富谷教会ホームページ・礼拝説教

富谷教会は宗教法人の教会です。教会は礼拝室と二つの茶室からなる和風の教会です。ゴルフ場に接する自然豊かな環境にあります。

「婚姻による偶像崇拝の罪」(エズラ記)

2014-11-16 21:11:19 | 聖書

〒981-3302宮城県黒川郡富谷町三ノ関字坂ノ下120番地12                                TEL:022-358-1380 FAX:022-358-1403

日本キリスト教 富谷教会 週報

年間標語『主はわたしの羊飼い、わたしには何も欠けることがない。』

聖句「神は神を愛する者たち、すなわち、ご計画に従って召された者ちと共に働いて、万事を益となるようにして下さることを、わたしたちは知っている。」(ロマ8:28)

 降誕前第七主日     2014年11月16日(日) 時~5時50分

礼   拝    

前 奏           奏楽 辺見トモ子姉

讃美歌(21)   16(われらの主こそは)

交読詩編     115(わたしたちではなく、主よ)

主の祈り    93-5、A

使徒信条    93-4、A

聖 書   エズラ記7章1~10節

説 教  「婚姻による偶像崇拝の罪    辺見宗邦牧師

賛美歌(21) 403(聞けよ、愛と真理の)

献 金

感謝祈祷          

頌 栄(21)     24(たたえよ、主の民)

祝 祷

後 奏

   本日の聖書 エズラ記エズラ記7章1節~10節)

  「これらの事があって後、ペルシアの王アルタクセルクセスの治世に、エズラがバビロンから上って来た。エズラの祖先は、父がセラヤ、祖父がアザルヤ、更にヒルキヤ、シャルム、ツァドク、アヒトブ、アマルヤ、アザルヤ、メラヨト、ゼラフヤ、ウジ、ブキ、アビシュア、ピネハス、エルアザル、そして祭司長アロンとさかのぼる。エズラは、イスラエルの神なる主が授けられたモーセの律法に詳しい書記官であり、その神なる主の御手の加護を受けて、求めるものをすべて王から与えられていた。アルタクセルクセス王の第七年に、イスラエルの人々、祭司、レビ人、詠唱者、門衛、神殿の使用人から成る一団がエルサレムに上り、同王の第七年の第五の月にエルサレムに到着した。彼らは第一の月の一日をバビロン出発の日とし、神の慈しみ深い御手の加護を受けて、第五の月の一日にエルサレムに到着した。エズラは主の律法を研究して実行し、イスラエルに掟と法を教えることに専念した。」

     本日の説教

 エズラ記は、「歴代誌」の続編として書かれた古代ユダヤ民族の歴史を記しています。エズラ記とネヘミヤ記は元来一巻の書物であったものが二巻に分けられたものです。紀元前4世紀末頃の歴代誌家が編集したと考えられています。

エズラ書の<エズラ>という名は、バビロン捕囚からの解放後、エルサレムに派遣された律法の書記官の名です。エズラ書は、律法によってユダヤ民族をまとめなおそうとしたエズラという人物の名に由来しています。エズラの名前は、エズラ書7章に入って初めて出てきます。

 エズラ記1章から6章は、バビロンから解放され、エルサレムに帰還したイスラエルの民が総督ゼルバべルと大祭司の子ヨシアを中心に神殿を再建した出来事を伝えています(前538-515年)。

  エズラ記7章1節の「これらの事があって後」というのは、神殿再建(B.C.515年)の後ということであり、7章以降は、神殿再建から58年を経たB.C.457年にエズラがエルサレムへ帰還したことが記されています。

「ペルシアの王アルタクセルクセスの治世」は、アルタクセルクセス1世(B.C.464~424年)と思われます。エズラの系図はアロンにつながる正統な祭司であることを示しています。アロンはモーセの兄で、イスラエルの最初の大祭司です。エズラはモーセの律法に詳しい書記官であることが言われています。エズラはユダヤ人ですが、ペルシア帝国全体の書記官に任命されているのです。

バビロンを出発した日が、エズラ記8:31によれば<第一の月の一日(ニサンの月)>の十二日です。エルサレムに到着した日は、<第五の月の一日(アブの月)>(7月~8月)です。旅は三か月と十八日(百八日)かかったことになります。

彼は主の律法を研究し、実行し、教えることに専念したと、彼の働きが強調されています。彼が捕囚地でイスラエルの民と宗教の中心的人物となって活動していたのです。エズラは、イエス様の時代の律法学者や、祭司とは違い、律法を教えるだけでなく、自ら律法を実行していた人です。<エズラ>は「主は助ける」あるいは「主が助ける者」の意味があります。

