ゆーぱの部屋 ~幸福の科学の教えから~
幸福の科学の教え(大川隆法先生の書籍)で、みなさまの人生の悩みや疑問などを解決するお手伝いをします。
 



悪魔とか、悪魔祓いとかって、ほんとにあることなの? なんーて疑問もってる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『エクソシスト概論』――あなたを守る、「悪魔祓い」の基本知識Q&A(幸福の科学出版)のまえがきで、次のように説いておられます。

 毎年夏になると、悪霊、悪魔もの、そしてエクソシスト系の映画やドラマが増えてくる。ゾクゾクっときて、自然冷房で涼みたいところもあるのだろうが、日本では特に、先祖供養とも関連するお盆の風習や、墓参り、怪談の伝統等もあるのだろう。
 「エクソシスト」というと、通常カトリックの神父さんが、悪魔が取り憑いた人や家族を救おうと儀式で死闘するシーンが想起される。イエス自身も「サタンよ、退け!」と一喝するシーンが新約聖書には出てくる。
 反面、神のため、教会のため、十字軍のリーダーとして活躍してイスラム教徒軍に大打撃を加えたのに、妻が死に、神を呪ってドラキュラになる、悪魔誕生の物語もある。
 日本神道的には陰陽師、仏教では呪力を持った密教僧がエクソシストにあたるだろう。本書は通例キリスト教的に扱うエクソシズムを仏教的に取りまとめてみた。新しいテキストになるだろう。
(1~2ページ)

『エクソシスト』という、かなり怖い映画が、昔あったと思います。

わりに最近も、『ザ・ライト -エクソシストの真実-』という映画がけっこうヒットしました。

悪魔というのはほんとうにいるのだ、そして、これと戦っている人々(エクソシスト)も現実に存在しているのだ、ということが、こういう映画の形であらわされているのだと思います。

そして、幸福の科学においても、このエクソシズム(悪魔祓い)が実際に行われているわけで、そのための基礎知識が、大川隆法先生の手によりテキストの形でまとめられたというのです。

悪霊とか悪魔とかいう存在や、その祓い方に興味がある方にはもちろん、そういうものと縁をもたないための常識を身につけたい方にとって、とても勉強になる書籍ではないでしょうか。

いずれにしても本書は、なんらかの形で宗教に関係している方、必読の書籍であると改めて私は思っているのです。
 

『エクソシスト概論』

 大川隆法著


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笑顔を見せるといいって言われるけど、でも、そんなのの何がいいのよ? なーんて疑問もってる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、子ども向け書籍『しあわせってなあに 第1巻(新版)』(幸福の科学出版)で、こう教えておられます。

あなたも、お父さんやお母さんを見ていて、
お父さんや、お母さんが、
とっても明るくてきげんがいいと、うれしいでしょう。

同じように、
あなたがとっても明るくてきげんがいいと、
お父さんやお母さんはよろこんでくれます。

あなたのきげんがよくて、
あなたが、
にこにこにこにこと、
えがおをあふれさせていると、
お父さんやお母さんも、
思わずしらず、
にこっにこっと
わらってしまいます。

そして、そうした、
にこにこっとしたわらい顔が、
いろいろな人のところにうつっていきます。

むずかしいことばでは「伝染する」と言います。
伝染するっていうのは、(中略)
ふつうはおそろしい病気がうつることを言います。
でも、
おそろしい病気だけが伝染していくわけではありません。
おそろしいばいきんだけが、うつっていくわけではありません。

そうではなくて、
ほんとうにすばらしいもの、
ほんとうに美しいもの、
ほんとうに明るいもの、
ほんとうによろこびにあふれたもの、
こうしたものも、人から人へと伝わっていくのです。
(36~39ページ)

この紹介をご紹介するたびに思うのですが、こんなふうに小さなこどもがわかるように話せたら、それこそ、どんな人にも大事なことを伝えられるようになるんじゃないでしょうか。

でもそれは、伝えたい中身が、人生において大切なことであればあるほど、それほど簡単なことではないように思えます。

さてそこで、笑顔でいれることの大切さ、です。

今日のお教えを受けて、毎日出会うみんなにいつも笑顔を見せてあげようと、改めて私は思っているのです。
 

『しあわせってなあに 第1巻(新版)』

 大川隆法著


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民俗学って学問があるんでしょ。それって、どうなのかね? なーんて疑問もってる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『日本民俗学の父 柳田國男が観た死後の世界』(幸福の科学出版)のまえがきで、次のように説いておられます。

 わずか百年余りで時代はずいぶんと変わり果てた。柳田國男が聞き書きをした『遠野物語』にしても、この内容を額面通りに現代に投影してイメージできる人は限られているだろう。
 宗教家でもあり、日常茶飯事のように心霊体験をしている私であっても、柳田の語る夢幻の世界を、百%のリアリティをもってイメージすることはできないでいる。私が観て、感じて、聞いた死後の世界は、もう少し論理的で明快なものである。
 それゆえ、ドロドロとした恐ろしげな世界が霊界だと思い込んでいる人たちには、水族館でガラス越しに魚類を観ているように感じられるようだ。とまれ、民俗学が神秘の世界の存在を護る防波堤になっていることを認め、何らかの橋渡しの役割をしたいというのが本書出版の趣旨である。
(1~2ページ)

柳田國男が紹介する夢幻の世界と、大川隆法先生が明快に紹介される霊界や死後の世界とは、違うものに見えるようである。

しかし、だから間違っているとかいうことではなくて、民俗学には「神秘の世界の存在を護る防波堤」としての役割がある。

本書で、民俗学と仏法真理との橋渡しをしたい――。

後世の人がいろいろ研究した解説を聞いたりするよりは、一つの学問の源流になったご本人の話を直接、ナマの形で聞かせていただくことで、どういう考え方に基づいた学問なのかが、とてもクリアにわかってきます。

