富谷教会ホームページ・礼拝説教

富谷教会は宗教法人の教会です。教会は礼拝室と二つの茶室からなる和風の教会です。ゴルフ場に接する自然豊かな環境にあります。

「信仰の原点としてのベテル」 創世記35章1 ~7節

2013-11-04 21:54:36 | 礼拝説教

〒981-3302宮城県黒川郡富谷町三ノ関字坂ノ下120番地12 TEL:022-358-1380 FAX:022-358-1403  日本キリスト教 富 谷 教 会

年間標語「何事も祈って歩む、一年を送ろう」

聖句「どんなことでも、思い煩うのはやめなさい。何事につけ、感謝を込めて祈りと願いをささげ、求めているものを神に打ち明けなさい。」フィリピ4:6

 週  報 

降誕前第8主日      2013年11月3日(日)   5時~5時50分 

礼 拝 順 序  

前 奏             奏楽 辺見トモ子姉

讃美歌(21) 529(主よ、わが身を)

交読詩編   46(神はわたしたちの避けどころ) 

主の祈り   93-5、A

使徒信条   93-4、A

聖 書  創世記35章1 ~7節

説 教「信仰の原点としてのベテル」  辺見宗邦牧師

讃美歌(21) 457(神はわが力)

献 金

感謝祈祷          

頌 栄(21)  27(父・子・聖霊の)

祝 祷

後 奏

 

次週礼拝 2013年11月10日(日)午後5時~5時50分

聖書  創世記45章1-15節

説教  「ヨセフと兄弟たちの対面」

交読詩編 46 讃美歌57 355  27

報告 本日は永眠者記念日なので、午後3時より辺見哲三兄、加藤英治兄、加藤昌(よし)子姉の記念礼拝を、ご遺族とともに守りました。

本日の聖書 創世記351~15

 1神はヤコブに言われた。「さあ、ベテルに上り、そこに住みなさい。そしてその地に、あなたが兄エサウを避けて逃げて行ったとき、あなたに現れた神のための祭壇を造りなさい。」

 2ヤコブは、家族の者や一緒にいるすべての人々に言った。「お前たちが身に着けている外国の神々を取り去り、身を清めて衣服を着替えなさい。 3さあ、これからベテルに上ろう。わたしはその地に、苦難の時わたしに答え、旅の間わたしと共にいてくださった神のために祭壇を造る。」 4人々は、持っていた外国のすべての神々と、着けていた耳飾りをヤコブに渡したので、ヤコブはそれらをシケムの近くにある樫の木の下に埋めた。 5こうして一同は出発したが、神が周囲の町々を恐れさせたので、ヤコブの息子たちを追跡する者はなかった。 6ヤコブはやがて、一族の者すべてと共に、カナン地方のルズ、すなわちベテルに着き、 7そこに祭壇を築いて、その場所をエル・ベテルと名付けた。兄を避けて逃げて行ったとき、神がそこでヤコブに現れたからである。

 本日の説教

 創世記28章では、ヤコブの夢の物語が記してありました。ヤコブと兄エサウは双子の兄弟として生まれました。父イサクが、祖父アブラハムから受け継いだ神様の祝福を、長男のエサウが受けるべきであったのを、ヤコブが母リベカの策略もあって、父をだまして、自分のものに横取りしてしまったことにより、兄エサウを怒らせ、自分の命を狙われるようになり、母の故郷に、表向きは嫁探しの目的で、逃げたのです。

ヤコブは、住み慣れた故郷のベエル・シェバから、パダン・アラム(アラム人の住む平地)の地、ハランに住む、母の実家の兄、ラバンのもとに、出かけました。その途中、荒野で夜を迎え、石を枕にして寝たときに、夢で神の御使いたちが上り下りする階段が現れ、神様が傍らに立って、ヤコブを祝福しました。

 