8章には、エズラと共に、バビロンからエルサレムに帰った男子が1500名いることが記されています。家族を含めれば3000人~4000人の大集団の人々になります。そして、旅の始めの祈りと、エルサレムに到着したことが記されています。

「わたしはアハワ川のほとりで断食を呼びかけ、神の前に身をかがめ、わたしたちのため、幼い子らのため、また持ち物のために旅の無事を祈ることにした。わたしは旅の間敵から守ってもらうために、歩兵や騎兵を王に求めることを恥とした。『わたしたちの神を尋ね求める者には、恵み溢れるその御手が差し伸べられ、神を見捨てる者には必ず激しい怒りが下ります』と王に言っていたからである。そのためにわたしたちは断食してわたしたちの神に祈り、祈りは聞き入れられた。(8:21~23)

エズラはアハワ川のほとりで、断食を呼びかけ、旅の無事を祈ります。<アハワ川>はバビロン郊外の灌漑用の運河です。バビロンからエルサレムに向かう当時の旅は今と比べ物にならない程、大変であり危険なことでした。三か月半以上もかかる長旅です。ここで断食と祈願がなされます。これは霊的な旅の準備でもあります。断食は、ここでは旅の危険から神の保護を求めるためでした。王からの護衛を拒否したのは「神の手」の守護があるという信仰心によるものでした。エズラは人間の護衛よりも、神の加護があることを固く信じていたのです。

<アハワ川>からエルサレムに向かって一行は出発しました。「道中待ち伏せる敵の攻撃も、神の御手に守られて、免れることができた」(8:31)と記しています。捕らわれの地から帰って来た捕囚の子らは、イスラエルの神に焼き尽くす献げ物をささげました。

約四か月後、エズラは、長たちからユダの人々が異教徒との結婚によってひき起された偶像礼拝の罪を聞きました。

「イスラエルの民も、祭司も、レビ人も、この地の住民から離れようとはしません。カナン人、ヘト人、ペリジ人、エブス人、アンモン人、モアブ人、エジプト人、アモリ人と同様に行うその住民の忌まわしい行いに従って、彼らは、自分のためにも息子たちのためにもこの地の住民の娘を嫁にし、聖なる種族はこの地の住民と混じり合うようになりました。しかも、長たる者、官職にある者がこの悪事にまず手を染めたのです。」(9:1~2)

このことを聞いたエズラは、「衣とマントを裂き、髪の毛とひげをむしり、ぼう然として」座り込みました。 夕べの献げ物のときになって、かがめていた身を起こし、裂けた衣とマントをつけたままひざまずき、主に向かって手を広げ、 祈り始めた。

「わが神よ、御前に恥じ入るあまり、わたしは顔を上げることができません。わたしたちの罪悪は積み重なって身の丈を越え、罪科は大きく天にまで達しています。先祖の時代から今日まで、わたしたちは大きな罪科の中にあります。その罪悪のために、わたしたちは王も祭司もこの地の王の支配下に置かれ、剣にかけられ、捕らわれ人となり、略奪され、辱められてきました。今日、御覧のとおりです。」……「まことに、わたしたちは奴隷にされています。しかし、わたしたちの神はわたしたちを奴隷のまま捨て去ることなく、ペルシアの諸王がわたしたちに対して好意を抱くようにし、生きる力を与えてくださいました。こうして、ユダとエルサレムでわたしたちの神の神殿を再建し、廃虚を復興し、城壁を得るようにしてくださいました。わたしたちの神よ、こうした御恩をいただきながら、今何を申し上げればよいのでしょうか。わたしたちは御命令に背いてしまったのです。御命令は、あなたの僕、預言者たちによってこう伝えられました。『これから入って所有する地は、その地の住民の汚れによって汚された地である。そこは、その端から端まで彼らの忌まわしい行いによって汚れに満たされている。それゆえ、あなたたちの娘を彼らの息子に嫁がせたり、彼らの娘をあなたたちの息子の嫁にしたりしてはならない。あなたたちが強くなり、この地の良い実を食べ、それを永久に子孫の所有とすることを望むならば、彼らと同盟を結ぼうとしてはならない。また、それによる繁栄を決して求めてはならない』と。」(9:6~7、10~12)

異民族との結婚は、古代イスラエルでは必ずしも禁じられたことではありませんでした。しかし一般的な慣習ではありませんでした。外国人との結婚によって異教の神々に仕える危険性はしばしば警告されていました。異民族との結婚はイスラエルの宗教の純粋性を損なう危険があるとして、申命記では強い調子で禁じています。