それがまた、現代日本語でわかりやすい書物となっているというのも、ほんとに凄いことです。

本書は、民俗学という学問がもつ不思議さの理由とか、そんな学問を創った人は実際にはどんな人だったのか等々、民俗学というものに対する疑問がこれ一冊で解消する名著ではないかと、改めて私は思っているのです。
 

『日本民俗学の父 柳田國男が観た死後の世界』

 大川隆法著


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お金持ちは天国に行けないんでしょ。みんなが中流の生活をしてればいいんであって、一人だけお金持ちになっていくって、よくないことだよね? なーんて疑問もってる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『発展思考(新版)』(幸福の科学出版)で、次のように教えておられます。

 貧しい人々で社会の大部分が占められているような時代に、もし、その貧しい人々の限られた食料や金銭を搾取する、一握りの人たちがいたならば、それが領主であれ、代官であれ、何であれ、人々の怨嗟の的となったことでしょう。そして、彼らに恨みを向け、攻撃することが、正義とされることも多かったでしょう。
 そういう時代には、貧しさの公平分配のみがあり、富裕な階級にある者は貧しい人々の恨みのなかを生きていたわけです。
 ところが、近代社会において、事情はずいぶん変わってきました。「貧しさの公平分配ではなく、豊かさの公平分配を目指す」という社会が出現してきたのです。
 では、いったい、なぜ、豊かさの公平分配ができるようになったのでしょうか。
 この百年余りの近代国家の動きを見てみると、それは、「一握りの優れた起業家たちが出て、大きな事業を起こし、その事業によって、裕福になる人をたくさんつくり出した」ということに原因があるように思います。
 日本においても、明治以降、素晴らしい起業家が数多く出ました。その結果、社会が繁栄したのです。それはアメリカにおいても同様です。(中略)
 ここ百年余りの人類の歴史で特に目立つのは、優れた起業家あるいは経営者と言われる人たちの出現なのです。
 ここで、私は次のことを明確にしておきたいと思います。
 それは、「通常、宗教において批判の矛先を向けられがちな『金儲け』と、『優れた経営』とには、若干の差がある」ということです。
 もし、「金儲け」というものが、個人が私腹を肥やすためだけのものであり、他の人が誰も幸福にならないのであるならば、それは、確かに、人々の恨みを買うに十分かもしれません。
 しかし、ひとたび、優れた起業家や経営者が出て、数千、数万、数十万の人々を養えるような大会社をつくっていったとしたら、どうでしょうか。
 一人の人間が、多くの人々の生活や幸福を保証できるようになったとするならば、そして、自分の会社のみならず、社会全体へ富を配分できるようになって、国家の力をも押し上げたとするならば、さらには、その国家の力が、国家のなかにとどまることなく、全世界に広がっていき、他の貧しい国の人々をも救える力を有するに至ったとするならば、さあ、その力を、いったい何と評価しましょう。
 その力の源泉となっている富は、明らかに、宗教的に悪とされる「金儲け」とは違ったものになっているはずです。それは、善悪のなかの善、それも、圧倒的なる善に転化していると思います。
 すなわち、「優れた経営など、多くの人々を養い、幸福にしていくための経済原理、および、その行使は、善である」ということなのです。
(141~144ページ)

近代社会において、貧しさではない豊かさの公平分配を目指す社会が出現してきたのは、優れた起業家たちが大きな事業を起こし、その事業によって裕福になる人をたくさんつくり出したからである。

宗教において批判の矛先を向けられがちな“金儲け”と、「優れた経営」とには違いがある。

優れた経営など、多くの人々を養い、幸福にしていくための経済原理とその行使は、善である──。

要は、優れた起業家、優れた経営者が出て、数多くの人が生活できるような大きな事業を起こし、人々を幸福に導いていくことは、宗教的にみても善である、ということだと思います。

つまりは、お金持ちになることそれ自体が悪いなんてことは、ぜんぜんない。

その志(こころざし)はどうなのか、つまり自分のためだけなのか、それとも多くの人々のためなのか、というあたりにポイントがありそうです。

いずれにしても、「優れた起業と経営」で世の中を経済面からユートピアに変えて行く人が、一人でも多く出てきてくださいますようにと、改めて心の底から私は思っているのです。
 

『発展思考』

  大川隆法著


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世界各地で起きている紛争って、背景に宗教の争いがあることが多いんじゃないの。やっぱり、どれからの宗教は神様が指導してるんだったら、他の宗教は悪魔が指導してることになるのかなあ? なーんて疑問もってる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『死んでから困らない生き方』(幸福の科学出版)で、こう説いておられます。