ヤコブが石を枕にして寝たベテルの風景

眠りから覚めたヤコブは、「まことに主がこの場所におられるのに、わたしは知らなかった」と言い、翌朝枕を記念碑として立てて、その場所をベテル(ベート・エル:神の家)と名付け、「無事に父の家に帰らせていただいたなら、その場所を神の家とし、自分に与えられたものの十分の一をささげます」、と誓願を立てました。このベテルからどのような経路を経て、ハランに着いたのかは、聖書は記していません。往復同じ道をたどったと思われます。

 創世記31章には、ヤコブが伯父ラバンのもとから脱走したことが書かれています。ヤコブはハランで20年間、叔父のラバンの家に働きながら留まり、ラバンの二人の娘、レアとラケルを妻にし、また二人の側女(そばめ)も妻とし、十一人の息子たちと多くの家畜を持つ者となりました。夢の中で、ヤコブに神のお告げがあり、「ヤコブよ、・・わたしはベテルの神である。かつてあなたは、そこに記念碑を立てて油を注ぎ、わたしに誓願を立てたではないか。さあ、今すぐこの土地を出て、あなたの故郷に帰りなさい(21:11-13)」と言われ、ラバンのもとからも、妻たちとすべての財産を持って逃げ出しました。ギレアドの山地に天幕を張っていたときに、後を追ってきたラバンと神の恵みによって和解することができたことができました。

 創世記32章では、ヤコブは故郷が近づいてくると、兄エサウのことを恐れるようになりました。そんなとき、神の御使いが現れ、ヤコブを勇気づけました。ヤコブは彼らを見たとき、「ここは神に陣営だ」と言い、その場所をマハナイム(二組の陣営)と名付ました。ヤコブを守る神の陣営とヤコブの陣営と二つになったことを感謝したのです。

ヤコブは兄エサウがヤコブに対してどのような思いを抱いているのかが気になり、そのことを確かめるために、セイル地方に住むエドムの族長となっている兄エサウのもとに、使いの者を遣わして、帰国の報告をさせました。使いの者から、「兄上様の方でも、あなたを迎えるため、四百人のお供を連れてこちらへおいでになる途中でございます」との報告を聞いて、ヤコブは、兄が「迎え撃つ」ためにきたと思い、非常に恐れ、思い悩んだ末に、連れている人々を二手に分けて攻撃にそなえました。

ヤコブは神に祈りました。「わたしの父アブラハムの神、わたしの父イサクの神、主よ、あなたはわたしにこう言われました。『あなたは生まれ故郷に帰りなさい。わたしはあなたに幸いを与える』と。わたしは、あなたが僕に示してくださったすべての慈しみとまことを受けるに足りない者です。かつてわたしは、一本の杖を頼りにこのヨルダン川を渡りましたが、今は二組の(人々の)陣営を持つまでになりました。どうか、兄エサウの手から救ってください。わたしは兄が恐ろしいのです。兄は攻めて来て、わたしをはじめ母も子供も殺すかも知れません。」(32:10-13)。その夜、ヤコブはそこに野宿して自分の持ち物の家畜の中から兄エサウへの贈り物を三百頭選びました。それを召し使いたちの手に渡し、エサウに贈り物として届ける作戦を立てました。贈り物で兄をなだめようと思ったのです。

