塚田盛彦のつれづれなるままにサッカー

世界中で親しまれているサッカー。このサッカーをフィルターとして、人間社会の構造に迫っていきたいと思います。

女性専用用具が少ないと思いませんか

2021-09-18 21:03:49 | 日記
 バッシュの代名詞でもあるナイキ。

 ただ1990年代の日本市場、と言いましても高校の部活動に限りますと、学生たちの多くはアシックスの「ゲル・バースト」というバッシュを履いていた、と言います。

 そのゲル・バーストと人気を二分したのは、ナイキのズームフライト5になるはずですが、それはNBAのスター・ポイントガードであるジェイソン・キッドが愛用しただけでなく、日本バスケットボールの第一人者である
 
 「田臥勇太が愛用したから」

 という影響力が強かったんですね。

 WEリーグで初代MVPや得点王に輝いた選手が好きで、その選手が履くスパイクが欲しいと願う女子中学生や高校生がいても、トップの女子選手たちでさえ、男性用ラストの男性用スパイクを履くわけです。

 ですから、次世代の為にも女性用のスパイクは今後、大きな需要拡大という意味合いだけでなく、選手たちの故障防止も含めて販売が急がれます。

 女子バレーボールに女子バスケットボール、そして女子ハンドボール。

 彼女たちもサッカー同様に、基本男性用に開発された靴で練習、試合に挑んでいるのでしょうが。

 ラグビーですとセブンズと呼ばれる7人制が女性にも広く支持されていますが、ラグビーの場合はサッカースパイクでも試合ができます。

 アシックスのメナスがラグビーで確認できるのはそのためでしょうが、彼女たちも男性用スパイクを履いているに違いありません。

 女子だからサッカーはできないよ
 ラグビーは危険だからやめた方が良いな

 という意味のない発言で彼女たちを放り出すのではなく、性別問わずに選手を快適に導ける道具作り、という観点が今後の競技発展につながると思うのですがいかがでしょうか。

 いち早く用具づくりを始めた方が、選手たちも一気に愛用すると思いますよ。
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選手が自分を広告塔にすること

2021-09-18 20:44:06 | 日記
 僕はブログの題材を探す際、スポーツナビ、QOLY、ゲキサカ、フットボール・チャンネル、そして超ワールドサッカーなど、ネットクラムを閲覧します。

 他にもワールド・サッカーダイジェストやアジア・フットボール批評などの書籍を読み直しますが、顕著なのはネットコラムだろうが書籍だろうが、9割9分記事は男子サッカーという点です。

 例えばスポーツナビのサッカー・コラムはJリーグ、海外サッカー、代表と3つに分類されていますが、五輪の際は高倉麻子元監督の采配を軸に、女子代表の記事が閲覧できました。

 またWEリーグ開幕前は、大宮の選手補強が特集されましたが、むしろ開幕後の現在の方が報道量は減少傾向にある気がします。

 ただ名称が変化した、選手たちがプロ契約でサッカーだけで生計を得られる、という形だけでは取り上げるには充分でははい、という意味合いでしょうか。

 ただ、報道する側、テレビ局はこの観点が逆転します。

 男性アナウンサーよりも女性アナウンサーの方が、非常に知名度が高い場合が多い
 カレンダーの販売を軸に、テレビ局も彼女たちを宣伝媒体として認知している
 その形が顕著なのは、早朝からのワイドショー

 のように思えます。

 長野パルセイロもトップ(男子)よりも、レディースの方が選手個人の広報活動に長けているように思えます。

 オーストリアからパルセイロに復帰した泊志保は、オーストリアでも自分たちの活動を広く伝えたいと、自分が媒体となり盛んに広報活動を行っていたと聞きます。

 マスメディアに取材を依頼するのではなく、私たちが広報の主役となる
 自分の行動、言葉でファンに喜んでほしい

 彼女たちの気遣いがリーグの発展、そしてマスメディアの取材に結びつくと良いのですがね。
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WEリーグの開幕に伴い考えた事

2021-09-18 20:24:03 | 日記
 1993年5月15日はJリーグが産声を挙げた日です。

 当時の川渕三郎チェアマンが高らかに開幕を宣言した開幕セレモニー、JSL時代から激しい戦いを繰り広げてきた日産と読売クラブが

 「ヴェルディ川崎対横浜マリノス」

 という、当時のナショナル・ダービーの形で対戦し、リーグ初得点を決めたヴェルディのオランダ人選手、マイヤーの名前は今でも多くのファンが覚えているに違いありません。

 この1993年は、現在のJリーグを語る上で欠かせない土台となりましたし、同時に代表がワールドカップ米国大会出場を逃すという、明暗がはっきり分かれた年でもありますね。

 どうして1993年というおよそ30年前の出来事を思い出したかと言いますと、開幕したWEリーグはこのようなセレモニーが行われなかったためです。

 どうしても人が集まれば新型コロナウイルスの問題が生じますし、パラリンピックも無観客で結果は新聞やテレビで確認という形が一般的でしたから、WEリーグがセレモニーを省いたことは当然かもしれません。

 ただ、11日の初陣だけはJリーグ開幕時のような、1試合だけのメモリアルゲームにして、翌12日から本格的な展開という形があってもよかったように思います。

 信濃毎日新聞を読みますと、長野パルセイロ・レディースを応援したい、活躍してほしいという声は非常に大きいようで、それは過去の積み重ねが現在に生きている証ではないでしょうか。

 ちなみに今日、彼女たちはプロ選手として初めてのホームゲームを迎え、ベレーザと0-0で引き分け、2節を終了しただけですが勝ち点4で首位につけているそうです。

 パルセイロに限らず選手たちの奮闘が、今後バレーボールやバスケットボールなど、他競技のプロ化を促す可能性もあると僕は想像します。
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