 キリスト教などでは、「神」は一人であるのに対して、「天使」というと、大勢いることになります。
 当会の世界観で他の宗教と異なっているのは、霊的な存在について、段階の違いがありながら、同時に、多様な存在があることを認めているところです。このことは「神」にも当てはまるのです。
 ところが、世界の各宗教を見ると、今、主流というか、メジャーであるのは、一神教といわれるものです。これは、「神は一人であり、それ以外の神は偽物である」という考え方です。
 キリスト教やイスラム教は一神教ですし、ユダヤ教もそうです。こうした一神教が、たまたま、今、先進国に広がっているため、「宗教としては一神教のほうが進んでいる」と考えられています。
 そして、「多神教的な宗教を持っているところ、例えば、インドのように神がたくさんいるところは遅れている。また、『古事記』『日本書紀』等を読むと、日本にも神は大勢いるが、そういう八百万の神々がいるようなところは遅れている」と見るわけです。このように、「一神教がすごく進んでいる」と捉えがちです。
 しかし、当会の霊界観は、そういうものではありません。
 やはり、「神」と呼んでもいいような、霊格の高い高級存在がいます。それを、「神」ではなく、「天使」や「大天使」と呼ぶこともあれば、「菩薩」や「如来」と呼ぶこともありますが、いずれにせよ、霊界には、地上の人間から見ると、遙かに神に近い高級存在として、いろいろな種類の霊人が現実に大勢いるのです。(中略)
 「われらの神こそ本物だ」と言う宗教は、あちこちにあるのですが、数多くいる天使、あるいは如来や菩薩たちのうちの誰かが、その宗教の教祖を指導していて、「われが神だ」と言っている場合、教祖のほうは、「その人しか神はいない」と思ってしまいます。それで一神教になっているのです。
 そのため、小さな新宗教にも一神教はたくさんあります。だいたい、それが普通のスタイルです。
 したがって、「一つの宗教だけが正しく、ほかの宗教は、全部、間違っている」というわけではありません。宗教の違いの多くは、「誰が指導しているか」ということの違いにすぎないのです。
 宗教が一神教になりがちなのは、そうしないと、教義や教団の行動方針が混乱しやすいからです。複数の霊人たちが、それぞれ違うことを言うと、話の内容が、あっちに行ったり、こっちに来たりして、今風に言うと、ブレやすいのです。
 宗教では、よく、「神同士が喧嘩をする」という言い方をするのですが、そうならないようにするため、神を一人に絞ることが多いわけです。
 それが一神教の発生原因です。
 宗教は、たとえ今は大きくなっていたとしても、発生当時を見ると、ほんとうに小さなものです。(中略)それが、何千年かたつうちに大きくなり、各地に広がって、世界的な宗教になったときには、その小さなところに降りた神が、世界的な神のように言われ、他の神を排除するような状態になるわけです。それが、宗教的な紛争などの原因にもなっているのです。
(112~118ページ)

世界の宗教で今メジャーな一神教が、たまたま先進国に広がっているため、宗教としては一神教のほうが進んでいて、多神教的な宗教のインドや日本は遅れていると捉えられがちである。

しかし、天上界には「神」と呼べる霊格の高い高級存在が大勢いて、「天使」や「大天使」、「菩薩」や「如来」と呼ぶこともある。その誰かがある宗教の教祖を指導して「われが神だ」と言う場合、教祖はその人しか神はいないと思ってしまうため、一神教になっているにすぎない。

したがって、一つの宗教だけが正しいわけではなく、宗教の違いの多くは、誰が指導しているかの違いにすぎない。それが何千年かたつうちに大きくなり世界的宗教になったとき、他の神を排除する状態になるのが、宗教紛争などの原因にもなっている──。

一見するとさりげなく解説されているように感じられるかもしれませんが、でも、ここで説かれているのは、世界で起きている数多くの紛争を思想的に解決するキーポイントではないでしょうか。

それは、真実の霊界の様相を、現代の言葉で明快に説き明かした世界観であるわけですが、それこそが、真に世界を平和にすることができる教えでもあるわけです。

この教えを見たとき、大川隆法先生が率いられる幸福の科学(Happy Science)こそが、人々が平和で幸福に暮らせる真のユートピアを、本当に世界に創り出せる宗教であることが確信できると、改めて強く私は思っているのです。
 

『死んでから困らない生き方』

 大川隆法著


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三角関係になっちゃったんだよね。もう板挟みで、決めようがなくって、ものすごく苦しいんだよね。どうしたらいいのかなあ? なーんて悩み抱えてる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『生命(いのち)の法』(幸福の科学出版)で、こう教えておられます。

 人生を苦しめているものの大部分は感情的な葛藤であることが多いのです。
 そして、人間関係が三角関係や四角関係になり、価値観の板挟みになることは、恋愛だけではなく、仕事においてもあります。そのときには、気持ちを整理しないかぎり、仕事は前へ進まないことがあります。
 その意味で、仕事においても、論理を立てようとすることが大切です。(中略)
 「自分の人生にとって何が大事なのか」ということを考えたならば、次に、それを基準として優先順位を決めることです。
 そして、どうしても選ばなければいけない状況になった場合には、優先順位の高いほうを選べばよいのです。どの選択肢も価値を含んでいることが多いのですが、自分として優先順位の高いほうを選んでいけば結論は出てきます。
 たとえば、前述したドラマに登場する、主人公の男性は、「かっこよくて、頭もよく、仕事もできて、お金も地位もある」という人物であり、結婚相手としてすべてが揃っているので、ほかに選びようがありません。このような男性が相手であるなら、結論を出すことは、わりに簡単なはずです。
 普通は、そうではなく、かっこいい男性はお金がなかったり、お金がある男性は性格がいやらしかったりするものです。女性は、結婚相手を選ぶときに、「外見」「お金」「優しさ」などの条件を挙げるでしょうが、普通は、どれかを選択しなければいけないのです。そして、その選び方は一律ではないので、自分なりの優先順位を付けなければいけないわけです。
 一方、男性は、結婚相手を選ぶときには、やはり、「美人がいい」と思うものですが、同時に、「賢い女性がいい」と考える人もいます。しかし、美人で知的な女性となると、選択肢はぐっと減ります。美人というだけで、五人に一人、あるいは十人に一人ぐらいになるでしょうが、そこに、「頭がよい」という条件が加わると、そのまた十人に一人もいないのです。対象は、あっというまに、百人に一人ぐらいにまで減っていきます。
 さらに、「家柄のよい女性がいい」「お金のある女性がいい」「人柄のよい女性がいい」などと言うと、対象者はずっと減って、相手を選べなくなります。
 したがって、結婚相手を選ぶときには、自分の人生のポリシーと親和性のある考え方を立て、それを基準として優先順位を付けることが必要です。
 そして、優しい女性がよいのか、学歴のある女性がよいのか、お金を持っている女性がよいのか、「最後に一つだけ選ぶとしたら何にするのか」ということを決めて、選ぶべきものは選び、捨てるべきものは捨てなければいけません。
(28~31ページ)

