐったりとなり、死ぬことを願って言いました。「生きているよりも、死ぬ方がましです。」

  神はヨナに言われました。「お前はとうごまの木のことで怒るが、それは正しいことか。」

  ヨナは言いました。「もちろんです。怒りのあまり死にたいくらいです。」

  すると、主は言われました。「お前は、自分で労することも育てることもなく、一夜にして生じ、一夜にして滅びたこのとうごまの木さえ惜しんでいる。それならば、どうしてわたしが、この大いなる都ニネベを惜しまずにいられるだろうか。そこには、十二万人以上の右も左もわきまえぬ人間と、無数の家畜がいるのだから。」

  十二万人もいるニネベの人達や無数の家畜が滅びることを創造者なる神は悲しみ、滅ぼすことを思い留まれたのです。ヨナは、自ら労し育てたのでもない、一夜にして生えた一本のとうごまが枯れたのを惜しんで、腹を立てたのです。

   ヨブ記は、創造者なる神は、滅ぼすことを望まず、救おうとする神であり、異邦人をも区別せず愛する神であることを描いています。

  B.C.662年頃に書かれたナホム書は、イザヤ書やエレミヤ書のように、自国の罪に対する回心や神の罰にはふれず、ただ敵であるニネベの悪と滅びに関する宣言をしました。

  また、エルサレムへの帰還と、神殿再建を記したエズラ記やネヘミヤ記は、異民族との結婚を厳しく禁じるなど、一種の排他的な思想があります。このような、まちがった選民意識や、自国のみを愛し、「それ以外」の人々は愛さないという、偏狭な愛国心や異国人に対する排他的で不寛容な民族主義を、ヨナ書は批判しているのです。

  他国との戦争や、国際紛争が起こるのは、共存共栄の道を模索せず、自国が優位に立とうとし、他国や他民族への愛に欠けることが、根本的な原因となっているのではないでしょうか。

  「ヨナにまさる者がここにいる」(マタイ12:41)と語った主イエスは、信仰者の排他主義に警告し、神の博愛と救いを伝えるために「行って、すべての国民を弟子とせよ」(マタイ28:19)と命令されておられます。

コメント    この記事についてブログを書く
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 「殉教も恐れなかったダニエ... | トップ | 「ヨブの叫びに答えられた神... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

礼拝説教」カテゴリの最新記事