
〒981-3302宮城県黒川郡富谷町三ノ関字坂ノ下120番地12 TEL:022-358-1380 FAX:022-358-1403
日本キリスト教 富 谷 教 会
年間標語『主はわたしの羊飼い、わたしには何も欠けることがない。』
聖句「神は神を愛する者たち、すなわち、ご計画に従って召された者たちと共に働いて、万事を益となるようにして下さることを、わたしたちは知っている。」(ロマ8:28)
週 報
降誕節第五主日 2014年2月2日(日) 5時~5時50分
礼 拝
前 奏 奏楽 辺見トモ子姉
讃美歌(旧) 526(主よ、わが主よ、愛の主よ)
交読詩編 84(万軍の主よ)
主の祈り 93-5、A
使徒信条 93-4、A
聖 書 ヨシュア記24章14~25節
説 教 「わたしとわたしの家は主に仕えます」 辺見宗邦牧師
祈 祷
賛美歌(21) 510(主よ、終わりまで)
献 金
感謝祈祷
頌 栄(21) 24(たたえよ、主の民)
祝 祷
後 奏
次週礼拝 2月9日(日)午後5時~5時50分
説教 「バアルとアシュラに仕えた民」
聖書 士師記2章8~15節
交読詩篇 6 讃美歌(21) 513 390 24
本日の聖書 ヨシュア記24章14~25節
14あなたたちはだから、主を畏れ、真心を込め真実をもって彼に仕え、あなたたちの先祖が川の向こう側やエジプトで仕えていた神々を除き去って、主に仕えなさい。 15もし主に仕えたくないというならば、川の向こう側にいたあなたたちの先祖が仕えていた神々でも、あるいは今、あなたたちが住んでいる土地のアモリ人の神々でも、仕えたいと思うものを、今日、自分で選びなさい。ただし、わたしとわたしの家は主に仕えます。」
16民は答えた。「主を捨てて、ほかの神々に仕えることなど、するはずがありません。 17わたしたちの神、主は、わたしたちとわたしたちの先祖を、奴隷にされていたエジプトの国から導き上り、わたしたちの目の前で数々の大きな奇跡を行い、わたしたちの行く先々で、またわたしたちが通って来たすべての民の中で、わたしたちを守ってくださった方です。 18主はまた、この土地に住んでいたアモリ人をはじめ、すべての民をわたしたちのために追い払ってくださいました。わたしたちも主に仕えます。この方こそ、わたしたちの神です。」
19ヨシュアはしかし、民に言った。「あなたたちは主に仕えることができないであろう。この方は聖なる神であり、熱情の神であって、あなたたちの背きと罪をお赦しにならないからである。 20もし、あなたたちが主を捨てて外国の神々に仕えるなら、あなたたちを幸せにした後でも、一転して災いをくだし、あなたたちを滅ぼし尽くされる。」
21民がヨシュアに、「いいえ、わたしたちは主を礼拝します」と言うと、 22ヨシュアは民に言った。「あなたたちが主を選び、主に仕えるということの証人はあなたたち自身である。」
彼らが、「そのとおり、わたしたちが証人です」と答えると、 23「それではあなたたちのもとにある外国の神々を取り除き、イスラエルの神、主に心を傾けなさい」と勧めた。
24民はヨシュアに答えた。「わたしたちの神、主にわたしたちは仕え、その声に聞き従います。」
25その日、ヨシュアはシケムで民と契約を結び、彼らのために掟と法とを定めた。
本日の説教
モーセ後継者として、出エジプトのイスラエル民族を率いてカナンへと入ったのはヨシュアでした。ヨシュアという名は、モーセから与えられた名でした。「カナン」という地名は、古代エジプト人が、紀元前15世紀後半から使用した呼称で、「カナン人」は「商人」を意味することばでした。イスラエルのカナン侵攻とほぼ同じ年代に、海洋民族ぺリシテ人移住し、カナンの地中海沿岸部に定住したので、カナンは、パレスチナ(ぺリシテ人の土地の意)と呼ばれるようになるのです。