 カナンを青の線で示しています。カナン先住民は、北から<ギルガシ人><カナン人><ぺリジ人><エブス(イエブス)人><アモリ人><へト(ヘテ)人>,そして<ヒビ人>の七民族。<ヒビ人>はシケム周辺に居住。カナン周辺諸国の民族がアンモン人(ヨルダン川の東地域)、モアブ人(死海の東地域)、エジプト人です。                カナンの先住民族の宗教はバアル神が祭られ、礼拝の終わりには宗教的売春行為があった事が指摘されてます。人間を生贄に捧げる風習もありました。               

「あなたが行って所有する土地に、あなたの神、主があなたを導き入れ、多くの民、すなわちあなたにまさる数と力を持つ七つの民、ヘト人、ギルガシ人、アモリ人、カナン人、ペリジ人、ヒビ人、エブス人をあなたの前から追い払い・・・彼らを必ず滅ぼし尽くさねばならない。彼らと協定を結んではならず、彼らを憐れんではならない。彼らと縁組みをし、あなたの娘をその息子に嫁がせたり、娘をあなたの息子の嫁に迎えたりしてはならない。あなたの息子を引き離して私に背かせ、彼らはついに他の神々に仕えるようになり、主の怒りがあなたたちに対して燃え、主はあなたを速やかに滅ぼされるからである」。(申命記7:1-4)

バビロンで申命記を含む律法を学び、それをエルサレムに布告するために帰国したエズラにとって、雑婚は神の前に恥ずべき罪でした。イスラエルは聖別された民とされ、他民族との結婚を禁じられていました。それは他民族との婚姻を通じて偶像崇拝等の悪習が入り込むことを防止するためでした。この律法の順守こそユダヤ民族を生き残らせた力でした。割礼も異民族ヘの同化を防ぐために捕囚時代に普及した習慣でした。だからエズラは神の前に悔い改めてひれ伏したのです。彼は宗教の純粋性を守るために、種族の純血主義を唱えたのです。

「エズラは神殿の前で祈り、涙ながらに罪を告白し、身を伏せていた。イスラエル人が彼のもとに集まり、男、女、子供から成る非常に大きな会衆ができた。この人々も激しく泣いていた。エラムの一族のエヒエルの子シェカンヤはエズラに言った『私たちは神に背き、この地の民の中から、異民族の嫁を迎え入れました。しかしながら、今でもイスラエルには希望があります。今、私の主の勧めと、神の御命令を畏れ敬う方々の勧めに従って私たちは神と契約を結び、その嫁と嫁の産んだ子をすべて離縁いたします。律法に従って行われますように・・・あなたにはなすべきことがあります。協力いたしますから、断固として行動してください。』」。(10:1~4)
 祭司エズラは立ち上がり、彼らに言った。「あなたたちは神に背いた。異民族の嫁を迎え入れて、イスラエルに新たな罪科を加えた。今、先祖の神なる主の前で罪を告白し、主の御旨を行い、この地の民からも、異民族の嫁からも離れなさい。」会衆はこぞって大声で答えた。「必ずお言葉どおりにいたします。」

捕囚期、および帰還後の国家形成期においては、同族婚により民族維持を願うのはやむを得なかったのかも知れません。特に、マラキやエズラの時代、社会的経済的な利得のために、土地の異邦の娘たちと結婚する者が多かったことが背景にあります。しかし、この姿勢がやがて異邦人蔑視、排斥へとつながっていくのです。イエスの時代、当時のユダヤ人が汚れているとして交わりを禁じていたサマリア人に対して、イエスはその差別を取り払う開放的な姿勢を示しました。

聖書の神は全ての民族の神であり、他民族の娘との結婚を否定していません。イエス・キリストの系図に出ているラハブはカナン人であり、ルツはモアブ人の女性です。

聖書は偶像礼拝を禁じます。<偶像>とは真の神ではない、人間の「手で造られた神」です。偶像を拝むのは、私たちの中にあるさまざまな欲望や、自分の誇りや名誉を満足させようとする思いがあるからです。<自然な欲望>は、困難な人生を生きる力として、神が与えるものです。しかし<貪欲>は飽くことを知らないむさぼりです。<貪欲>に取り憑かれた人は、貪欲の奴隷になります。<貪欲>の対象となる一般的なものは<富>です。<富>こそが自分の人生の安全を保証してくれると信じるので、安心のために<富>にすがろうとするのです。パウロは、「地上的なもの、すなわち、みだらな行い、不潔な行い、情欲、悪い欲望、および貪欲を捨て去りなさい。貪欲は偶像礼拝にほかならない(コロサイ3:5)」と言っています。「悪い欲望」に生きていること自体が偶像礼拝なのです。この「悪い欲望」、罪の力から解放され、自由にされるには、主イエスによりたのみ、聖霊の力によって強くされなければなりません。わたしたちの戦いは、血肉を相手にするものではなく、罪の支配する闇の力、悪の霊に対する戦いなのです(エフェス6:12)。

 

 

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