塚田盛彦のつれづれなるままにサッカー

世界中で親しまれているサッカー。このサッカーをフィルターとして、人間社会の構造に迫っていきたいと思います。

サッカー雑誌全盛の時

2014-08-16 22:31:17 | 日記
 当時にサッカー雑誌というのは、ある種のコミュニケーション・ツールでした。

 その内容はと言いますと

 1・サッカー専門店の通販広告の掲載
 2・新作サッカービデオの紹介
 3・読者ページに寄せられたはがきの紹介と要望コーナー
 4・要望コーナーでは「売ります・買います」「サッカー・チーム探してます」「フットサルしませんか」など、ファンの交流が盛んだった

 という形なんです。

 当時は携帯電話が普及しておらず、インターネット通販など夢物語です。

 ですから店舗紹介では電話番号が掲載されていても、メール・アドレスの表示はなく、時間を守って皆が商品問い合わせを電話していたものです。

 他にもサッカー・カードの紹介や、今でもありますが読者プレゼントコーナーなど、雑誌が今でいう所の

 「ソーシャル・メディア」

 だったのです。

 僕は山梨学院大学時代、ヴィクトリア・スポーツ、カムイ・スポーツといった大手のスポーツ店から、個人商店まで幾度も自転車で回り、休日を楽しんでいたものです。

 僕は今でも通信販売をしないので、実際に見て回ったことで審美眼を養えたような気がします。

 また、当時からブックオフを軸にサッカー雑誌を麻っていまして、当時入手したものは、「100円」という値札が付いており、とても懐かしく感じます。

 今でも甲府を訪れる際は、昔通った本屋を探してしまうのも、自分では苦笑いしてしまいますが。
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サッカー雑誌から見るスパイクの流れ

2014-08-16 22:22:18 | 日記
 古いサッカー雑誌を眺めていると、サッカースパイクの流れが見えてきます。

 1990年代前半ならば、アディダスとプーマ、アシックスの需要が非常に高いことがわかりますし、ディアドラ、ロット、クロノス、ヴァルスポルトなどもよく見かけます。

 これが1990年代中期になりますと、ディアドラがカラー・スパイクを提案するんですね。

 従来の黒皮に白のブランド・ロゴから脱皮する形で、赤いボディに白のブランド・ロゴは、ジョルジュ・ウエアが履くことで、大きな脚光を浴びました。

 それはウエアがバロンドールを獲得するほどの、優れた選手だったことも影響しています。

 1990年代後半になりますと、ナイキの露出が非常に多くなります。

 ちなみにフィラが最盛期だったのもこの頃で、仲田英寿、ファン・ベロン、そしてジャンルイジ・ブッフォンなど、契約選手の履く姿が広告に見てとれます。

 中田はローマ移籍後、ナイキを履くようになります。

 どうしてあれだけのシェアを誇っていたフィラが、一気にサッカー市場から撤退したのか、正直わかりかねますが、それだけブランドの競争が厳しいと言う意味でしょうか?

 勿論、アンブロやル・コック、ミズノの広告もよくみかけますし、通販では

 「クリックス・ヤスダ」

 の姿も見えます。

 この時期はリーボックも非常に人気があり、ギグスにラウル、日本代表の岡野が愛用していることでも有名でした。

 ミズノはジャンフランコ・ゾラやジェイミー・レドナップ、そしてドワイト・ヨークを支援している事でも有名でしたが、改めて振り返りますと、その選手たちが皆引退していることに、愕然としてしまうのですが。
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デニウソン、その天文学的な移籍金

2014-08-16 22:12:33 | 日記
 1998年、レアル・ベティスがサンパウロに支払った50億円の移籍金が

 「天文学的数字」

 と批判されました。

 ベティスが獲得を打診したのはワールドカップ98にも出場したデニウソンで、彼は2002年のワールドカップにもエントリーし、世界王者となりました。

 デニウソンは左利きの選手で、その卓越したドリブルの素晴らしさが評判でしたが、アルゼンチン代表のアリエル・アルテがと同様に、

 「ボールを持ち過ぎ」
 「欧州のリズムにあっていない」

 とさんざん酷評されました。

 デニウソンも場合は、50億円の男という肩書がどうしても彼について回り、少し精細を欠いただけで金額に見合っていないと批判されていたのが、今でも印象に残っています。

 彼の遺跡から15年。

 もはや50億円と言う金額は、金満クラブからすれば単なる

 「はした金」

 になっています。

 今では100億円の移籍金が珍しくなくなりつつありますし、マンチェスター・シティがレオ・メッシ獲得のために、200億円をバルセロナに提示したことがあったはずです。

 でも、選手と代理人は口ぐちに

 「移籍金の影響はないよ」

 と答えます。

 でも僕が選手の立場ならば、もうお金の話だけでまいっていまうでしょうし、下手をすれバうつ病になってしまうかもしれません。

 移籍金と言うのは確かにクラブ間でのやり取りですが、選手の立場からすれば適性な移籍金であることを祈ると思いますし、そうでなければ精神に大きな負担がかかってしまいます。
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限定された公的イメージを保つむずかしさ

2014-08-16 01:33:57 | 日記
 先程放送を終えたテレビ朝日系列で放送されている「匿名探偵」

 今回は花形女性アナウンサーの周囲で起きた事件を、探偵が解決してゆくというものでしたが、誇張している部分はあるにせよ、女性アナウンサー同士の諍いはやはりあるのでしょうね。

 女性アナウンサーが花形だと言えるのは、報酬はともかく何度も行われる面接を突破し、名門と呼ばれる大学、女学院を卒業していなければ、出発点にすら立てないことからもわかります。

 でも、

 「限定された公的イメージ」

 の中で暮らすのは、僕たちが思う以上に神経を使うと言えます。

 サッカーの世界でも、この公的イメージを選手が守るように言われていてますし、クラブ広報は選手達が取材、インタビューに答える際の模範解答や服装、嗜みを伝えています。

 でも、そのイメージ、言い換えれば選手の資質とは異なる個性を順守しすぎると、逆に

 「この選手はこんなはずじゃない!」

 という反発を生んでしまいます。

 でも、この現象、勝手に

 「この選手はこうだよね」

 と思い描く、僕たちサッカーを観る側の問題であり、選手本人を勝手な億層、想像の世界に縛り付けることは出来ませんし、その価値観の相違で糾弾することはあってはなりません。

 ベッカムがレアル・マドリードに移籍した際

 「肖像権の有無」

 を頑なに尊重しました。

 今のサッカーは選手の実力よりも、代理人の発言、そしていかに肖像権、言い換えればファンに良い印象をもってもらえるかが、選手生命を伸ばす要因になります。
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