人生を苦しめているものの大部分は感情的な葛藤であることが多いから、論理を立てようとすることが大切である。

自分の人生にとって何が大事なのかということを考え、次に、それを基準として優先順位を決めることである。

そして、どうしても選ばなければいけない状況になった場合には、優先順位の高いほうを選び、選ぶべきものは選び、捨てるべきものは捨てなければならない――。

説法されたころに流行っていた「冬のソナタ」という韓国のテレビドラマを題材にとって、恋愛の悩みを中心に、その対処の仕方について説かれたお教えの部分です。

単に感情に流されて、その葛藤で悩み続けるのは、あまり賢い人生の生き方ではないと思います。

「論理を立てる」というと、なんだか難しく感じる人もいるかもしれませんが、「自分の人生にとって何が大事なのか」ということを考え抜いて、人生の優先順位を決めること、と理解すればよいのだろうと思います。

人生ですべてを獲得することはできないのだから、選ぶべきものは選び、捨てるべきものは捨てるというのも、人生の師である大川隆法先生が教えられる、大事な一つの悟りでもあるのだろうと私は思っているのです。
 

『生命の法』

  大川隆法著


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ノアの箱舟って、映画でもやってたりしたけど、あれってほんとにあった話なのかね? なーんて疑問もってる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『「ノアの箱舟伝説」は本当か』――大洪水の真相(幸福の科学出版)のまえがきで、次のように説いておられます。

 近年は集中豪雨が多い。それによる街の冠水が世界的に報告されている。果たして地球温暖化によるのか。台風、ハリケーンなどの暴風雨も多い。地震などの大津波なども記憶に新しい。
 この小文を書いている日の前夜も、日中の三十五、六度の熱暑の影響もあろうが、東京は突然の大雨と、多発する雷の轟音に、おびえる声が満ち満ちた。大雨の中、建設中のビルのクレーンに落ちる雷が、なぜかノアの大洪水と、その後の神の怒りに触れたバベルの塔の物語を想起させた。
 本書に登場する預言者ノアは、ノアの洪水とアトランティスの海没との意外な近時性をにおわせている。記憶が旧くなった魂であるがゆえに、所説の正確さは測りがたい。しかし、「預言者を通じて語られる神の言葉を信じない人類への神罰」という論点の再考は、十分促すに足る内容であろう。
(1~2ページ)

あの旧約聖書の「ノアの箱舟」で有名な、預言者ノア、その人が登場して、大洪水と箱舟の真相を語った(つまり「霊言」した)書物です。

「預言者を通じて語られる神の言葉を信じない人類への神罰」という論点の再考は、十分促すに足る内容であろう”というお言葉は、ちょっと意味をとりにくく感じます。

要は、神の言葉は「預言者」を通じて語られるわけですが、ノアの箱舟の伝説のように、預言者が伝える神の言葉を信じない人類には神罰が下って滅びてしまう、という話は昔からあるわけです。

そして、本書の内容こそは、その「神罰」が本当にあり得るものであること、そして人類はそれを怖れるべきことを、改めて考え直すようにとしっかりと促している。

そのように、現代の「預言者」でもある大川隆法先生は、ここで述べておられるのだろうと思います。

いずれにしても本書は、おそらくは神を信じてはいない人々が制作したスペクタクル映画などよりも、はるかに神話の世界の真実を教えてくれるのではないかと私は思っているのです。
 

『「ノアの箱舟伝説」は本当か』

 大川隆法著


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ね、「憑依霊」なんて聞いたことがあるんだけど、それって、ほんとにいたりするのかな。怖いよね? なーんて疑問もってる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『地獄の方程式』(幸福の科学出版)で、こう説いておられます。

 私は一九八一年の三月に霊的な現象を実体験し、霊界の様子が分かるようになったわけですが、その後も五年あまり、この世での生業として会社生活をしていました。
 その間、私は、「霊的な実相感覚と、この世の実社会での感覚とは、ずいぶんずれがあるものだ」ということを、常々、実感していました。
 この世を去った人たちは、今もなお意識を持って生活しています。彼らは肉体的頭脳もないのに考えることができ、意見を言うことができます。生前の考えを引き継ぎながら、死後に自分が体験したことなどを追加経験として持ち、独特の意見を持っています。そういう人たちが、この世と混在した世界のなかで生活しているのです。
 しかも、不思議なことに、あの世の世界からはこの世の世界が見え、あの世の霊には、この世の人の考えていることが手に取るように分かるにもかかわらず、この世からは、霊的な感覚を持っている一部の人を除いて、あの世がまったく見えません。「幽霊を見た」などという話がときどきあるように、特殊な場合には見えることがあっても、普通は見えないのです。
 私は霊的な体験を重ねながら会社に勤めていたのですが、霊的な話というものは、まるで正反対の世界というか、この世では信じられないような話なので、当然、そういう話を会社でするわけにはいきません。
 しかし、仕事をしていると、私には周りの人の霊的なものが分かり、不思議な感じがしました。一つの課のなかで机を並べている人たちに、いわゆる憑依霊が憑いているのがよく分かったのです。
 そして、私が仕事をしていると、その憑依霊が私にいろいろと話しかけてくるのです。これにはほとほと辟易しました。席替えができないため、憑依霊の憑いている人が近くの席にいると、本当に困ったのです。
 特に、性格的に非常にきつい人の場合は、憑依霊の数が一体どころではなく、もっと多いのです。四体から六体ぐらいの憑依霊が憑いている人がいて、いろいろな霊がその人を中心に動いていました。
 憑依においては、その人の心と同通する霊がやってきて、小判鮫のようにくっつくのです。
 人に対して非常にきつく、阿修羅波動を持って生活しているような人は、だいたい顔つきや言葉もきついのですが、そういう人には、やはりそのたぐいの霊が憑いていました。戦場で戦って亡くなったような人や、斬り合いをしたような武士などの不成仏霊が、“お客さん”として、いつもその人のそばにいたのです。
 女性には女性特有の憑依霊もいました。憑依霊を持っている女性の場合は、不思議なことに、お化粧をしている顔が、ふっと二重になって見えるのです。その人に憑いているものの姿がぱっと見えるわけです。
(18~21ページ)

