原始キリスト教で最大の伝道者だったパウロって、そもそもキリスト教を迫害してたのに、イエスの弟子から、見えなくなった目を見えるようにしてもらって回心して、伝道者に変身したんでしょ。そんなのって、天上界の計画だったりするのかなあ? なーんて疑問もってる人、いませんか?
幸福の科学の大川隆法先生は、『パウロの信仰論・伝道論・幸福論』(幸福の科学出版)で、そのパウロ本人の霊の言葉(「霊言」)を、次のように紹介しておられます。
うーん、まあ、おそらく、「計画」と言えば「計画」ではありましょうけれども、ただ、「後れを取った」ということについては、否めないものがあります。
やはり、イエスご生前にお会いして、その説法を聴いてみたかったですねえ。同時代に生きていて、「イエス生前には迫害する側にいた」ということは残念なことです。
私も、いわゆる今のユダヤ教を学問としてやっていたため、それに照らして考えれば、当時のイエスの教えは、とても異端だったのです。あなたがたの時代で言えば、いわゆる新興宗教にすぎないわけですから、伝統的なユダヤ教の考えから見れば、みな、当然異端と思って、迷うことなく弾圧の側に入っていました。
まあ、人は、旧いものを信じるし、学問的に学んだものは、なかなか捨てられないっていうところがありますよね。
でも、「イエス死後、二、三年もたってから回心して、クリスチャンになった」っていうことに対しては、「大きな機会を取り逃がした」という気持ちがとても強いです。
まあ、私のように迫害の主役的存在であった者が、「天上界のイエスの声を聞き、光を見、盲目になり、それが奇跡的に治癒される」というような体験を通すことによって、キリスト教が真なる宗教であることの証を立てる役ができたということは、そういう運命であったのかもしれません。
しかし、「イエスご自身が私に啓示を送られた」ということから見れば、私は、もともとイエスの弟子になるべく生まれたのであるのに、罪深い何年かを送ったのだと思われます。
(31~33ページ)
天上界のパウロ自身は、イエスの死後何年もたつまでクリスチャンにならなかったことに対して、大きな機会を取り逃がした気持ちがとても強い。
イエスご自身が直接、啓示を送られたことから見れば、パウロはもともとイエスの弟子になるべく生まれたのであるのに、罪深い何年かを送ったのだと思われる――。
伝道者パウロの「ダマスコの回心」というのは、少しでもキリスト教を勉強した人にとっては、誰もが知る有名なエピソードですが、私たちは同様の事例として、有名なジャーナリスト・筑紫哲也氏の大回心のケースを見聞きしています。
今日の天上界のパウロの霊言は、「ダマスコの回心」について、計画とか運命といえばそうだったかもしれないと述べつつも、当初からの計画ではなく、遅れをとってしまった自分をイエスさまが天上界から指導されて、道を修正されたと考えておられるようです。
要は、何が運命であり、何がそうでなかったのかというのは、それぞれの人の立場からさまざまな見方が可能なのものであって、人生計画というのはただひとつしかないような単純なものではない、ということをパウロは述べておられるように私は思うのです。
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『パウロの信仰論・伝道論・幸福論』
大川隆法著
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