ヤコブは、兄エサウの襲撃に備えて、夜中に妻や子供たちを連れて、安全な場所に導くために川をわたらせてから、神の加護を求めて祈るために独り残りました。

ヤボク川はアラム領のギレアドとアンモン人のアンモンの国境に当たる川です。ヤボクの渡しは、浅瀬で、王の道から、ヨルダンを越えてカナンの地へ通ずる主要道路でした。

       ヤボク川 

     ヤボク川の橋の下の日陰にいる羊飼いと羊の群れ

  「そのとき、何者かが夜明けまでヤコブと格闘した」とあります。「何者かが」とありますが、ホセア書12章4、5節に次のような説明があります。

「ヤコブは母の胎にいたときから兄のかかとをつかみ、力を尽くして神と争った。神の使いと争って勝ち、泣いて恵みを乞うた。」とあります。

「何者か」は「神の使い」であり、「神」であると説明しています。ヤコブもこの格闘のあとで「わたしは顔と顔とを合わせて神を見た」と言っています。

「神の使い」は、ヤコブに恵みを与えるために、自分の計略に頼ろうとする傲慢なヤコブを砕かなければならないので、ヤコブと格闘したのです。ところが、その人はヤコブに勝てないとみて、ヤコブの腿(もも)の関節を打ったので、腿の関節がはずれました。腿の関節をはずされて弱くされたヤコブは、今度は「その人」に、「祝福してくださるまでは離しません」としがみつきました。その人の「お前の名は何というのか」という問いに、ヤコブは、「ヤコブです」と答えました。生来「人の足を引っ張り、人を押しのける」、罪深い自分をありのままに告白したのです。

 その人は、「お前の名はもうヤコブではなく、これからはイスラエルと呼ばれる。お前は神と人と闘って勝ったからだ」と宣言されました。ヤコブは古い罪の自分を脱して新しい名が与えられたのです。神は彼をイスラエルと名付られました。

「イスラエル」 は、「イ(יִ)・ス(שְׂ)+ラー(רָ)・エル(אֵל←)」という三語からなっています。 「イ(あなたは)、スラー(争った)、エル(神と)」という意味で、三語合わせると、「あなたは神と争った」という意味になります。名前の意味としては「神と争う者」と訳して良いと思います。この「争った」という意味の<スラー>の原語<サラー>が、ホセア書12章4節で使われたおり、「争った」と共同訳聖書で訳されています。

しかし、この語がいろいろの言葉に訳されています。例えば、「神は支配する」、「神と共に不屈なる者」、「神と戦う者」、「神は勝つ」、「神と共に戦う者」などと訳されており、どの訳が正しいのか、迷われると思います。

「イスラエル」は、「神と争う者」で解して良いと思います。神の恵みを乞うため、「神と争う者」です。ヤコブは、「わたしは顔と顔とを合わせて神を見たのに、なお生きている」と言って、その場所をペヌエル(神の顔)と名付けました。

創世記33章では、兄エサウとヤコブが和解したことが記されています。兄と別れたあと、ヤコブはスコトへ行き、小屋を建てしばらく住み、そのあとヨルダン川を渡り、カナンのシケムの町に無事に着き、その町のそばに天幕を張り、その土地の首長ハモルの息子たちから、土地の一部を買いとって祭壇を建てて住みついたことが記されています。あと一日で、あの神の家を建てると誓願したベテルなのに、兄とも和解したヤコブはその神との誓いをも果たさず、シケムの町が気に入ったのか、あるいは交易上の便宜を考えたのか、シケムに住みついたのです。シケムは交通の要所であり、かつてアブラハムがカナンの地に入って、最初に祭壇を築いたところでした。ヤコブはこの地を安住の地にしようと思ったに違いありません。

創世記34章では、ヤコブの息子たちが、大きな罪を犯したことが記されています。ヤコブとレアの間に生まれた娘ディナをシケムの首長ハモルの息子が恋慕い、無理に関係を結んだあと、父ハモルを通して正式に結婚させて欲しいと、ヤコブに申し入れました。ヤコブの息子たちは、復讐をたくらみ、ハモル一族の男性が割礼を受けることを条件に同意しました。彼らが割礼の傷が痛んでいる時に襲い、彼らを皆殺しにし、その町中を略奪しました。その首謀者は、レアから生まれたディナの兄たち、シメオンとレビでした。シメオンとレビが首謀者となって、剣を持って町に入り、男達をことごとく殺し、首長とその息子も殺し、ディナを連れ戻しました。それだけではありません。彼らは、町中を略奪し、家畜を奪い、女・子供を捕虜にしたのです。これは完全にだまし討ちでした。聖なる割礼を悪用して人を欺き、暴虐のかぎりを尽くしたのです。創世記49章5-9節には、シメオンとレビ剣の暴力が記されています。