この世を去った人たちは、肉体的な頭脳もないのに、今もなお意識を持って生活している。生前の考えを引き継ぎながら、死後に自分が体験したことなどを追加経験として持ち、考え、独特の意見を持ち、この世と混在した世界のなかで生活している。

大悟してから5年あまり会社生活をしていたときには、机を並べている人たちに憑依霊が憑いているのがよく分かった。

その人の心と同通する霊がやってきて、小判鮫のようにくっつく。人に対して非常にきつく阿修羅波動を持って生活しているような人は、そのたぐいの霊が憑いていた。憑依霊の数が一体どころではなく、4体から6体ぐらい憑いている人もいた――。

大川隆法先生は、出家して幸福の科学を設立される以前、会社員として生活しておられた時代に、数多くの憑依霊の生態を、実体験として観察されていました。

霊というのは実在するというよりも、私たち人間の本体はじつは霊であるわけで、霊が肉体の中に入って生活をしているのがこの世の人生だ、というのが正確なのかもしれません。

そして、死んでからあの世に還らず、この世の人に憑依してしまう「憑依霊」というものも、実際に存在するわけです。

でも、そこには「波長同通の法則」が厳然として存在していて、その人の心と同通しなければ、いくら霊がそこここにいたとしても憑依されることはないわけです。

ということは、憑依霊なんて怖れる必要はないのであって、私たちは、そんな霊と同通するような心をもたないように心を整えておけばよいのだと、私は思っているのです。

『地獄の方程式』

 大川隆法著


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ねえ、「神秘学」なんて学問が、あるのかなあ? なーんて疑問もってる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『神秘学要論』――「唯物論」の呪縛を超えて
(幸福の科学出版)のまえがきで、次のように説いておられます。

 いわゆる「神秘学」には、様々な心霊現象、オカルトの歴史、魔法や超能力、呪術や各種宗教の秘儀にあたるものが含まれるので、要点を概説するのはそんなに簡単ではない。
 本書は幸福の科学の活動に併行して現れて来た心霊現象の要点部分を、宗教としての幸福の科学の核心に迫るための一つのアプローチとして捉えたものである。教祖学や教義学の一助となれば幸いである。
 最近は、利益追求を目的とする株式会社の発行する週刊誌などが、表現・言論・出版の自由を濫用している。単なる心霊現象の一端と、教祖としての神霊能力の区別がつかない報道が多いようだ。「嫉妬心」が集まれば「正義」になると短絡的に考える悪しきマスコミ論理や売文商法がそこにはある。憲法にいう信教の自由とは、基本的人権とも密接不可分であると同時に、真理探究の手段でもあるのだ。
(1~2ページ)

ものすごく数多くの霊言集を、大川隆法先生は出し続けておられるわけですが、「霊言」とはいったいなんなのかを、理解できていない方も多いと思います。

大川隆法先生の霊言能力は、ちまたのイタコなどによる“心霊現象”とはまったく違って、「教祖としての神霊能力」です。

だからこそ、有史以来あらわれたことがないほどの質と量で、毎年毎年、数えきれないほどの霊言集が、刊行され続けているわけです。

そのほんとうの意味が、「幸福の科学の活動に併行して現れて来た心霊現象の要点部分」がとりまとめられた本書を一読することで、興味深くおもしろく、しかもあっという間に理解できると、私は思っているのです。
 

『神秘学要論』――「唯物論」の呪縛を超えて

 大川隆法著


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経営者って忙しいんだから、勉強する時間なんて、とれないのが普通だよね? なーんてこと考えてる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『未来創造のマネジメント』(幸福の科学出版)で、こう教えておられます。

 トップは、あまり怒られませんが、その代わり、トップには会社の倒産というものが待っています。その前に、まず、減収減益、赤字決算があり、そして倒産が来るわけです。非常に厳しいことですが、勉強し続けないと、生き残ることはできないのです。
 勉強し続ける方法の一つは、前述したように、目を通して読むことです。本や週刊誌、新聞などをよく読んで、情報を取ることが一つです。
 もちろん、テレビ番組にも、よいものはたくさんあるでしょう。
 経営者が忙しいのは分かっていますが、「忙しいなかで、いかにして、精選された情報を取るか」ということが大事です。
 これを心掛けていないと、アイデアが枯渇しますし、ほかの企業が行っていることを知らないまま過ごしてしまうことがあるため、まずは、「目を通して、読んだり見たりする」という努力をしなくてはいけないのです。
 それから、「聞く」ということもあります。「耳を通して情報を取る」ということです。こうした情報のなかにも、参考になるものはたくさんあります。
 特に、あまり受験秀才型ではなかった経営者の場合には、「読む」ことよりも、「聞く」ことのほうが、効果は大きい場合もあります。
 従業員から、それほど参考になるような、よい話が聞けないのであれば、外部の人からも話を聞かなくてはなりません。コンサルタントや高名な先生など、いろいろな人から話を聞いて参考にしたり、同業者や他の経営者などの話を聞いて勉強したりするのです。
 これは耳学問です。政治家も耳学問をすることが多いのですが、とにかく耳で聞いて勉強するわけです。
(47~49ページ)

トップは、あまり怒られない代わりに、減収減益、赤字決算、そして会社の倒産が待っているのであって、厳しいが、勉強し続けないと生き残ることはできない。

勉強し続ける方法の一つは、本や週刊誌、新聞などをよく読んで情報を取ることであり、従業員、コンサルタントや高名な先生、同業者や他の経営者などから、耳を通して情報を取ることである。

忙しいなかで、いかにして精選された情報を得るかが大事であって、これを心掛けていないとアイデアが枯渇するし、他企業が行っていることを知らないままとなることがあるので、努力しなくてはいけない――。