「ヨシュア」は、ヘブライ語では「イェホシュア(יְהוֹשֻׁעַ)」です。ヘブライ語の「イェホシュア」の短縮形「イェシュア(יֵשׁוּעַ)」をギリシア語化したのが「イェースース(Ίησοῦς)」です。「イエス」は、このギリシア語の「イェ―スース」を元にした日本の呼び名です。「イエス」という名は、「ヨシュア」のヘブライ語名の「イェホシュア」が元々の名なのです。「神は救い(神は救う者)」という意味のことばです。
「ヨシュア」の元来の名は、「ホシュア」でした。モーセが「ヨシュア」という名を与えた経緯(いきさつ)が民数記13章に記されています。
エジプトを出て、2年目の3月頃、パランの荒れ野カデシュ・バルネアに宿営した時です。その地は、あと一日でカナンへ入れる所でした。主なる神に命じられたモーセは、部族の長12人を集めて偵察隊とし、これから民が向かうカナンへ遣わしました。モーセはエフライム族の長、ヌンの子「ホシュア(救いの意)」を呼び、「ヨシュア」と改名しました(民数記13章16節)。「ヨシュア」は、「ヤハウェは救い(給う)」という意味です。モーセはホシュアをヨシュアと名前を変えることで、神はイスラエルを敵から救い、カナンの地を与える神の約束が必ず実現することを教えたものと思われます。
偵察に行ったヨシュアと、ユダ族エフネの子カレブだけが、その地に住んでいる住民を倒すことができると報告し、進軍するよう進言しました。このとき、カレブの年齢は、40歳だったことが、後になって語られています(ヨシュア記14:7)。恐らくヨシュアも似た年齢だったでしょう。
偵察に行った他の部族の長が悪い情報を流し、進軍することをためらったので、民は神の約束の地に入ることを恐れました。その不信の罪のゆえに、このあと38年間、イスラエルの民は荒野をさまようことになったのです。エジプトを出てから数えると40年間になります。
ヨシュアとカレブを除き、当時20歳以上に登録されていた者はすべて、不信の罪のゆえに、約束の地に入ることを許されず、荒野で死に絶えました。
ヨルダン川の東の地、モアブの地シティムでモーセは死にました。120歳でしたが、最後まで活力は失せませんでした。
モーセの死後、ヨシュアはヨルダン川を渡れとの命令を神から受けました。ヨシュアは知恵と霊に満ちていました。おそらくヨシュアは、80歳前後だったのではないでしょうか。
ヨシュアは2人の者をエリコの偵察に遣わしました。エリコの町がすでに主によってイスラエルに渡されていることを知ってヨルダン川を渡りました。ヨルダン渡河は水の止まった時に行われました(ヨシュア記3章)。
第一の戦いは、エリコ攻略でした。イスラエル人が七日間城塞の周囲を回ると、神がその城壁を崩壊させました。
次にアイを攻めました(8章)。一度アカンの罪のために敗北しましたが、戦利品の一部を私有したアカンを処罰した後、神の指示を受け、アイを打ち破ることができました。
ヨシュアはエバル山でイスラエルの神のために一つの祭壇を築き、半分の支族は祝福のためにゲリジム山の前に、もう半分の支族は呪いのためにエバル山の前に立たせ、民に律法のことばと、祝福と呪いを読み聞かせました(ヨシ8:30-35)。カナンの地に入ったらするようにと、モーセに命じられていたことを実行したのです(申命記27:12,13)。
その後、ギブオンは和を結ぶ協定を求めてきました(9章)。その策略が判明し、その罰としてギブオンはイスラエルに仕えるものとなりました。
南部5都市の王は、エルサレム王のもとに同盟を結び、イスラエルと同盟を結んだギブオンを攻めてきましたが、ギブオンから援護を求められたヨシュアはこれを撃破しました。
カナンの地での最後の決戦はハツォルの王ヤビンのもとに連合した同盟軍との戦いでした(11章)。ハツォルは、カナンの北部の町で、ガリラヤ湖の北15㌔ほどのところにある町です。主なる神から、「彼らを恐れてはならない」と励まされたヨシュアは全軍を率い、メロムで、敵の大軍を急襲して打ち破りました。そして五人の王の町々をすべて占領しました。
