富谷教会ホームページ・礼拝説教

富谷教会は宗教法人の教会です。教会は礼拝室と二つの茶室からなる和風の教会です。ゴルフ場に接する自然豊かな環境にあります。

「イエスの宣教開始とナザレの人々の反応」

2015-01-25 21:14:34 | 聖書

〒981-3302宮城県黒川郡富谷町三ノ関字坂ノ下120番地12 TEL:022-358-1380 FAX:022-358-1403

           日本キリスト教 富谷教会 週報

年間標語 『いつも喜び、絶えず祈り、どんなことにも感謝しましょう。』

聖句「どんなことでも、思い煩うのはやめなさい。何事につけ、感謝をこめて祈りと願いをささげ、求めているものを神に打ち明けなさい。」  (フィリピ4:6)

 降誕節第5主日   2015年1月25日(日)   5時~5時50分 

   礼   拝    

前 奏              奏楽 辺見トモ子姉

讃美歌(21)  492(み神をたたえる心こそは)

交読詩編     116(わたしは主を愛する)

主の祈り    93-5、A

使徒信条    93-4、A

聖 書   ルカによる福音書4章14~30節       

説 教   「イエスの宣教開始とナザレの人々の反応」    辺見宗邦牧師

讃美歌(21) 431(喜ばしい声ひびかせ)

献 金

感謝祈祷          

頌 栄(21)     24(たたえよ、主の民)

祝 祷

後 奏

                   次週礼拝 2月1日(日)夕礼拝 午後5時~5時50分 

                    聖 書  ルカによる福音書8章4~15節

                    説 教   「教えるキリスト」

本日の聖書 ルカによる福音書4章

 14イエスは“霊”の力に満ちてガリラヤに帰られた。その評判が周りの地方一帯に広まった。15イエスは諸会堂で教え、皆から尊敬を受けられた。

 16イエスはお育ちになったナザレに来て、いつものとおり安息日に会堂に入り、聖書を朗読しようとしてお立ちになった。17預言者イザヤの巻物が渡され、お開きになると、次のように書いてある個所が目に留まった。

  18「主の霊がわたしの上におられる。貧しい人に福音を告げ知らせるために、主がわたしに油を注がれたからである。主がわたしを遣わされたのは、捕らわれている人に解放を、目の見えない人に視力の回復を告げ、圧迫されている人を自由にし、19主の恵みの年を告げるためである。」

  20イエスは巻物を巻き、係の者に返して席に座られた。会堂にいるすべての人の目がイエスに注がれていた。21そこでイエスは、「この聖書の言葉は、今日、あなたがたが耳にしたとき、実現した」と話し始められた。22皆はイエスをほめ、その口から出る恵み深い言葉に驚いて言った。「この人はヨセフの子ではないか。」23イエスは言われた。「きっと、あなたがたは、『医者よ、自分自身を治せ』ということわざを引いて、『カファルナウムでいろいろなことをしたと聞いたが、郷里のここでもしてくれ』と言うにちがいない。」

  24そして、言われた。「はっきり言っておく。預言者は、自分の故郷では歓迎されないものだ。25確かに言っておく。エリヤの時代に三年六か月の間、雨が降らず、その地方一帯に大飢饉が起こったとき、イスラエルには多くのやもめがいたが、26エリヤはその中のだれのもとにも遣わされないで、シドン地方のサレプタのやもめのもとにだけ遣わされた。27また、預言者エリシャの時代に、イスラエルにはらい病を患っている人が多くいたが、シリア人ナアマンのほかはだれも清くされなかった。」28これを聞いた会堂内の人々は皆憤慨し、29総立ちになって、イエスを町の外へ追い出し、町が建っている山の崖まで連れて行き、突き落とそうとした。30しかし、イエスは人々の間を通り抜けて立ち去られた。