重い責任を背負った経営者には、日々の努力が求められるわけで、これはその一場面なんだろうと思います。

そして、大川隆法総裁の著作は、経営はもちろん、世の中の森羅万象について凝縮して学べる、とても価値ある書籍群であることは、知る人ぞ知る話です。

念のため、経営者のみなさんにとって重要なこの事実を、ここで改めてお伝えしておきたいと私は思っているのです。
 

『未来創造のマネジメント』

 大川隆法著


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発明が大事だと思うんだよね。それも人類史に残るような偉大な発明、ね。どうしたらそんなの、できるかなあ? なーんて疑問もってる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『トーマス・エジソンの未来科学リーディング』(幸福の科学出版)で、あの有名な発明王・エジソンの霊の言葉(「霊言」)を、次のように紹介しておられます。

 これにはレベルの問題があるわけよ。いちおう、発明にも悟りのレベルがあるわけだな。(中略)
 それが、いかに広がって、人類全体の喜び、幸福になって、世界の付加価値の総量を増やしていくか。これに役立った発明は、やはり影響が大きいね。それがどこまであるかだ。細かいものを発明することは、できるとは思うんだけどな。
 だから、本当に、単なる個人的な興味・関心だけでは済まないところがあり、発明のもとになるものとして、「人類に対し、白熱電灯のごとく光を与えたい!」という希望が必要だな。
 そういうものが、やはり要るから、発明のもとになるものは「愛」なんだよ、君。宗教的には「愛」なんだ。広い愛なのよ。(中略)
 理系の研究や実験の場合、途中でやめてしまうと、翌日、出てきて、もう一回、やろうとしたときには、もう(興が)冷めていることがあるんだ。だから、乗ってきたら、もう、やめられない。一気にやってしまわないとね。
 途中で止めたら、やる気のなくなることがあるんだよ。インスタントラーメンを温めているうちに、麺が伸びてしまったようになることがあるので、やりたいときに一気にやってしまわないといけない。
 そういう意味で、「研究に休みがあってはならぬ」というのは基本だな。それが研究の本質だ。
 天上界に還れば、基本的に、そういうことになるけどな。休みはないよ。
 俺には、いまだにベッドがないんだよ。もらってないんだ。昼寝ができる程度のソファーはあるんだけど、俺の研究室にはベッドがまだ入っていないんだな。(中略)
 八時間、研究するのと、二十四時間、研究するのとでは、あとのほうが三倍も働ける。こんな楽しいことはない。だから、研究が主体であって、生活に必要な時間は最低限のものでなければならんな。寝ながらでも、ご飯を食ったり、歩いたり、トイレに入ったりするぐらいでなければいかん。そのくらいでないとな。
 それは、人から見たら、奇人・変人・狂人の仲間であることは間違いないけれども、やはり、一時期、「狂」の字が付くぐらい研究しないと、偉大な発明はありえない。
 サラリーマン的に働いていたら、偉大な発明はありえないよ。技術改良をするとか、ちょっと工夫するとか、新製品をチームでつくるとか、そういうことはできるかもしれない。
 しかし、偉大な発明のもとにあるのは「炎のように燃える情熱」なんだ。それがなければ駄目だ。
(23~29ページ)

発明にも悟りのレベルがあるのであって、発明のもとになるものは「愛」である。

休みがあってはならないのが研究の本質であり、「狂」の字が付くぐらい研究しないと、偉大な発明はありえない。

偉大な発明のもとにあるのは、「炎のように燃える情熱」である――。

発明王・エジソンは、生涯で1300もの発明をしたと言われ、蓄音器、白熱電球、活動写真(映画)とかがその発明として有名だと思います。

今日のエジソンの教えを私なりにまとめてみると、偉大な発明をするために必要なものは、要するに、第一に、「愛」、第二に、「努力」、第三に、「情熱」、ということでしょうか。

うーん、さすがです。

エジソンの偉大な発明の秘密を明かしたこの言葉をよくよく味わってみると、やはりとても仏法真理にかなっているのではないかと、改めて私は思っているのです。
 

『トーマス・エジソンの未来科学リーディング』

 大川隆法著


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ガンが、信仰の力で治ったりすることがあるって聞くけど、なんでなの? なーんて疑問もってる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『奇跡のガン克服法』(幸福の科学出版)で、こう説いておられます。

 心には創造性があるため、心は、もちろん、ものをつくることも壊すこともできます。(中略)人間は、自分の心でもって自分の体を壊すことができます。さまざまな不調を起こし、病気をつくることができるのです。
 体の部分は物質世界にかなり支配されているのですが、心が不調和な方向に傾いたときには、体に異変が起きてきます。
 その異変は、程度が低ければ、「体調の不良」というレベルで止まりますが、程度が激しくなってくると、病変が生じ、病気になります。それが、あるときにはガンであったりしますし、ほかにも、さまざまな重い病気に変わってくるのです。
 その病気の出方は、さまざまですが、その人の体のなかで最も弱い部分に病気が出てきます。(中略)根本を辿ってみると、実は単純なことであり、「心の不調和が体の最も弱いところに出る」ということなのです。
 その際、長く使い込んだ体のなかで、現時点で最も弱っているところに病気が出ることもありますし、生まれつき、体の特定の部分が弱く、そこに病気が出ることもあります。いずれにしても、体のなかで弱っているところに、不調和が現象として表れてきて、それが病気になるのです。
 このように、心は病気をつくることもできるわけですが、これは、本来の創造性とは違い、悪いほうでの働きなので、心の持つ破壊性、破壊力と見てよいと思います。
 これも、みなさん全員が持っています。みなさんは、ほぼ例外なく、自分で病気をつくる能力を持っています。みなさんは、神の半分の力を持っているようなものです。
 ただ、肝心の残り半分においても、すなわち、「病気をよくする」という方向においても、力を発揮できなければなりません。病気をつくることができるのであれば、実は、それと同じ能力で、病気を治すこともできなければならないのです。
 病気といっても、たいていは、内臓の一部か脳の一部、あるいは血管系を悪くするようなことでしょう。
 しかし、その内臓は、一年間、同じ状態であるわけではありません。一年以内には、全部、細胞が入れ替わっています。骨もそうです。一年間、同じである骨はありません。頭蓋骨でさえ入れ替わるのです。血管も血液も、当然、入れ替わっています。
 体のなかで一年前と同じものはありません。外側がよく似ているだけで、体自体は、全部、入れ替わっているのです。
 そのため、例えば、胃ガンの場合には、胃の部分に病巣をつくり続けなければいけません。胃を壊し続けている状態でなくてはならないわけです。
 そういうことが続けば一定の病気が固まるのです。
 ただ、そのように、細胞の部分で、悪いものをつくれるのですから、逆に、それをよいものに変えようと思えば、変えていくことができるのです。
(30~35ページ)