カナンでの主な戦いは7年にも及びました。その後、分割された土地に定住するまで、数十年にわたり侵攻が続いたと予想されています。
カナンの地を占領した後のヨシュアの任務は,カナンの地を12部族に分け与えることでした(ヨシ13‐19章)。この時,ヨシュアはすでに年を重ねて老人になっていましたが、占領すべき土地はまだたくさん残っていました。(ヨシュア記13:1)。
ユダ族のカレブは、モーセが与えると誓った土地(申命記1:36)として、ヘブロンを与えられました。カレブは85歳で健やかでした(14:6-15)。
12部族への分割を終えると、ヨシュアはエフライムの山地の町ティムナト・セラを自分の相続地として贈られました(ヨシ19:49‐50)。彼はそこに町を建てて住みました。
イスラエルの民にカナンの安住の地が与えられてからも、ヨシュアは民の指導者でした。23章は老いたヨシュアが民に与えた勧告であり、遺言ともいえます。そして、今日の聖書の個所24章は、シケェムでなされた民との契約です。
カナン定住が数十年続き、ヨシュアはこの世を去る前に、民に最後の勧告を与えました。イスラエルの全部族をシケェムに集めて、指導者たちを神の前に立たせ、神の言葉を語り、神に仕えていく決心を促したのです。
シケムの町はカナンのほぼ中央にあり、エルサレムから25キロほど北方にあり、北はエバル山(谷からの高さ367㍍)、南はゲリジム山(谷からの高さ381㍍)の二つの山の間にあります。
シケムはアブラハムが故郷を離れてカナンに入ったとき、最初にヤハウェのための祭壇を築いたところです(創世記12:4)。また、ヤコブがハランから故郷に戻るとき、家族に外国の神々の像を取り去るように命じ、シケムの樫の木の下に埋めました(創世記35:2-4)。
ヨシュアもエリコとアイを攻略した後で、祭壇を造り、モーセの律法を読み上げ、呪いと祝福を宣言したところです(8:30~.)。ヨシュアはこのシケムにおいて、祝福と呪いのどちらを選ぶのかと民に迫り、主なる神との契約の更新をするのです。
24章2節から10節までは、アブラハムからモーセの時代まで、神が何をしたかを語りました。
「ヨシュアは民全員に告げた。「イスラエルの神、主はこう言われた。『あなたたちの先祖は、アブラハムとナホルの父テラを含めて、昔ユーフラテス川の向こうに住み、他の神々を拝んでいた。しかし、わたしはあなたたちの先祖アブラハムを川向こうから連れ出してカナン全土を歩かせ、その子孫を増し加えた。』」(24:2-3)
神ヤハウェは、イスラエルの最初の族長アブラハム(当時の名はアブラム)を選んだことから話し始めます。その頃はアブラハムもメソポタミアで異教の神々を礼拝していたのを、ヤハウェがアブラハムを選び、約束の地カナンへ連れ出したことが語られました。。イサク、ヤコブ、そしてヤコブ一族のエジプト行きについて語り、続いてモーセとアロンによる出エジプトの出来事から、ヨルダンの東、モアブの地で、モアブの王から救ったことを語りました。
11節から13節では、イスラエルの民がヨルダン川を渡り、カナンに入ってから、先住民族との戦いに勝利し、土地を獲得し、豊かな農地を得て安住していることが語りました。
主なる神は、「わたしは」という言葉を13回も繰り返し、イスラエルを今豊かな土地カナンへ導いたのは「わたし」であったと語りました。
14節から24節では、「主に仕える」という言葉が8回も繰り返して使われています。
「あなたたちはだから、主を畏れ、真心を込め真実をもって彼に仕え、あなたたちの先祖が川の向こう側やエジプトで仕えていた神々を除き去って、主に仕えなさい。
もし主に仕えたくないというならば、川の向こう側にいたあなたたちの先祖が仕えていた神々でも、あるいは今、あなたたちが住んでいる土地のアモリ人の神々でも、仕えたいと思うものを、今日、自分で選びなさい。ただし、わたしとわたしの家は主に仕えます(14,15節)。」