   本日の説教 

  イエスはナザレを出て、ヨルダン川に向かい、ヨハネから洗礼(バプテスマ)を受けました。そのあと、イエスはユダの荒れ野に行き、そこで40日、悪魔を受けました。悪魔に打ち勝たれたイエスは霊の力に満ちてガリラヤに戻り、公の宣教を開始しました。その評判は周りの地方一帯に広まりました。イエスが宣教を始められたときはおよそ30歳(ルカ3:23)でした。イエスは諸会堂で教え、皆から尊敬を受けられました。

 イエスはお育ちになった故郷のナザレに来て、いつものとおり安息日に礼拝をするためシナゴ―グと呼ばれる会堂に入りました。聖書を朗読しようとしてお立ちになりました。会堂の係りの者(会堂司?)から預言者イザヤの巻物が渡されたので、お開きになると、イザヤ書61章の次のよに書いたある場所が目に留まりました。イザヤ書61章1、2節の言葉です。旧約聖書には、次のように記されています。

 「主はわたしに油を注ぎ、主なる神の霊がわたしをとらえた。わたしを遣わして貧しい人に良い知らせを伝えさせるために。打ち砕かれた心を包み、捕らわれ人には自由を、つながれてる人には解放を告知するために。主が恵みをお与えになる年、わたしたちの神が報復される日を告知して、嘆いている人々を慰め……」(イザヤ書61・1、2)

 イザヤ書56章から66章までは、第三イザヤ(B.C.539~441)と呼ばれる預言者の書です。ユダヤ人の祖国帰還と第二神殿再建(B.C.515年)直後まで活動した預言者です。第三イザヤはバビロン捕囚からイスラエルが解放されることを、主によってモーセが定めたヨベルの年と関連させて預言しました。ヨベルの年とは、すべての負債は取り消され、奴隷はみな解放され、所有物は最初の持ち主に戻る年です(レビ記25章10節)。これは、貧しい人々にとって福音でした。バビロンからの解放もヨベルの年のようになるだろうと第三イザヤは預言したのです。囚人は釈放され、敵の圧迫によって打ちひしがれていた者は解放されるであろう。彼らは喜びつつ故郷に帰ることができるだろう。バビロンからの帰還は<主の恵みの年>となるだろう、と預言したのです。

   しかし、バビロン捕囚から実際に解放されて聖地に帰還しても、彼らが待ち望んでいたことは実現しませんでした。ユダヤの国の人々が、いつまでたっても自分たちの国が解放されないままに生きて、望みを失いがちになったとき、なお、繰り返して望みを新しくしようと励ました言葉がイザヤ書65章です。

 「見よ、わたしは新しい天と新しい地を創造する。初めからのことを思い起こす者はない。それはだれの心にも上ることはない。代々とこしえに喜び楽しみ、喜び躍れ。わたしは創造する。見よ、わたしはエルサレムを喜び躍るものとしてその民を喜び楽しむものとして、創造する。わたしはエルサレムを喜びとし、わたしの民を楽しみとする。泣く声、叫ぶ声は、再びその中に響くことがない。」(イザヤ書65章11~19)

 それ以後500年も過ぎても、第三イザヤの預言は成就しませんでした。バビロニヤ帝国の支配から解放された後も、彼らは以前として、ペルシャ帝国、マケドニヤ帝国、ローマ帝国に征服され、支配された打ちひしがれている民でした。

  福音書記者ルカは、イザヤ書52章1、2節を、次のように記しています。

主の霊がわたしの上におられる。貧しい人に福音を告げ知らせるために、主がわたしに油を注がれたからであるがわたしを遣わされたのは捕らわれている人に解放を目の見えない人に視力の回復を告圧迫されている人を自由にし主の恵みの年を告げるためである。

  主イエスは、ナザレの会堂で、この神による解放を告げる言葉を読んだ後、巻物を巻いて係りの者に返し、席に座られました。会堂にいたすべての人の目がイエスに注がれました。イエスの言葉には権威があったからでしょう。

