塚田盛彦のつれづれなるままにサッカー

世界中で親しまれているサッカー。このサッカーをフィルターとして、人間社会の構造に迫っていきたいと思います。

自分の過去を戦うつらさ

2021-09-25 21:20:17 | 日記
 米国西海岸を代表する歌手スヌープ・ドッグ。

 彼が1993年、スヌープ「ドギー」ドッグという歌手名で発表した最初のアルバム「ドギー・スタイル」

 レコード会社はデスロウ
 総指揮はドクター・ドレ

 という強い後ろ盾があったことは確かですが、楽曲のすばらしさと突き抜ける爽快感は、発売から22年が経過した今でも、全く古臭くない時代を超越した作品として認知されています。

 彼が現在のスヌープ・ドッグ名義で発売した2作目のアルバム「ザ・ドッグファーザー」

 このアルバムではドクター・ドレの協力がなく、発売後にはデスロウを離れるという彼にとっての転換期となりますが、一番厳しかったのは

 最高傑作の作品とそれに続く作品
 そしてどうしても物足りなさが残る

 という購買者の批評ではないでしょうか。

 ディスクガイドの中には

 「ファーストアルバムという最高傑作に、いつまでも首輪をつながれている」

 という評論もあり、今でもドッグは22年前の自作品にがんじがらめ、なのかもしれません。

 それだけ印象の異なる作品を制作、販売することはどんな歌手にも至難というわけですね。

 その自身の過去と向き合うのが、今季ユナイテッドに再加入したロナウドです。

 ユナイテッドの選手たちは、36歳のポルトガル代表が超越した働きを見せていることの驚嘆しているようですが、まだシーズンは序盤戦すら終えておらず、指揮官スールシャールはロナウドの体調を考慮するでしょう。

 それはシーズンの大切な箇所、つまりリーグ戦での大一番やチャンピオンズ・リーグにロナウドのピークを合わせるためですが、この措置はロナウドからすると信任されていない。という不信につながりかねません。

 ジャージの売上だけでも彼の方が、パリに移籍したレオ・メッシを凌駕しているといいますが、ロナウドはユナイテッドで自分の過去と対峙する、という重要な課題も残されていますが。
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敬意という名の贅沢品

2021-09-25 20:58:26 | 日記
 五輪でメダルを獲得した選手
 ワールドカップで日本代表が活躍した時

 インタビュアーは選手に必ず

 「今のお気持ちを聞かせてください」
 「喜びを誰に伝えたいですか」

 と尋ねます。

 僕はあの質問を見るたびに、有名選手でなくてよかったなあと思います。

 サッカー選手も代表クラスになると、女優やキャスターなど花形職業の方と出会う機会が増加し、結婚して父になることが多くあります。

 長谷部誠はこの事例ですよね。

 つまり、彼らは勝利したならば、誰かがその勝利を喜び、そして喜びを選手の側が伝えたい誰かがいることになります。

 それは妻かもしれませんし、同級生や恩師、ユース時代のコーチという形もあるでしょう。

 選手が冗談っぽく

 「いやあ、昨日の勝利の後ラインで祝福の声が凄く届きましてね」
 「返信するだけで相当な時間でした」

 と語ります。

 僕は電話をする相手も、そもそも僕を気にする赤の他人様さえいないので、そんな出来事はこれからの人生に降り注ぐことはまずありません。

 もし僕が何か突発的な出来事のために有名人となったならば、誰かから連絡が来るのでしょうか。

 でもそれは本心やいたわりではなく、単なる

 「何かあいつ有名になったみたいだな」
 「からかい半分で電話しようか」
 
 という意味のない代物です。

 僕は以前、それでも台風や地震が発生した際、連絡が取れる人物には電話で、問題ない、大丈夫かいと声をかけていたのですが、僕の住む千曲市に同様の出来事が発生しても、誰も連絡をくれません。

 その中の一人に

 「僕は君に何かアクシデントが起きたかもしれないと感じた際は、連絡をしているよ」
 「でも、君は何もないね」

 と語ると、君に意見はぜいたく品だねと返され、それ以来僕にとって「敬意」「尊重」という言葉は人生から消えています。

 僕はサッカーが好きですが、暴力的な応援に頼ることを無意味と思うのは、暴力の問題ではなく徒党、つまり数の問題のせいかもしれません。
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人間はフラットに見ることができないですよね

2021-09-25 20:47:32 | 日記
 僕は皆さんとは異なり、ラインに入会していません。

 ただ、SMS(ショート・メール・サービス)だけは使いますし、その機能でSさんという女性と話をします。

 彼女は僕が唯一SMS機能を用いる相手なのですが、高校時代の3年間同じクラスだった同級生なんです。

 5年前、同期会でたまたま再開し、僕が勝手に年賀状を送ったことから連絡をしあうようになりましたが、Sさんはある意味で僕にとって恩人なんですよ。

 高校時代から僕は現在のように、友人も知人も恋人もいない生活を続けています。

 クラスにも溶け込めず、はみ出し者だったわけですが、Sさんはフラットに物事を見ることに長けていた方で、はみ出し者の僕と会話をする珍しい女性でした。

 はみ出し者を話すのは勇気がいっただろうな
 でも、おかげで話し相手がいる頼もしさを知ることができたな
 もし再会することができたら、お礼を言いたいな

 とずっと思っていたのです。

 彼女自身は、僕と話すかどうかは自分自身で決める事と話してくれましたが、たかだか3年間、単なる同じクラスだという理由で、今また僕の話に耳を貸してくれていることに感謝しています。

 そう、人間は物事をフラット、言い換えれば冷静に観察することは難しいですよね。

 1994-95シーズン、三浦知良はヴェルディ川崎から1年の短期レンタルでジェノアに移籍します。

 あの狂乱は今でも摩訶不思議に感じますが、イタリアからすれば日本人など戦力にならない、そもそもどうして彼を獲得したんだという疑念は最後までなくなりませんでした。

 特に指揮官のスコーリオは、ジェノアの生き字引のような人物で、最初から三浦をあてにしてはいなかった、そこには

 ジェノアは古豪で名門である
 ワールドカップとは無縁の日本人に、戦力としての価値は見いだせない

 という誇り、言い換えれば欺瞞があったように感じます。

 アジア人はサッカーが下手
 アジア人はワールドカップとは無縁

 その印象が薄れつつありますが、偏見を取り除くにはまだまだ時間は必要でしょうね。
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