塚田盛彦のつれづれなるままにサッカー

世界中で親しまれているサッカー。このサッカーをフィルターとして、人間社会の構造に迫っていきたいと思います。

セブン・イレブン、パルセイロを支援する

2014-08-26 23:29:42 | 日記
 買い求めしたよ。

 セブン・イレブンで発売されている長野パルセイロ支援商品「信州産りんごのカスタードシュー」

 正直すっかり忘れていたのですが、セブン・イレブンに立ち寄る用事があり、店内を物色している最中に思い出して買い求めてみました。

 たまたま最後のひとつだったのですが、反応は上々なのでしょうか?

 パルセイロのエンブレムは控えめに印刷されていますので、案外気づかずに買い求めた方がいるかもしれませんし、自販機支援と同様に今後も多くの商品が企画、販売されるのでしょうね。

 セブン・イレブンがパルセイロを支援すると聞いて、僕は非常に驚きましたが、これは鈴木社長が長野市に近い坂城町出身ということも影響しているのでしょうか。

 ちなみに僕の住む千曲市の隣が坂城町ですが、ねずみ大根という辛い大根のつゆでうどんを食べる

 「おしぼりうどん」

 が名物として知られています。

 バドゥが指揮をとっていた北信越リーグ時代は長野市篠ノ井が誕生の地ということで

 「AOKI]

 が胸スポンサーだったときがあります。

 実際南長野運動公園周辺にも店舗がありますし、もしかしますと、一番スポンサー収入が多い時だったのかもしれません。

 その後は車雑誌の「MJ」、そして長野都市ガスと胸スポンサーは変化してゆきますが、セブン・イレブンは支援商品を当然ながら

 「北信、東信地区」

 のみで販売し、松本市周辺ではおこなわないようなので、これだけで地域性がサッカーと深いことを理解できます。
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遊び心持ってる?

2014-08-26 01:15:40 | 日記
 海外から来た選手、特にブラジル人選手が治安の良さ、給料遅配の無さ、そして綿密に計画されたJリーグの運営を、手放しで絶賛します。

 その一方で

 1・日本人はまじめで監督の言う事しか守らない
 2・遊び心が少ない
 3・もっと結果を追及して、時には喧嘩したっていいのに

 と指摘します。

 僕も、度々

 「僕も日本人なのか、まじめなのかね?」

 と感じる時があります。

 僕は業務でコンピュータに触れないため、自分でも不得手と強く認識しています。

 その為に自宅で自分なりに練習をするのですが、教本とにらめっこする、教本通りにワード、エクセルが完成しないと、ため息をついて自分を責めて旗糞だなと痛感してしまうのです。

 ですので最近は

 「肩肘張らないで遊んでみよう」

 ということで、アイコンをクリックする、教本を見ないで作業をすると言うような形にしています。

 子供たちがボールと戯れて扱いを学ぶように、僕はキーボードを叩く、クリックすることで自分の中にある下手くそという意識を、どこかに吹き飛ばそうとしています。

 選手の身勝手なプレイは確かによくありません。

 ただ、遊び心が相手の急所を突く、言い換えれば味方も敵も想像できないプレイをすることは、観衆が

 「今日来て良かったよ」
 
 と思って貰える形には近づけます。

 気を張り過ぎるのも、確かに疲れてしまいますしね。
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病魔に襲われたサッカー選手達

2014-08-26 01:06:09 | 日記
 両親と共に

 「本当に可愛い猫だった」
 「もっと早く病気に気づいてやれれば良かった」

 というように、他界した猫の思い出や不要になったものの整理をしています。

 サッカーでも、まだ現役でありながら病魔に侵され、無くなった選手もいれば、メディカル・チェックでは何の不備もなかったのに、突然死に襲われた選手もいます。

 2003年のコンフェデ杯で無くなった、カメルーン代表のマユク・ヴィヴィアン・フォエがそうでした。

 イタリアですと、近い将来

 「パオロ・マルディーニからポジションを奪うかもしれない逸材」

 と謳われたフォルトゥナートという選手がいました、

 1990年代のイタリアではパオロ・マルディーニがレフト・フルバックの第一人者として知られていましたが、トリノからミランに移籍すしたジャンルイジ・レンティーニとフォルトゥナートも、その実力を認められていました。

 でも、彼はユヴェントス在籍時に

 「リンパ性白血病」

 に侵されていることはわかり、ワールドカップ94への参加ができませんでした。

 そして病気に打ち勝つ事が出来たにも関わらず、体力と免疫力が低下している最中に急性肺炎に見舞われ、この世を去るのです。

 彼はユヴェントス移籍の前にはコモとピサ、ジェノアに在籍し、自分の力を一歩ずつ、大切に高めてきた選手で、95年に9季ぶりの優勝を味わったユヴェントスは、フォルトゥナートの事を常に考えていたと言います。

 レンティーニも交通事故に遭い、思うようにキャリアを築けなかったのです。

 マルディーニが両名の事を口にしたことは無いと思いますが、サッカーでも実生活でも、突然の病魔に襲われた時にこそ、本来の人格が現れるように感じます。
 
 (参考資料 日本スポーツ企画出版 サッカー・ダイジェスト レジェンド 伝説のライバル)
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