ヨシュアは、イスラエルの過去の歴史を回顧し、彼らが敵を撃退し、今日カナンの地を占領し定住するに至ったのは全く神の御力によるものであることを述べ、「あなたたちはだから、主を畏れ、真心を込め真実をもって主に仕えなさい」と勧めました。
ヤハウェに仕え、先祖がメソポタミアやエジプトで仕えていた神々を離れることを選ぶか。あるいはヤハウェに仕えたくないなら、メソポタミアやエジプトの神々、あるいはこのカナンにいるアモリ人の神々でも、仕えたいと思うものを選ぶか、それを「今日、自分で選びなさい」と民に二者択一を迫りました。
ヨシュアはイスラエルの民に対して、何も強制していません。ただ、自分の立場を明らかにします。「ただし、わたしとわたしの家は主に仕えます。」とヨシュアは断固として主に従っていく信仰の決意を表明しました。
民は答えました。「主を捨てて、ほかの神々に仕えることなど、するはずがありませ(24:16)。」
イスラエルの民は、主が彼らをエジプトの奴隷であった状態から救出し、数々の大きな恵みと守りを与えてくださったことを認め、主にのみ仕えることを表明しました。
ところがこれに対し、ヨシュアは奇妙な応答をします。「あなたたちは主に仕えることができないであろう。」と切り出します。なぜならヤハウェは「聖なる神」であり「熱情の神」だからだ、と言ったのです。神の彼らに向けられた愛は、ひたむきな愛でした。「わたしは熱情の神である」と神は語ります。「熱情」とは「妬み」、それも激情に駆られた嫉妬です。「あなたがたはほかの神を拝んではならない(出エジプト34:14))という、対立者の存在を許さない、絶対的な忠誠を要求する神です。「ヤハウェに仕えながら異教の神々とも付き合っていく」とか、あるいは「聖なる神に仕えながら堕落した生活をする」とか、そのような背きの罪を神は赦されないと、ヨシュアは語りました。単なる一時的な熱心や、いい加減な精神では主に仕えることはできないと言ったのです。
これに対し民がヨシュアに、「いいえ、私たちは主を礼拝します。」と答えました。そして、ヨシュアが「あなたたちがヤハウェを選び仕えるということの証人は、あなたたち自身だ」というと、そのとおりだと答えたのです。
さらにヨシュアが「それでは、あたたたちのもとにある外国の神々を取り除け」と外面の行動を求め、「イスラエルの神、主に心を傾けなさい。」と内面も忠実であることを求めると、民は「わたしたちの神、主にわたしたちは仕え、その声に聞き従います。」と答えました。
民のこの絶対的な奉仕と服従の誓いを聞いて、その日に「ヨシュアはシケムで民と契約を結び、彼らのためにおきてと法とを定めた。」と記録されています。ヨシュアはイスラエルの民と神ヤハウェとの間を仲介する役割を果たしたのです。こうしてあらためて契約が結ばれたあと、ヨシュアはこの契約の証拠として、大きな石を据えました。世代が移ろい、この契約に関して「自分自身が証人」と言った人々がいなくなっても、この石が証拠として残そうとしたのです。士師記9章6には「シケムの石柱」という言及があります。
その後ヨシュアは110歳で死に,エフライムの山地の自分の相続地のティムナテ・セラフに葬られました(ヨシ24:30)。
神がいかにわたしたちを熱愛しておられるかを知ることが、わたしたちは主を愛するようになることを、ヨシュアと民との問答で知ることができます。
私の家の玄関に飾っている色紙 「私とわたしの家族は 主を礼拝する」
「わたしとわたしの家」とは、個々人の家族だけではなく、神の家族である教会のことも含めて考えたいと思います。ヨシュアの家族のことは聖書に記されていません。ヨシュアも「わたしの家」と言ったときは、個人的な家族のことだけでなく、自分が属するエフライム族のことを含めて語ったのではないでしょうか。教会が、神の家族として、共に主に仕え、礼拝を守っていきたいと思います。
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