心には創造性があって、ものをつくることも壊すこともできるから、人間は自分の心で病気をつくる能力を持っている。

心が不調和な方向に傾いたときには体に異変が起き、程度が激しくなるとガンなどの病気になる。病気の根本は、実は、心の不調和が体の最も弱いところに出るということである。

そして、実は人間は、それと同じ能力で病気を治すこともできる。体の細胞で一年前と同じものはなく、全部、入れ替わっているから、体の中の悪いものを逆によいものに変えようと思えば、変えていくことができる――。

もちろん、嘘でもなんでもありません。

本書を読むことで、病気のメカニズムを知って、実際にガンのような重篤な病気を克服した人が、実際に続出していると聞きます。

それは、大川隆法先生のこのお教えを信じるということでもあるわけですから、やはり「信仰」の力なのでありましょう。

さまざまな病気に苦しんでいる、一人でも多くの方に、ぜひ本書を手に取ってみていただきたいと、改めて心より私は願っているのです。
 

『奇跡のガン克服法―未知なる治癒力のめざめ』

 大川隆法著


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岸田首相って、防衛費増額のために必要とか言って、結局、増税するってんでしょ。なんだかんだ理屈つけて、すぐ増税なんて言い出すのって、おかしくないの? なーんて疑問もってる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『未来創造の経済学』(幸福の科学出版)で、ノーベル経済学賞を受賞した、自由主義思想で著名な経済学者・ハイエクの霊の言葉(「霊言」)を、次のように伝えておられます。

 日本であれば、江戸時代には農民から税金を取っていたと思います。それは、「五公五民」、すなわち、「半分を、役所、お上が取って、残りの半分が自分のものになる」というあたりが限度であり、これを超えて、「六公四民」などになったら暴動が起きたと思います。だから、どう見ても、これが上限なんですね。これ以上にはいかない。
 しかし、そういう税金がかかっていたのは基本的には農民であって、商業の世界などには、あまりかかっていなかったわけです。侍にもかかっていなかった。(中略)
 ところが、今は全体に税金がかかっているわけですから、政府は、昔よりも大きな政府のほうへと向かっていこうとしているんですね。 これは、「本来、政府がやらなくてもいい仕事に、数多く手を出して、自分たちの権力、権限を増やそうとしている」ということです。しかも、「実際には、その世界の仕事を運営する知識もノウハウもないにもかかわらず、やる」ということなのです。
 例えば、法律の知識はあるにしても、薬や医学の知識は必ずしもない人が、予算を費やして、いろいろなことをします。大騒ぎをして、「インフルエンザのワクチンを何千万本もつくる」とか、「一億本も輸入する」とか、そういうことを、あたふたと決めて、税金を湯水のごとく使います。こういうことをするわけです。
 こうしたことが数多く積み重なって無駄が起きてくるのですけれども、あとから、検証はなされていないんですね。
 だから、税率について私は思うのですが、基本的には、やはり、50パーセントに近づいていくあたりが、個人としては限界であり、税率が上がれば上がるほど、実際には労働の生産性が下がっていくはずなんです。
 マックス(最大限)、我慢できるのは、やはり25パーセントだと思います。4分の1ぐらいまでなら、比較的、正直に働いて、正直に申告する可能性があります。それは、成功している人の場合です。
 成功していない人の場合には、もちろん、25パーセントでも高いので、一般的には、平均で10パーセントぐらいになると思います。最下層の人になりましたら、10パーセントでも高いでしょうから、それに対しては、もう一段のセーフティーネットが必要だろうとは思いますが、一般で10パーセント、最高税率で25パーセントぐらいが限度だと思います。
 それ以上取った場合には、「それだけ金を使わなくてはいけないシステム自体に間違いがある」と考えなければいけない。(中略)
 「人々が正直に申告できるレベルで線を引かなければいけない」と思います。
(32~35ページ)

税率は、一般で10パーセント、最高でも25パーセントぐらいが限度である。

それ以上取るというのは、そんなお金を使わなくてはいけないシステム自体に間違いがある。

税率は、人々が正直に申告できるレベルで線を引かなければならない──。

税制については、お金が足りるかどうかというような政府の都合で考えるのではなく、そもそも税金というものについて、どんな思想を持つのかが、とても重要ではないでしょうか。

すでに帰天している識者の意見を、こんなふうに「霊言」という形で聞いたり読んだりできるなんて、本当に奇跡というほかありません。

誰もがこのハイエク先生から学べる叡知が、具体的な政策として実現される時代が、一日も早く来ますようにと、私は心から願っているのです。

『未来創造の経済学』

 大川隆法著


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海外でテロって多いでしょ。なんであんなこと起きるのかなあ? なーんて疑問もってる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『朝の来ない夜はない』(幸福の科学出版)で、こう教えておられます。