 そこでイエスは、「この聖書の言葉は、今日、あなたがたが耳にしたとき、実現した。」と話し始められました。皆はイエスをほめ、その口から出る恵み深い言葉に驚きました。

   イザヤ書61章にある「わたしに油を注がれた」というのは、元来はイスラエルの王について言われる言葉です。王に就任するとき、祭司から任命の印の油が注がれるからです。当時は、王だけでなく、救世主を指すことばになっていました。イエスはこの預言を自分と結びつけ、預言が成就したと告げたのです。

  [ヘブライ語の<油注がれた者(マーシアッハ)>は、音訳(短く発音)すると、<マーシアッハ>が<メシアマーシア)>となります。<マーシアッハ>も<メシア>も、ギリシャ語では<キリスト(クリストス)]という訳語になります。元来は<油注がれた者>を意味していた王を指す言葉が、救世主を指すことばとなります。]

  <主の恵みの年>は、元来ヨベルの年、五十年ごとに民のすべてが自由になる年(レビ記25:8~12)ですが、ここでは、それがイエスの救いの業に当てはめられています。ヨベルの年を宣言するごとく、赦しによる解放と回復へと人々をキリストが導くことが語られています。 

 <今日、…実現した。>とは、 神の国はここに来ている、ということです。今は神の恵みの時である。神の約束が成就され、神の目的が実現する終末の時が、来たのだ。貧しい者や不当な扱いを受けていた者、抑圧されていた者のための変化が、今日現れるのだ。これはヨベルの年の始まりである。そのように主イエスは宣言したのです。

 イエスに対する反応はさまざまでした。イエスをほめる者もいましたが、「この人は、ヨセフの子ではないか。」と言って、イエスを疑問視し、その神的権威を認めようとしない者もいました。

   イエスはその心中を見破って、「きっと、あなたがたは、『医者よ、自分自身を治せ』ということわざを引いて、『カファルナウムでいろいろなことをしたと聞いたが、郷里のここでもしてくれ』と言うにちがいない。」と言われました。

 人々がカファルナウムでイエスが行った奇蹟の噂で聞いて、郷里の人々が、ここでも見せてもらいたいと思ったいたことを突いたのです。郷里の人々はイエスへの近しさから、特別意識を抱いたのです。ナザレの人々は、自分たちには特権があると思っていたならば、イエスが、ナザレではない他の人々に、特にカファルナウムの人々に与えたということに対して憤慨したのです。それは当時のカファルナウムには、非ユダヤ人が数多くいたからです。

 イエスはさらに言われました。「はっきり言っておく。預言者は、自分の故郷では歓迎されないものだ。」と言われ、旧約の預言者エリヤ(列王記上17:8~14)もエリシャ(列王記下5:1~17)も、神の恵みを非ユダヤ人に与えたことを話しました。

 「エリヤの時代に三年六か月の間、雨が降らず、その地方一帯に大飢饉が起こったとき、イスラエルには多くのやもめがいたが、エリヤはその中のだれのもとにも遣わされないで、シドン地方のサレプタのやもめのもとにだけ遣わされた。」

 エリヤ(B.C.870~850年頃活動)は、北イスラエル王国の七番目の王アハズの時代に活躍した預言者です。アハブは北イスラエル王国の中でも最悪の王で、公然と異教の神バアル礼拝を行いました。エリヤはアハブ王に神の裁きとして干ばつが続くことを予言し、神に命じられテヨルダン川の東にあるケリト川のほとりに身を隠しました。川の水が涸れると、エリヤは神に命じられて、シドンに近い、地中海に面するフェニキヤのサレプタに行き、そこに住む貧しいやもめに養われました。この女の息子が病気になって死んだとき、エリヤは神に祈って、その息子を生き返らせました。「イスラエルには多くのやもめがいたが、エリヤはその中のだれのもとにも遣わされないで、シドン地方のサレプタのやもめのもとにだけ遣わされた」と話しました。