 「シメオンとレビは似た兄弟。 彼らの剣は暴力の道具。わたしの魂よ、彼らの謀議に加るな。わたひの心よ、彼らの仲間に連なるな。彼らは怒りのままに人を殺し、思うがままに雄牛の足の筋を切った。 呪われよ、彼らの怒りは激しく、憤りは甚だしいゆえに、わたしは彼らをヤコブの間に分け、イスラエルの間に散らす。」

 シメオンとレビの子孫は、12氏族がカナンの地を分割した分け与えられたとき、領地を与えられず、他の氏族の領地内の町々を散らされて与えられることになるのです。しかし、レビは祭儀にたずさわる部族として、神殿に捧げられた物の十分の一が与えれることになるのです(民数記18:20-21)。

 こんなことをすればカナンの他の部族から憎悪による襲撃をうけて、滅ぼされてしまいます。この町の近くに住むことなど出来なくなります。ヤコブは子供たちの犯した蛮行に胸を痛め、悩み、苦しみました。

創世記35章1節以下は、シケムでの出来事のあとに、神がヤコブに語りかけた言葉です。

「さあ、ベテルに上り、そこに住みなさい。そしてその地に、あなたが兄エサウを避けて逃げて行ったとき、あなたに現れた神のための祭壇を造りなさい。」

ヤコブはこの神様の言葉で、自分を取り戻しました。何も持たず、ただ神様の約束の言葉だけを頼りに旅立った自分に、神様は多くを与えてくれたことを。自分の旅は、まだ終わっていないことに気付きました。ヤコブは、本来の自分を取り戻し、家族の者や一緒にいるすべての人々に言いました。

「お前たちが身に着けている外国の神々を取り去り、身を清めて衣服を着替えなさい。さあ、これからベテルに上ろう。わたしはその地に、苦難の時わたしに答え、旅の間わたしと共にいてくださった神のために祭壇を造る。」

ヤコブの家に、外国の神々、つまり偶像が入り込んでいたのです。ラケルも父の家の守り神の偶像を盗んで持っていたと思われます。ヤコブは今までそれを取り去ることを真剣に家族に求めることはなかったのです。毅然と息子たちの犯した愚行を諌めることも出来ないでいたのです。しかし今、ベテルに行く前に、全ての過去を清算するために偶像の一切を捨て、シケムの近くにある樫の木の下に埋めました。

神の守りによってヤコブとその一行は無事にシケムを後にし、ベテルへと向かうことができました。ヤコブは、一族の者すべてと共に、カナン地方のルズ、すなわちベテルに着き、 そこに祭壇を築いて、その場所をエル・ベテル(ベテルの神)と名付けました。ヤコブにとって、ベテルは信仰の原点とも言うべき所でした。神様はあの日ヤコブに現れて、「この土地をあなたとあなたの子孫に与える。わたしはあなたと共にいる。あなたがどこへ行っても、わたしはあなたを守り、必ずこの土地に連れ帰る。」そう約束して下さいました。この神様の言葉に慰められ、励まされ、彼は旅立ったのです。この神様との出会いこそ、ヤコブの信仰の原点であったと言って良いと思います。

私にとっての信仰の原点は、病んで入院し、苦しい痛みに耐えながら、「死ぬ前に、どうか愛の人に造り変えてください」と必死に神に祈り求めていたときの自分です。無に等しい自分です。そのような者を神は哀れんでくださって、神のご臨在を経験する恵みにあずからせていただきました。

私たちには、それぞれ立つべき信仰の原点があります。新たな信仰の一歩を歩み始めた所です。たえずこの信仰の原点に戻って、信仰の歩みを続けていかなければなりません。

 

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