 今、大きなテロには、ユダヤ教、イスラム教、キリスト教、ヒンズー教、この四つの宗教が少なくとも絡んでいます。(中略)
 例えば、ユダヤ教とキリスト教は、今、アメリカの国内では割に結びついています。(中略)しかし、もともとはどうかというと、ユダヤ教徒は(中略)「ユダヤ教の流れのなかにいる預言者の一人がイエスである」と考えるのです。これに対して、キリスト教徒は、「いや、イエスはメシア、救世主である」と考えています。(中略)
 ユダヤ教の考え方によれば、救世主とは「国を救う英雄」でなければいけないわけです。(中略)そして、「イエスは、この定義に当たっていない」と考えるのです。(中略)
 イスラム教のほうは、キリスト教をどう見ているでしょうか。キリスト教を認めていないかというと、そうではありません。イスラム教はキリスト教を認めています。(中略)キリスト教をかなり下地にして、イスラム教は成り立っているのです。
 ただ、イスラム教も、やはり、「イエスは、救世主というより、預言者の一人である」と考えています。そして、イスラム教では、「砂漠の地帯には、代々、預言者が次々と出てきたが、偉大な最後の預言者、最後にして最大の預言者がマホメット(ムハンマド)なのだ」と考えるのです。(中略)
 しかし、キリスト教のほうは、あとからできたイスラム教について、「かつて、ユダヤ教が、あとからできたキリスト教を認めなかった」ということと同じように、やはり認めていません。(中略)
 対立の根本にあるのは、やはり神概念であり、「神とは何ぞや」ということです。
 キリスト教もイスラム教も一神教ですが、一神教では、一つの神を立て、その神のために戦い、ほかの宗教を異端・邪教と見て、潰そうとします。これが延々と続いているのですが、両方とも、神の名の下に戦っているのです。このような問題を何とかして解決しなければいけないと私は思っています。
(185~190ページ)

今、大きなテロには、少なくとも、ユダヤ教、イスラム教、キリスト教、ヒンズー教という4つの宗教が絡んでいる。

一神教では、一つの神を立て、その神のために戦い、ほかの宗教を異端・邪教と見て、潰そうとする。

対立の根本にあるのは、「神とは何ぞや」ということであり、どちらも神の名の下に戦っているという問題を、何とかして解決しなければいけない──。

つまり、宗教の対立や戦争、悲惨なテロをなくしていくためには、この4つの宗教が考える「神」を明快に説明しきる必要があるわけです。

そして、大川隆法先生の説かれる教えこそが、まさにこの「神」を明快に説明しきっていることは、もうすでに明らかだと思います。

少しでも早く、幸福の科学の教えがこれらの宗教を信じる国々に広がり、世界が平和になっていきますようにと、改めて私は祈らずにはいられない思いでいるのです。

『朝の来ない夜はない』

 大川隆法著


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オレって、将来の目標をもってるんだけど、今やってる仕事って、それと関係ないことばっかりなんだよね。いやになっちゃうよね? なーんて悩み抱えてる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『不動心』(幸福の科学出版)で、こう教えておられます。

 さらに、蓄積には意外な効果もあります。それは、思わぬところで人生を開く鍵になるということです。現時点では役に立たないことであっても、十年後、二十年後に、思わぬところで、思わぬかたちで、花開くことがありうるのです。
 将来、自分に何が必要かは、なかなか分かりませんが、無駄な経験を数多くしてきたように思っても、あるとき、それが役立つことがあります。
 私は現在の道に入る前、総合商社に六年ほど勤務していました。(中略)
 しかし、そうした経験が「幸福の科学」において生きてきているのを、私はいま実感しています。商社時代に、人びとの動き、組織の運営の仕方、資金の流れ、資金の活用方法などを学んだことが、現在の仕事に生きてきたのです。(中略)
 また、商社時代に、私はアメリカで仕事をしていたこともあります。そこでは、白人や黒人のアメリカ人、韓国人、中国人、フィリピン人など、いろいろな国の人と一緒に仕事をしましたが、それを通じて、いろいろな国の人の考え方や特色、自分とは違った価値観というものを知りました。
 現在、私は、真理の多様性、正しさの多様性を説いていますが、その根源を探ってみると、私が国際社会において、いろいろな考え方を持つ人のあいだで揉まれてきたことが、原因の一つになっているのではないかと思います。
 自分以外の考え方のなかにも、筋の通った考え方がいくらでもありうることを、身をもって学んだことが、現在の私の考え方における多様性にもつながっているように思います。
 いろいろな宗教家が、いろいろな教えを説いていますが、どの人も「自分たちの教えこそがすべてだ」というような言い方をしています。
 しかし、私がそうした考え方を持たずにいられるのは、いろいろな国籍の人たち、肌の色の違う人たちと一緒に仕事をして、彼らの考え方を充分に吸収したことが、「無用の用」として生きているからだと思います。
 このように、人間は仕事のなかで磨かれていくのですが、「将来の目標にとって、現時点では役に立たない」と思うことであっても、それがやがて何らかのかたちで生きてくることがあるのです。
 したがって、大事なことは、「自分の自己実現の目標や理想から見て、自分はいま回り道をしている。直接には関係のないことをしている」と思っても、そのとき自分に与えられた教材をフルに生かして生きることです。
 現在の自分に与えられた問題集をしっかりと解いていれば、やがてそれが生きてくることもあるわけです。(中略)
 蓄積をしていくためには、いま自分に必要なこと以外にも、いろいろなことに関心を持って、常に情報を集めつづけることが大事です。いまは必要でなくても、何らかの糧になると思われる情報を集めつづけることが、やがて大きな効果となって現われることになるのです。
(57~61ページ)

蓄積をしていくためには、いま自分に必要なこと以外にも、いろいろなことに関心を持って情報を集めつづけることが大事である。

蓄積には、現時点や将来の目標にとって役に立たないことであっても、思わぬところで人生を開く鍵になるという意外な効果もある。

大事なことは、そのとき自分に与えられた教材をフルに生かして生きることである――。

蓄積の効果」に関する大川隆法先生のお教えは、以前、ご紹介したことがありましたが、今日は、それに続いて、「蓄積の意外な効果」に関するお教え、ということになりそうです。

ここで気がつくのは、地味ではあっても、日々、目前の課題に全力であたる努力を続けていくことの大切さです。

この大川隆法先生のお教えを素直に信じて、地道な努力を重ねていきたいものだと改めて私は思っているのです。
 

『不動心』

 大川隆法著


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