 「また、預言者エリシャの時代に、イスラエルにはらい病を患っている人が多くいたが、シリア人ナアマンのほかはだれも清くされなかった。」

  エリヤの後継者エリシャ(B.C.855~800年頃活動)の時代は、北イスラエル王国ではアハズヤ、ヨラム、イエフ、ヨアハズ、ヨアシュと国王が変わりました。彼は様々な奇蹟を行ったことで知られていますが、アラムの軍司令官ナアマンの皮膚病をヨルダン川の水で癒した(5:1~14)のは、その一つです。

  アラム軍の司令官ナアマンは、王に重んじられる勇士でしたが、重い皮膚病(悪性皮膚病)を患いました。妻の召使いをしていたイスラエル人の少女が、女主人に、「サマリアの預言者のところに行けば、その重い皮膚病をいやしてもらえるでしょう」と言ったことから、ナンマンは王にそのことを伝え、王は承諾を得て出かけ、エリシャの家に来て、その入口に立ちました。エリシャは使いの者をやってこう言わせました。「ヨルダンの川に行って七度身を洗いなさい。そうすれば、あなたの体は元に戻り、清くなります。」それを聞いて、ナアマンは、患者の自分を診ることもしないで、ヨルダン川で身を洗えという、エリシャの指示に憤慨しました。しかし、ナアマンを家来たちがいさめたので、預言者の言葉どおりに下って行って、その通りにしました。すると、彼の体は完全に元に戻り、清らかになりました。エリシャは、治療が呪術によるのではなく、全能の神への信頼によることを明らかにしたのです。ナアマン一行は、ヨルダン川から引き上げてきて、「イスラエルのほか、この世界のどこにも神はおられないことが分かりました。」と言って、イスラエルの神への信仰を告白しました。「イスラエルには、らい病を患っている人が多くいたが、シリア人ナアマンのほかはだれも清くされなかった。」とイエスは話しました。

   このシドンのサレプタのやもめも、シリアの将軍ナアマンも、イスラエルの人々から見れば、ほんとうは救いから漏れていた異邦人です。イスラエルの人々は自分たちが救われるのは、アブラハムの子孫であり、神に選ばれた選民として当然だと思い込んでいました。主イエスはナザレの人々も同じような思い込みに生きていると言われたのです。イエスによる救いは、民族宗教の枠内に制限されるものではなく、それを超えるものであることをエリヤ、エリシャの例で示したのです。

  カファルナウムでイエスが行った奇蹟を、郷里のナザレでも行うべきではないかと思っていた人達は、サレプタのやもめやナアマンのような異邦人よりも神の恵みを受けるにふさわしくないと見做されたのです。神の恵みは、ただ信仰によって与えられるものであり、神の救いはすべての人のためのものです。神がアブラハムと結んだ契約(創世記22:18)によれば、神の恵みはすべての人々に及ぶものでした。それを知っているはずなのに、異邦人は汚れた民としているイスラエルの人々は、神の恵みが異邦人に及ぶことを是認することのできないのです。それは彼らの狭い民族意識によるものであり、彼らの誤った誇りによるものです。

 イエスの説教を聞いた会堂にいる人々は、今や暴徒化し、イエスを町の外へ追い出し、町が建っている山の崖まで連れて行き、突き落とそうとしました。しかし、イエスは人々の間を通り抜けて立ち去られました。故郷で排斥されたイエスはガリラヤの町カファルナウムに下って行き、安息日には人々に教えられました。人々はその教えに非常に驚きました。

 イエスのナザレで受けた排斥は、やがて律法学者やファリサイ派の人達や、エルサレムの民衆によって排斥されることになり、主イエスは十字架と復活への道を歩むことになるのです。このような苦難の道を私たちの救いのために、主イエスは歩まれたのです。

 

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